02 サヤの告白


「ウルカ!?」


 ユウリスは思わず、顔を強張らせた。


 師であり、怪物狩りの専門家、≪ゲイザー≫のウルカ。

 彼女が助けに来てくれた、という考えは浮かばない。


 緊張を孕んだユウリスの声に、カーミラも眉をひそめる。


「あの女、ユウリスを捜しに来たのかしら?」


「いや、たぶんそうじゃない」


 ウルカの視線がユウリスを捉えた。それは厳しい師の眼差しではなく、獲物を発見した狩人の目。


「あんな目で俺を見るなんて!」


 ユウリスは本能で危険を察知した。遅れて屋外から顔を覗かせた白狼も、厄介な相手を敵にまわしたとばかりに目を細める。


「もし、あの騒ぎがチェルフェの仕業だったとしたら――」


 日中、シオン自然公園付近で起こった火事、密猟業者が怪物に焼かれた事件、現場付近から逃げた少女、ユウリスはそれがチェルフェとサヤのことではないかと恐れていた。


「ウルカは公爵家に雇われた闇祓いだ」


 話を聞く限り、非は人間の側にある。それでも市が、怪物退治を決断する可能性は捨て切れない。依頼を受けたウルカが、闇祓いとしてチェルフェを追跡して来たのだとしたら――最悪の展開だと、ユウリスは背筋を寒くした。彼女は人間を害する怪物に容赦はしないと公言してはばからない。


「カーミラ、サヤ、逃げよう!」


「おにいちゃん?」


「え、ユウリス、どういうことよ?」


「ウルカの狙いはチェルフェかもしれない!」


 ユウリスはサヤの背中に腕をまわし、一息に持ち上げた。彼女が抱える怪物の幼体が、楽しげに鳴き声をあげる。カーミラは重ねて説明を求めてくるが、いまは時が惜しい。まだウルカとの距離が開いているうちに、目的の洞窟まで辿り着かなくてはいけない。


 行こう、と力強く口にして、ユウリスは駆け出した。


「ユウリス、お願い、ちゃんと教えて。なんであの女が、チェルフェを狙うの!?」


「キーリィ・ガブリフと会ったときの火事、覚えているだろ」


「え、あのときの火事って……」


 箒を大きく振るコボルトに見送られ、ユウリス、カーミラ、白狼が石の街を疾駆する。カーミラも昼間の事件に関係性を見い出し、サヤとチェルフェに目を向けた。


「うそ、もしかして、火を吹いた怪物ってチェルフェなの?」


 キーリィ・ガブリフの秘書は、鱗を無理やり剥がされた怪物の報復が出火の原因だと語った。チェルフェの身体には、大きな布が巻かれている。


「ああ、なんてことかしら。サヤ、チェルフェの布はどうして?」


「……けが、してる」


 現場に居合わせたという少女は、恐らく火事に到る経緯も把握しているはずだ。そして伏し目がちなサヤの反応は、ユウリスの予想が的中していることを如実に表している。


「怪我ってつまり、密猟者にやられたってことよね」


 カーミラは息を呑んで、迷いに瞳を揺らした。


 チェルフェは人を殺した怪物かもしれない。

 それをサヤは承知の上で、危険な怪物を助けようとしている。


 カーミラは犠牲になった人間のこと、怪物の境遇、サヤの想いをおもんばかった。足を止めることはなく、しばらくは途切れ途切れの呼吸だけが石の街にこぼれる。やがて彼女は意を決し、真摯な眼差しをチェルフェへ注いだ。


「わたしは、チェルフェを助けたい。こんなの、やっぱり理不尽よ」


 カーミラの碧い瞳はユウリスへと移り、あなたはどうするの、と視線が問う。


「俺は――」


 ユウリスは短く頷いて、腕のなかのサヤを見下ろした。彼女は表情を曇らせて俯いていたまま、目を合わせようとしてくれない。


「サヤ、まずは何があったのか話してほしい」


「……チェルフェ、しからない?」


「うん、叱らない。でも、事情を聞かないと助けてもあげられない」


 サヤはじっとユウリスを見上げた。息を切らして必死に走る少年の額には、玉のような汗が滲んでいる。石の街に漂う冷淡な空気のなか、彼の熱は心地よい。少女は縋るように、彼の胸に頭をすり寄せた。


「おにいちゃん、ごめんなさい」


「大丈夫、サヤはきっと謝らなきゃいけないようなことはしていない」


「それでも、ごめんなさい」


 サヤは、初めてユウリスと出会ったときのことを思い出していた。それは拒絶からはじまった、少しだけ哀しい記憶だ。しかし彼はすぐに、地上の住人たちよりずっと汚らしい自分を、対等な人間として扱ってくれたばかりか、いまも、全力を尽くしてくれている。


 彼が闇祓いであることに、幼い心は少しだけ不安を感じていた。チェルフェの所業を知れば、退治しようとするかもしれない。そんな懸念を覚えた自分を、いまは恥ずかしく思う。


 大好きなおにいちゃんを信じよう。


 そう決めたサヤは、ぽつりぽつりと昼間の出来事を語り始めた。


「チェルフェとにげたあと、わるいひとたちにつかまって――」


 途切れ途切れに届く、サヤとチェルフェの物語。


 それはおおよそ、ユウリスの予想通りであった。地下で怪物の幼体をかくまっていたことが露見し、親の叱られたサヤ。彼女はチェルフェを連れて、地上の街へと逃亡した。普段は人目につかない路地裏で、鉢合わせてしまったのが密猟者たちだ。我欲に駆られた大人たちは、サヤから火竜の子供を奪い去った。


「おとこのひと、いってた。チェルフェのうろこ、たかく、うれるって。あたし、けられて、なげられて、チェルフェ、とられて……」


 涙ぐむサヤの声に、ユウリスの胸中には煮えくり返るような激情がほとばしった。チェルフェに殺されていなければ、自分が報復に出向いたところだ。瞳に火を宿す彼の頬を、サヤの手が撫でる。


「だいじょうぶだよ、おにいちゃん。もう、いたくないから。ありがとう。あのね、あたし、おとこのひと、おいかけた。それで、まどからみたの。チェルフェのうろこ、はがしてるところ」


 目元の熱を手の甲で拭いながら、サヤは記憶の続きを辿った。


 少女の手が、チェルフェに巻かれた布をそっと捲る。そこの鱗は、一枚だけ消えていた。鱗は着脱可能な装甲ではなく、皮膚の一部だ。無理やりにがされた傷跡が露わになり、内側の肉が露出して赤く膿んでいる。


 痛々しい姿にユウリスも息を呑み、チェルフェは哀しげに鳴いた。


「チェルフェ、いたがってた。ないてた。それで、とても、おこった」


 密猟者はチェルフェの扱いに無知であったのか、希少価値の高い鱗を手に入れて舞い上がったのか――彼らは無惨にも、怒り狂ったチェルフェの火に焼かれた。


「とびら、やけて、こわれて。あたしがはいったとき、たぶん、みんな、たおれてた。くるしんでるひと、まっくろでうごかないひと。あたし、チェルフェをつれて、はしった。けむり、すごくて。ひと、たくさん。こわくて、こわくなって――」


 サヤはチェルフェを服に隠し、無我夢中で現場から遠ざかった。


 逃げた先は再び、ブリギットの地下。


 今度こそ、怪物の子供を親元へ帰そうと。

 幸い、チェルフェは帰り道を知っているようだった。


「チェルフェのおしえてくれたあな、ふさがってた。でもチェルフェ、べつのみち、しってた」


 辿り着いた先は、ドワーフの地下迷宮スットゥング。しかし、その道行きも怪物同士の争いによって行く手を塞がれてしまうことになる。そしてどうしようもなく立ち往生していたところ、救世主のように現れたのがユウリスたちだった。


 サヤの目からぼろぼろと熱い雫がこぼれて、ユウリスの腕を濡らす。


「おにいちゃん、あたし、いけないこ?」


 少女の霞むような声に、ユウリスの胸が震える。違うと否定して、良いことをしたのだと手放しで褒めてあげたい。けれど理性と倫理がそれを許してはくれなかった。


 悪辣な犯罪者でも、犠牲者の気持ちは考えるべきだろうか。彼らにも家族がいるかもしれないと、おもんばらねばならないか。どんな状況であっても、怪物が人を殺すのは罪か。それはこの心優しい少女の涙に、見合う価値観だと胸を張れるのか。


 渦巻く感情を押し殺し、ユウリスは努めて冷静に口を開いた。


「その子のことを思って行動したのは、良いことだよ。でも、チェルフェは人を殺してしまった。例え悪いのが人間であっても、それを許せない人もいる」


「だから、ウルカおねえちゃんは、チェルフェを、ころしにきたの?」


「……そうだと、思う」


 サヤはチェルフェにまわす腕の力を強めた。人を殺すのは、いけないことだ。人と怪物は相容れない。地下世界の生活では怪物を食糧とし、あるいは返り討ちにあって捕食されることもある。


 それでもチェルフェと出逢い、共に過ごした時間はサヤにとってかけがえのないものだった。親に内緒で、洞窟を冒険した。こっそりと外の森へ出かけたこともある。襲ってきた怪物を退け、焼いて食べた。


 長い付き合いではないが、サヤはチェルフェを心から大切な友人だと思っている。


「おにいちゃん」


 喉まで出掛かった願いを呑み込んで、サヤはユウリスを見上げた。自分の行為は、きっと彼に想像以上の迷惑をかけている。地下の住人は自分の力で生き抜かなければならないと、父にそう教えられてきた。難しいことは、まだよくわからない。けれどいまこの胸にある希望は、口にしてはいけないのかもしれない。


 サヤの視界に映るユウリスは、本当にぼろぼろだ。血だらけで、顔色もよくない。チェルフェを助けあげたいという気持ちと同じくらい、彼のことも大切なのだ。


 これ以上、ユウリスに傷ついてほしくはないと、幼い瞳が揺れる。


「おにいちゃん、もう、いいよ」


「サヤ?」


「あたし、ひとりで、いける。チェルフェは、あたしが、おうちに、かえす」


 ユウリスが口を開く前に、横からカーミラの手が飛んだ。サヤの頭が軽快に叩かれ、髪がばさっと広がる。


「ふえ?」


 目を白黒させる少女に代わって、ユウリスが抗議の声を上げた。


「カーミラ、なにするんだ? アルフレドじゃないんだぞ!」


「同じよ、ユウリスのことをちっともわかってない。いい、サヤ。あなた、ここでもういいなんて言われたら、ユウリスがどんな気持ちになると思う?」


「おにいちゃんの、きもち?」


「逆の立場になって考えなさい。ユウリスが苦しいとき、辛いとき、助けようとしたサヤがもういいなんて言われたら、どう思うのよ!?」


 ユウリスが忌み子と呼ばれてさげすまれていることを、サヤは街の噂で聞いた。彼を傷つくことを想うとつらくて、慰めてあげたいと心配になる。


 そんな彼がもし、案じる自分に大丈夫だと笑いかけたらどうだろうか?


 本当は苦しくて、嫌な気持ちを隠されてしまったら。それはとても悲しい。

 どんなことでも、力になりたいのに。


 そこでサヤはハッとして、カーミラの顔を凝視した。


「カーミラおねえちゃん、あたし――」


「わたしじゃなくて、ユウリスに言いなさい」


「うん……おにいちゃん!」


 サヤの澄んだ瞳に、もう迷いはない。ただ万感の想いを込めた声は震えて、それでもはっきりと、少女の願いが紡がれる。


「おねがい、チェルフェをたすけて」


 ユウリスは呼吸を止めた。

 疾走の最中だ、酸素を欲する心臓が痛む。

 だが今はそれ以上に、心が抉られた。


 サヤの葛藤を感じ取る。ただ助けを求めるだけのことに、彼女はどれほど思い悩んだのか。そんな少女の願いが、自分を選んでくれた。胸の内に、熱いものが込みあげる。


 ユウリスは大きく息を吸い込み、力強く頷いた。


「任せて、サヤ。絶対に助ける!」


「ユウリス、あれ!」


 併走していたカーミラが、上擦った声をあげて背後を示した。


 青白い稲妻が、石の家を駆け巡っている。

 屋根から屋根へと飛び移り、猛然と迫る光。


 目つきを険しくしたユウリスが、乾いた喉を震わせる。


「ウルカが来る――!」

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