06 心の闇

「いいや、俺たちは闇祓いだ」


 答えたのはユウリスで、一足飛びで踏み込む。それは、まさに刹那の所作。中年男の目には、黒ずくめの青年が距離を無視して移動したように映ったであろうか。そして次の瞬間には腹に強烈な拳の一撃を叩き込まれ、その男――コニーの父あでるソラフ・マギニスは悶絶して倒れた。


「ああ、ごはっ、は、はぁ、息が、息が……ッ!」


「安心しろ、肺が破裂していたとしても、すぐには死なない。必要なことをしゃべれば、助けてやるさ」


 ユウリスは冷めた口調で告げると、倒れたソラフを転がしてうつ伏せにした。ウルカは食卓の上に置かれたチーズの匂いを嗅いで、そっと皿に戻している。扉が外れた物音を聞きつけたのか、外には早くも野次馬が集まりだしていた。


「ユウリス、警察は呼ばれないようにするって話じゃなかったか?」


「まだ呼ばれてない」


 ユウリスは腕を振り上げ、ソラフの背中を強く叩いた。みぞおちを殴られて呼吸が苦しくなるのは、横隔膜おうかくまくに強い衝撃を受けたせいだ。肺が正常な機能を取り戻せば、やがて落ち着く。


「げほっ、げほっ、な、なんなんだ、あんたらは!?」


「闇祓いだと名乗ったはずだ。騒げば痛い目をみるし、質問に答えなければ精神を支配する。いいか、警告に二度目はない。まず答えろ、無事に生き延びたいか、それとも廃人になりたいか?」


「勘弁してくれ、死にたくない!」


 よだれを垂らしながら必死で首を振るソラフの首筋に、ユウリスは冷たい指先をあてがった。爪が触れたのは頸動脈けいどうみゃくのあたりで、血管が激しく脈打っている。


 闇祓いの青年が紡ぐ声は、いまにも急所を切り裂くと言わんばかりに鋭利だ。


「いいか、警告に二度目はないと言ったはずだ。もう一度だけ聞く、正しく答えろ。生き延びたいか、廃人になりたいか?」


「……わかった、わかったよ。い、生き延びたい」


「よし、次の質問だ。慎重に答えろ。娘のコニーを、水銀で殺そうとしているか?」


 家の外で、どよめきが広がった。何事かと屋内の様子を覗き込んでいる野次馬たちにも、この会話は届いている。ソラフは言葉を失い、乾いた唇を魚のように動かし続けていた。


「な、なんのことだか……」


「そうか、残念だ」


 ユウリスの爪が首に食い込むと、悪魔に魂を売った父親はあっさりと白状した。


「やった、やった、認めるよ。コニーの食事に、毒を混ぜた。水銀かどうかはわからない。もらったものなんだ、本当に知らないんだ!」


 ソラフの告白は、近隣住民たちに大きな衝撃をもたらした。騒ぎは一気に広がり、最前列の人間がうしろの野次馬に伝え、また別の誰かに伝播でんぱしていく――その様子を見届けて、ユウリスは軽く肩をすくめた。


「十分だ。ウルカ、野次馬の目を遠ざけてくれ」


「なるほど、これを他の連中に聞かせたかったわけか。まどろっこしい奴め」


 コニーの毒殺未遂には、明確な証拠がない。

 だが衆目の前で自白した事実は、あとになって警察の捜査にも大きな意味を持つだろう。


 したたかな相棒のやり方に鼻を鳴らしながら、ウルカは床に転がっていた扉を持ち上げた。そのまま戸板を入口に立てかけて外からの視線を塞ぐと、のけものにされた野次馬たちからは抗議の声が上がりはじめる。これでは誰が聞き耳を立てようにも、周りがうるさくて中の会話は聞こえない。


 続く話題を表に出したくないユウリスにとっては、好都合の展開だ。


「娘を殺そうとしたのは、コニーが自分の娘ではないからか?」


「あんた、なんでそんなことまで知っているんだ!?」


「お前は質問にだけ答えればいい。コニーは、ルッカとウィットフォード伯爵の子か?」


「そうだ、ああ、そうだ、そうだよ! オレはコニーが自分の血を受け継いでいないとも知らずに、十年以上も実の娘として育ててきた! ふざけるな、ありえないだろう!」


「それをお前に伝え、コニーの毒殺をそそのかしたのはペーター・ウィットフォードだな?」


「なんでも知っているなら、いちいち聞くな! 落胤らくいんとはいえ、コニーの存在はペーター様にとってうとましかったようだ。金貨十枚をくれると言われた。だが断れば、オレが殺される。どうすればよかったって言うんだ!?」


「さあな。だが、お前は最悪の選択をした。起きろ――そういえば、お前の名前は?」


「名前も知らないで襲ってきたのか、勘弁してくれ。ソラフだ。ソラフ・マギニス。逃げようとなんて思わない。警察に突きだすつもりなら、好きにしていい。だが、もう殴らないでくれ」


 震えながら上半身を起こしたソラフは、すっかり怯え切っている。ユウリスは屈み込んだまま、彼の胸に片手を添えた。そしてほのかな青白い光を全身にまといながら、おごかに紡いだ。


「闇祓いの作法に従い――」


 流麗な蒼白の輝きが、ユウリスの手を通じてソラフの胸に流れ込む。

 それは人心の闇を祓うと云われる、≪ゲイザー≫の奥義。


 精神を支配する術ではない。


 改心を促す強制力もない。


 多くの雑念や欲望に囚われ、複雑な迷宮となった心に新しい風を吹き込む――ただそれだけの、ささいな手助けだ。


「あ……」


 ソラフはき物が落ちたかのような表情で、そのまま呆然と天井を見上げた。自らの行いに疑問を抱いていなかったのであれば、さほど効果もないだろう。だが逆であれば、己を見つめ直すきっかけになるかもしれない。


 膝を伸ばすユウリスに、ウルカが緩く首を振った。


「娘を殺そうとした男に、闇を祓う価値があるのか?」


「俺たちが決めることじゃない。あとは、こいつ次第だ。それより、次の行動に移ろう」


「ウィットフォード邸に乗り込んで、ペーターを締め上げるか。しかしバンシーの嘆きがコニーの死を暗示していたとなると、少し厄介だ。運命を変えようとすれば、≪デュラハン≫がやってくる」


「バンシーの予言を成就じょうじゅさせるために、コニーの首を狩ろうとするかもしれない?」


「ああ、≪デュラハン≫を回避する方法もあるが、すぐには無理だ」


「なら、二手に分かれよう。俺はペーターとケリをつける。その間、ウルカは万が一に備えてコニーを守ってくれ」


「おいしいところを独り占めか?」


「乗り込むのは伯爵邸だぞ、行儀よくする必要がある」


「私もノックくらいできる」


 それから二人して壊れた扉に目をやり、どちらからともなく笑みをこぼした。不意に、外から野次馬のざわめきに交じって警官らしい男たちの声が聞こえてくる。


 ウルカは軽く息を吐くと、ソラフの頭をはたいてからユウリスに頷きかけた。


「まずはこいつを警察へ引き渡して、それからイエヴァの家に向かう。さっさと片づけて来い」


「ああ」


 ユウリスは短く応え、裏口から外に出た。背後からは早速、ウルカと警官たちの言い争う声が聞こえる。空には紅い月と蒼い月が半分ずつ昇っており、春先にしては冷たい風が吹いていた。


「自分の血を引いていない子を育てる気持ち、か……」


 呟きは、白い呼気と共についえる。


 そして蒼白の光を纏った影なき青年は、夜の闇に颯爽と身を躍らせた。

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