03 影無き者の名は
村に戻った一行が怪物退治の成功を報告すると、深夜にも関わらず盛大な酒盛りが催された。村では宴の神が信仰されており、死者の魂を酒と料理で送るのだという。
≪アウチュー≫が駆逐され、殺された者たちにも安寧が訪れる、そう村人たちは信じていた。大陸でもっとも信仰されているダーナ神教の葬儀は厳粛だが、こんな空気もウルカは嫌いではない。
しかし彼女は報酬の残りを受け取ると、荷物の整理を手早く済ませた。宴には参加せず、日が昇る前には出立するつもりだ。
喧騒の片隅で黙々と出発の準備を整えるウルカを、今夜ばかりは大人の宴会に混ざることを許されたセリーヌが見咎める。
「まさか、もう行くつもりなの? ウルカは英雄よ。宴の主役なのに」
「少しのあいだはな。この村で、最初に会った頃を覚えているだろう、私のような奴は、けっきょく異端者でしかない。怪物と渡り合える者は、すなわち怪物の同類だ。用が済めば、次は疎まれる」
「ひどいわ、そんなの。多くの人を救ったのに」
「いつものことだ。それに名前も知らない連中に上辺だけ称えられるより、ひとりの勇気ある少女の英雄でいるほうが気分も良い」
鞄の留め具をぱちんと閉め終えたウルカは、セリーヌの髪を乱暴に撫でた。くすぐったそうに首をすくめた少女は、自分の頭に置かれた武骨な指を頬へと手繰り寄せる。
「貴女のことを忘れないわ。貴女と同じ人がいつか現れたら、きっと協力する。約束する」
「私と同じ人?」
「名前があるって聞いたことがあるの、ウルカみたいに怪物退治をする専門家を呼ぶ、ちゃんとした名前。ええと、なんだったかしら。とても簡単な綴りだったのよ。でも、どうしてか思い出せない。そういえば怪物退治に使っていた青い剣、とても綺麗だったわ」
「私たちの剣は特別だ、破邪の力で青く……なんだか熱いな、大丈夫か?」
手で触れてわかったが、セリーヌの頬は上気していた。興奮によるものではなく、酒精だと気がついたウルカは苦笑した。彼女は宴の酒を飲み、酔っている。
「七王国の法では、飲酒は十五からだったな。だが怪物退治を成し遂げた女なら、今夜くらいはいいさ」
少女に手を取られたまま、ウルカは鞄と麻袋を持って歩き出した。
互いの肌が触れていた時間は、ほんのわずかなあいだしかない。しばらくしてからセリーヌは、なにも言わずにそっと指を解いた。それでも離れず、見送りにはついて来る。
闇が薄れ、星はもう見えない。
村に隣り合う森の向こうでは、空がゆっくりと白みはじめていた。
夜明けの前触れと、ひときわ冷たい空気に出迎えられたウルカは、立ち止まらずに村の外れへと足を進める。セリーヌだけが別れを惜しむように瞳を揺らし、やがて足を止めた。
そして旅立つ女の背中へ、声を張りあげる。
「ポチのこと、お願いね!」
少女の嘆願に合わせて白い輪郭が茂みから姿を現すと、ウルカは思わず頬を引きつらせた。人語を解するどころか、場の空気まで読む魔獣など聞いたことがない。
セリーヌはそんな光景を目に焼きつけながら、ようやく長い悪夢が終わるのだと実感した。視界が涙で滲む。
「さよなら、ポチ」
やがて木々の隙間から黄金色の光が差すが、ウルカの影は地面にのびない。目を見開いたセリーヌは、ふいに忘れかけていた逸話を思い出した。
怪物を屠る、人にして人ならざる青い瞳の戦士。蒼白の刃を携え、光を浴びても影を落とさず、闇にあっても決して迷わぬ者たちの名を。
「ありがとう、ゲイザーのウルカ」
世のあらゆる災厄を封じた地を、トゥアハ・デ・ダナーンという。女神ダヌは絶望の大陸に取り残された命を憂い、邪な勢力に反抗する者たちへ祝福を与えた。怪物の血を焼き、人心の影を払う術を用いて、光と闇のはざまで命の調和を見守る存在。人々は彼らを、ゲイザーと呼んだ。
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