07 ブレグ村

 ブレグ村は国境線の境に存在する小さな集落で、フォースラヴィルから馬車で一時間ほどの距離にあった。


 荷台では落ち着かない様子のユウリスが、指を何度もこすり合わせている。そのかたわらに寄り添うウルカが、手綱たづなを握るオスロットに声をのばした。


「お前は、そのサイモンとかいう男に声をかけたのか?」


「いや、こっそりと顔を見て引き返した。私の顔を見て逃げられては、約束を違えることになる」


 オスロットは肩越しに振り向くが、忌み子の少年は視線に気がつかず俯いている。


 がたん、と大きく馬車が揺れた。村人の大半はブレグ村からフォースラヴィルへ通勤しており、畦道あぜみちには車輪の跡が色濃く刻まれている。


 ウルカは両脇に広がる鬱蒼うっそうとした森に意識を向けた。


「ヴァハの樹海に開拓村があったとはな……ルアン・シーゼの集落しかり、やはり測量協会以外の地図はあてにならないな」


 隣り合う樹海はヴァハ自然公園と呼ばれている。


 霊峰ミネルヴァの裾野に広がり、ブリギットと隣国ヌアザを横断する大樹林だ。人里離れた木々の隙間には怪物が息づく。


 ウルカはときおり意識を研ぎ澄ませてみるが、特別に邪悪な気配は感じない。


「どちらかといえば精霊の気配が濃いか。オリバー大森林とヴァハの樹海の境界は、妖精と精霊の棲み分けという話も眉唾ではなかったのかもしれない。それはそれで妖精の伝承とは矛盾するのだろうが……」


 余裕のないユウリスの興味を引くつもりで口にしたが、反応はない。


 また大きな振動に襲われるが、今度は馬も驚いたように暴れはじめていた。悪路が原因ではなく、地震のようだ。ブリギットでは最近、大きな揺れが続いている。


 御者台で慌てふためいているオスロットを見据えたウルカは、苛立つように舌打ちした。


「おい、この調子で到着が夜になるなんてことはないだろうな?」


「馬鹿にするな、ゲーザーめ! もう見えてきた、あれがブレグ村だ」


 オスロットの返答に、ユウリスも顔を上げた。ようやく忌み子と呼ばれるようになった理由を突き止めることができる――そう思う反面、本当に呪われた子供であったらどうすればいいだろうという不安にも苛まれていた。


 懊悩する弟子の髪を、ウルカが乱暴に撫でる。


「あまり思い悩むな。司祭の顔を見たら、とりあえずぶっとばせばいい。先に脅しておけば、話も円滑に進むだろう」


「殴ろうにも、サイモン・ウォロウィッツの顔も知らない。だからオスロットを連れてきた。まずは話を聞くよ。ウルカ流にやるかどうかは、それからだ」


 師の荒々しい導きに、ユウリスは少しだけ元気を取り戻した。二人揃って、荷車の天幕から顔を覗かせる。


 オスロットの巨体を避けて伸ばした視線の先に、大きな木の壁がそびえていた。村全体が板に囲われており、外からの視線を遮っている。一見すると、その内側に続く道はない。しかし道なりに進むと、入り口らしい門が見えた。扉は開かれており、見張りの人影もないようだ。


 ウルカは思案気に目を細めた。


「怪物を恐れているのか……それにしては、壁に目立つ傷はない」


 木材の壁は古く、ひどく傷んでいた。修繕箇所も多く、見る限りの原因は経年劣化だ。オスロットは口髭を上下に動かして、ウルカの観察眼を嘲笑った。


流浪るろうの女にはわかるまい。実際に怪物がいるかなど瑣末な問題よ。来るかもしれないから備える。万が一の危険にも安心したいのが、家と仕事をもって定住する者の考えなのだ!」


「なるほど、実害のない忌み子の噂を長年吹聴ふいちょうしてきた男は言うことが違うな」


「ぐぬっ……ふん、それも今日でなにもかもわかる。ほれ、村に入るぞ!」


 先にブレグ村を訪れていたオスロットは、厩舎きゅうしゃの場所も把握していた。もっとも旅人用の施設ではなく、村人が通勤に使用している乗り合い馬車の預かり所だ。一日に二度も部外者が訪れたと管理人に目を丸くされたが、支払いを弾むだけで快く受け入れてくれた。


 荷台から降りたユウリスの表情は、相変わらず晴れない。逸る気持ちを落ち着けるようにゆっくりと深呼吸する。


「あんまり人の気配がしない」


 若い村人は日中、フォースラヴィルで働いている。部外者を村から遠ざけながらも、表面上は変わらない日常を演じているようだ。


 観光客を排除しながらなんの仕事があるのかとウルカは疑問に思ったが、畑を耕したり工芸品を作ったりしているらしい。残っているのは女子供老人ばかりで、その空気にユウリスは妙な息苦しさを感じた。


 オスロットが先導して、村の奥へ歩きだす。


「西の外れに小さな教会がある。サイモンはそこだ」


 ブレグ村は、決して規模の大きな集落ではない。ブリギット市の繁華街程度しかない小さな敷地のなかに、数十の母屋が軒を連ねていた。特徴のない建物ばかりだか、そこかしこに鳥の意匠が見受けられる。


 珍しそうに覗き込むオスロットを、ユウリスが嗜めた。


「オスロット、目立ってる」


 森の奥地にある村に、外からの来訪者は滅多にない。黒髪のユウリスばかりでなく、ウルカとオスロットにも好機の視線が突き刺さる。


 しかし住民たちは遠巻きに眺めるばかりで、決して声はかけてこようとはしなかった。余所者と接触するのを極端に恐れるような、閉鎖的な気配が漂っている。


 そんな空気のせいか、中央の広場から聞こえる親子喧嘩の声は、ずいぶんと場違いに感じられた。


「こら、いい加減に下りてきなさい!」


「いや、ここきもちいいんだもん。おかあさんもくれば?」


「馬鹿言ってないで、落ちたら怪我じゃすまないのよ!」


「おちないもーん」


 村の中央にそびえる巨木の太い枝に、サヤと同年代の少女が腰掛けている。ブリギット系は赤髪と金髪が大半を占めており、フォースラヴィルやバレルが位置する西部では後者の割合が多い。親子も例に漏れず、金色のふわっとした毛が風に揺れている。


 木登りをする娘に困り果てている母親が、ユウリスたちに気付いて目を瞬かせた。


「あら、こんにちは。お客さんなんて珍しいわ。フォースラヴィルから?」


 刹那、ごう、と土煙を巻き上げるほどの突風が吹いた。同時に、頭上から悲鳴が響き渡る。体勢を崩した少女が、高い枝から腰を滑らせた。


 母親が悲鳴を上げ、オスロットが慌てて動きだす。


 ウルカも助けに入ろうと身構えるが、弟子の身体に灯る青白い炎を捉えて動きを止めた。


 誰よりも早く踏み込んだユウリスが、無意識に唱える。


「闇祓いの作法に従い――」


 破邪の胎動が、身体能力を極限まで高める。土を抉るほどの強烈な脚力で跳躍し、ユウリスは青い閃光と化した。落下する少女を宙でしっかりと抱き留めると、身体を丸めて悠々と着地する。


「よしっ!」


 唖然とする娘にユウリスは「大丈夫?」と微笑みかける。目に涙を浮かべる母親に子供を返した頃には、清廉な波動は自然と消え失せていた。


「娘を助けて頂いて、本当にありがとうございます。ああ、もう、この娘は本当に心配ばかりかけて!」


「おかあさん、いま、このおにいさんとんだよ!」


「そんなことより、まずはお礼を言いなさい!」


 母親に叱られて、口を尖らせる娘。どこにでもある親子の景色が急に尊く思えて、ユウリスは胸を詰まらせた。自分も忌み子でなければ、こんな風に母と過ごせたのだろうか――それが義母であれ実母であれ、叶わぬ夢だとは自覚している。


「おにいさん、ありがとうございました!」


「どういたしまして。でも、お母さんの言うことは聞かないと駄目だよ。落ちたら、すっごく痛いんだからね?」


「へいきだよ。みてみて、まえにおちたときのけが、すぐになおったもん!」


 得意げに袖を捲ろうとした少女の腕を、母親が鬼気迫る表情で掴んだ。ユウリスばかりか、オスロットとウルカまでもがぎょっとするほどの勢いだ。


「おかあさん、いたい!」


 少女が勢い任せに、母親の手を振りほどく。その瞬間、袖が捲れた彼女の腕にユウリスは息を呑んだ。細く伸びた白い肌の一部分だけが、灰色にひび割れている。まるで石でも張りついているかのような乾いた痣に、ウルカも気がついて目を細めた。


 そこに、遠くから駆けてくる姿がある。少女が、おとうさん、と大きく手を振って呼びかけた。その男性は黒い祭服に身を包んでいる。首からダーナ神教のしるしをかけた、中年の司祭だ。


「大丈夫かい、いま落ちたように見えたけど⁉︎」


「ええ、怪我もないわ。親切な旅の方が助けてくださったから」


「それは本当に助かりました。私からもお礼を言わせてください、ありがとうございます。僕はブレグ村の司祭でジョエル――」


 娘の無事に安堵した司祭は改めて旅人に向き直り、そして言葉を失った。


 大陸全土でも珍しい、黒髪の少年がいる。


 年の頃は十代の半ば。


 十四年、いや、十五年前の出来事が脳裏を過ぎり、司祭は眩暈めまいを覚えた。そんなかつての友を、ジェイムズ・オスロットが憤然と睨みつける。


「ジョエル・ヘルバーグとでも名乗るつもりか、サイモン!」


「どうして、その名を……いや、まさか、お前、ジェイムズ!?」


 司祭はいまにも泣き崩れそうな表情で、やがてすべてを悟ったように項垂れた。不安そうに父親を眺める少女を母親が抱きかかえ、なにかを察したように夫へ呼びかける。


「あなた、お知り合いなら家に招待してさしあげましょう?」


 妻の提案に司祭は戸惑とまどい、瞳を揺らした。しかし他の村人から遠巻きに向けられている好奇の視線に気がついてしまえば、渋々とでも首肯するしかない。


 サイモン・ウォロウィッツ、あるいはジョエル・ヘルバーグと名乗る男は、目の前に佇む黒髪の少年を正面から見据えた。


「ユウリス・レインなのか?」


 しっかりと頷いたユウリスの頬を、ぽつりと冷たいしずくが打った。


 いつの間にか空は黒い雲に覆われており、すぐにどしゃぶりの雨が降りはじめる。大地を叩く滝のような轟音が、司祭の漏らした悔恨かいこん嗚咽おえつを、濁流の勢いで呑み込んだ。

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