06 崩壊の序曲

 ユウリスは丘を下り、ふもとの旧家通りを目指していた。眼下では領邦軍りょうほうぐんの兵士たちが隊列を整えており、逃げ延びてきた住民を受け入れている様子が見て取れる。≪イフリート≫の姿もなく、怪物は無事に駆除されたようだ。


「クラウは……?」


 心配した矢先、正面から駆けてくる白い毛並みの魔獣を見つけた。滑らかな毛並みに多少の煤汚すすよごれはあるが、目立った外傷はない。ユウリスはほっと胸を撫で下ろして、かたわらを疾駆するアーデン将軍に視線を向けた。


「アーデン将軍、イライザのそばにいなくていいんですか?」


「俺ァ指示待ちが嫌いでね。ま、イライザ嬢ちゃんも、好きにやらせてくれるだろうよ。こっからは反撃に出なきゃならねぇ」


「領邦軍のとりでは此処と、東西、南にもありますよね?」


 ブリギットには大きく分けて、二つの戦力が存在する。


 エイジス・キャロット市長が率いる警察隊と、レイン家の直轄ちょっかつである領邦軍だ。前者は市内の治安維持を目的とした組織だが、後者は外部の脅威きょういを排除するために存在している。


 アーデン将軍は盛大に溜息を吐いて、ブリギットの空を飛びまわる蝙蝠こうもりの怪物を睨みつけた。


「あの≪アフール≫とかって化け物にワタリカラスが食われちまうもんだから、他の砦と連絡がつかん。こっちに駆けつけてこないのを見ると、市外の砦に配置した東西の軍は、逃げだした観光客と住民の保護で手一杯じゃねぇかな。南はこっちに向かってるかもしれんが、どんなに急いでも到着は夜明けだ」


「どうするつもりです?」


「現状、ブリギットの最高戦力はエイジスのおっさんが率いる警察隊だ。セント・アメリア広場が本陣らしいんで、俺もそっちに向かうとするさ。避難住民を守るための兵士を砦に最低限残して、全軍進撃。キーリィ・ガブリフに落とし前をつけてやる!」


 ユウリスはクラウと合流すると、途中で足を止めた。旧家通りは近いが、いつまでもアーデン将軍と肩を並べているわけにはいかない。


「アーデン将軍、あとを頼みます。念のために、家族を保護してください。次の人質が取られないという保証もないので」


「応よ、すぐに護衛を送って安全を確保する……が、やっぱりユウリス坊ちゃんは一人で行くのかい?」


 渋面で呻くアーデン将軍は、納得がいかねぇな、と頭を掻き毟った。セオドアを刺殺したのはアルフレドだ。裏で糸を引くのはハサンの一味とキーリィ・ガブリフ――その罪禍をユウリスが一手に引き受けるというのが、どうしても承服できない。


「アルフレド、いや、二代目を庇う気持ちはわかるがよ。暗殺者どもの仕業にもできねぇってのが釈然としねぇ。どういうことなんだい、ユウリス坊ちゃん?」


「さっきもお話した通り、なにも確証はありません。ただ、これまでキーリィはいくらでも父を殺す機会があったはずです。それを今日まで生かし、よりにもよってアルフレドの手で殺させた。さっきの爆発も、腑に落ちないと思いませんか?」


「確かにな。殺ろうと思えば、俺やユウリス坊ちゃん、奥方や双子の命も奪えただろうよ。特に天下無双の俺なんざ、生かしておいても百害あって一利なしだ。ますます頭がこんがらがりやがる、キーリィ・ガブリフはなにがしたい?」


「それがわからないから怖いんです。これまで俺たちは、すべてにおいて後手の対応を強いられてきました。その結果、父を失った。このままキーリィの思い通りに事が進んだら、なにもかもが取り返しのつかないことになってしまう……そんな予感がするんです」


 結果として責任を背負うだけの、意味のない妄言になるかもしれない。ユウリスは、それでも構わないと考えていた。敵の思惑が読めない以上、仕掛けられた策謀さくぼうから外れた行動を取らなければ対応ができない。


「だから、いまは俺のせいにしてください。忌み子の噂はブリギット中が知っている。この混乱した状況なら、ユウリス・レインの父殺しを疑う人は多くないはずだ。イライザときちんと話す時間がなかったので、貴方に託します。それから家のみんなを必ず守ってください。ブリギットの未来には、アルフレドも必要だ」


 父であるセオドア・レインの死は、イライザが公爵代行に就任した報せと共に領邦軍にもたらされるだろう。そのとき、下手人の名として挙がるのはユウリスでなければならない。


 アーデン将軍は思いつく限りの悪態を吐き散らかして、不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「そこまでの覚悟かい。ならこれ以上はなにも言わねぇが、クソッタレだぜ。イライザ嬢ちゃんの決定次第じゃ、俺はユウリス坊ちゃんを追わなきゃいけねぇ立場になる」


「お願いだから本気で来ないでくださいね、生き残れる気がしないから。それと爆弾を使ったハサンは、キーリィがオリバー大森林で俺を待っていると言いました。ヘイゼルとリジィ、ダーインスレイヴもそこにあると」


「なら、ユウリス坊ちゃんはオリバー大森林か。だが罠とも限らねぇ、十分に注意しろよ。市街地の怪物を片付けたら、領邦軍もそっちを手伝いに行くぜ。いいか、絶対に命を粗末にしちゃぁなんねぇ。俺はセオドアの旦那が残したものを、必ず守り抜く。そのなかには、ユウリス坊ちゃんも含まれてるってことを忘れんな」


 ユウリスとアーデン将軍は握った拳を突き合わせ、各々の道に歩みだそうとして――瞬間、足元からひざを折るような衝撃が響いた。そのとどろきは巨人の咆哮ほうこうに似て猛々たけだけしく、地底からきあがる大振動が都市を襲う。


「これはっ!?」


「クソッタレ、ブリギットはどうなっちまったんだ!?」


 まともに立っていられないほどの大きな揺れに呑まれ、ユウリスは思わず尻餅をついた。槍を支えに踏ん張るアーデン将軍が、震える鎧のけたたましさに顔をしかめる。市街地を一望する丘の中腹で、二人はブリギットの終焉を見た。


「おいおい、こりゃ……冗談じゃねぇぜ」


「ブリギットが! 街が!」


 街中の鐘が、幾重にも響き渡る。


 刹那、北西部の端から中央区にかけて大きな亀裂がはしった。まるで冥府めいふの扉が開かれるかのように、大地が裂ける。都市を横断する地割れは、タラの丘の手前まで届いた。建物が次々と奈落に呑み込まれ、入れ替わりに闇の大口から吸血蝙蝠の群れが飛翔する。


 火の手は次々に増え、風に乗る焦げ臭さは一段と強烈さを増した。


 地震はゆっくりと沈静化するが、麓では領邦軍にも混乱が広がっている。


「悪りぃな、ユウリス坊ちゃん。俺ァ、先に行くぜ」


「気をつけて、アーデン将軍!」


 ユウリスとクラウは領邦軍を避けて丘を下り、旧家外の路地裏を駆けた。


「クラウ、俺たちも!」


 ――――!


 家屋を挟んだ大通りから兵士たちのざわめきが届く以外に、人の声や気配はない。


 しかし正面に、赤いマントと火のないカンテラが揺れる。≪スペクター≫の出現にユウリスが身構えるよりも早く、クラウが飛びかかった。もはや幽鬼の類は敵ですらなく、魔獣の爪と牙が紙を裂くような気軽さで敵を討ちはらう。


 …………。


 静かな佇まいだが、どうだ、と言わんばかりに振り返るクラウの瞳を見返して、ユウリスは口元を綻ばせた。ちょうど一年前ほど前、正確には感謝祭が終わった少しあとに出会った白い毛並みの魔獣。多くの修羅場を潜り抜けてきた相棒の力量を、いまさら疑いはしない。


「お前は最初からすごいやつだよ、クラウ。頼りにしてる、誰よりも」


 さらに頭上から、新たな怪物の気配。

 鋭利な脚の先を槍のように振り下ろし、屋根から跳躍する≪アラクネ≫。


「あいつは俺が!」


 ユウリスは冷静に破邪の力を体現させ、華麗な体捌きで宙を舞った。空中ですれ違う瞬間に刃を振るい、怪物の首を一撃でね飛ばす。


「よし、いける」


 だが、まだ終わりではない。

 狭い裏道に幽鬼と蜘蛛くも女が次々と押し寄せ、前後の進路は瞬く間に塞がれた。


「キリがない! 突破しよう、クラウ!」


 白狼の清廉な雄叫びが、調伏の波動となって放たれた。


 力の弱い≪スペクター≫は魔獣の一声で存在を掻き消され、踏み止まった幽鬼も痺れたように痙攣する。


 ユウリスは全身を蒼白の輝きで満たし、壁伝いに疾駆した。≪アラクネ≫も縦横を自在に動くのは変わらないが、窮屈な路地裏では蜘蛛の下半身が邪魔になる。暗がりの世界に軌跡を描く、闇祓いの閃光。その刃が次々と女の首を落とした。


 怪物の断末魔が、立て続けに木霊する。


「このまま闇祓いの力を使い続けたら、オリバー大森林まで霊力が持たない。なんとかして、怪物の少ない道を探さないと!」


 先に裏通りを抜けたユウリスの真横から、銅の剣が振るわれた。間一髪、遅れて躍り出た白狼の爪が割り込み、凶刃を弾く。


 襲撃者の正体は、人骨の怪物だ。


 甲冑かっちゅうまとう亡骸なきがらの異形――≪スケルトン≫の群れが、表通りにひしめている。その足元には、領邦軍の砦を目指していたのか、逃げ遅れた人々の遺体が数え切れないほど横たわっていた。


「この――ッ!」


 怒りに任せて刃を振るおうとした少年の傍らを抜け、クラウが跳躍した。正面の≪スケルトン≫を後ろ脚で叩き伏せ、背骨を踏み砕く。


 …………。


 他の怪物に注意を払いながら、ユウリスに振り向く白い魔獣。金色の瞳が思慮深しりょぶかくきらめき、落ち着け、と訴える。死者は戻らない。ここで仇を討っている間に、もっと多くの犠牲が生まれてしまう。物言わぬ白狼だからこそ、その眼差しから推察できる言葉は多い。


「ごめん……ありがとう、クラウ。わかった、先を急ごう。でも、逃がしてくれるかな。こんなことなら、イライザの転位魔術を頼ればよかった」


 大通りを行軍する≪スケルトン≫は言うに及ばず、呪詛を唱える≪スペクター≫が石畳の隙間から浮かび上がり、あるいは周囲の壁に≪アラクネ≫も展開している。


 スットゥング地下迷宮では互いに争いあっていたはずの怪物たちにも、いまはいがみ合う様子が欠片も見られない。この状況に限り、人間だけに狙いを絞っているのは間違いないようだ。


「怪物を統率する何かがあるのか……それをどうにかすれば、敵同士を争わせることもできるかもしれないのに」


 ≪アラクネ≫の脚が家屋の煉瓦を打つ音が、徐々に増えていく。


 紅い月と蒼い月が照らし、黒煙の漂う空を滑るのは≪アフール≫の群れだ。


 ≪スペクター≫の不気味な音が地を這い、≪スケルトン≫が下顎したあごの骨を揺らして哄笑を響かせる。


 そして新たに、変化が生まれた。


 石畳に転がった遺体が、唐突に跳ねる。まな板に置かれた魚のように、何度も上半身をしならせて、ゆっくりと立ち上がる血まみれの亡骸。


 ユウリスは乾いた喉の奥で、恐怖を吐き出した。


「≪レヴェナント≫……!」


 よみがえる死体。


 目玉がこぼれようと、ぞうもつ物を引き摺ろうとも苦にすることはない。ただ理不尽な死への怒りによってのみ支配された、怨讐の怪物。


 起き上がる。


 一体、二体、三体、四体、五体、六体――途中で数えるのを諦めるほどの数が、起き上がる。大通りに横たわる、無残な亡骸が、光を失った目をさまよわせ、起き上がる。


 屍人しびとの≪レヴェナント≫が、起き上がる。


 起き上がる。起き上がる。起き上がる。


 起き上がり、そして喉の裂けるような金切り声を一斉に爆発させた。


『アア、アアアアアア、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』


 息を詰まらせて身構えるユウリスだが、しかし状況は想像を上回るものだった。


「どういう、こと?」


 ≪レヴェナント≫は、手近な≪スケルトン≫に手を伸ばした。素手で煉瓦れんがを砕くほどの握力に晒され、人骨の異形があっさりと頭蓋ずがいを砕かれる。


 さらに強靭な脚力で跳んだ別の屍人は、母屋の壁に張りついた。その顔面を、≪アラクネ≫の前脚が串刺しにするが、蘇る死体は頭部を失い、あるいは四肢をもがれようとも止まらない。


 ユウリスの眼前に、千切られた蜘蛛の脚が落ちる。


「≪レヴェナント≫が、こんなに……それも、他の怪物と対立している?」


 疑問は尽きないが、この機会を見逃す手はない。

 ユウリスとクラウは頷きあい、一目散に戦線を離脱した。


 背後に≪アラクネ≫と≪スケルトン≫が迫る気配を感じたのは一瞬で、すぐに途切れる。代わりに鼓膜を揺らすのは≪レヴェナント≫の咆哮だが、やはり追ってくる様子はない。


 ≪アフール≫の襲撃を避けて、ふたりは再び狭い路地に駆け込んだ。


「クラウ、先に行って! 安全な道を探してくれ」

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