02 策謀の挑戦状
「クラウ・ソラス」
珍しくウルカの声に反応した白狼が、顔を上げて首肯する。
聖剣クラウ・ソラス。
絡みついた蔦によって掲げられた、一振りのロングソード。
切っ先は
「女神ダヌが地上に遺したと伝わる、
「そう、クラウ。こいつの牙なんて、女神の聖剣にも負けないくらい凄いし、ぴったりのいい名前だろ。だから生意気は余計」
はにかむユウリスの脚に、クラウという名前を与えられた白狼が擦り寄る。
……、……。
「ほら、クラウはちゃんと気に入ってくれているんだから」
「そしてお前になついて、私に冷たいのが納得いかない」
白狼に名前を与えることを提案したのはウルカ自身だが、ふたりの絆は、子供と動物という視点から見ても不可思議なものとして映る。
魔獣は、決して人間にはなつかない存在として知られていた。
長い歴史のなかで人目に触れない例外はあったのかもしれないが、しかし通説が目の前で覆されていることには驚きを禁じえない。
「だがその本を引っ張りだしている理由は別だな? お前、またブリギットの剣と指環について調べているだろう。レイン公爵から、勝手に動くなと言われたのを忘れたか?」
「だって気になるんだ、しょうがない。それに俺も無関係じゃなくなった。いまもどこかに潜んでいる黒幕は、俺が指環を隠したって嘘を信じているかもしれないんだ」
ブリギットの剣と指環は、
「他に黒幕がいるかもしれないというのも、いまは確証がない。あくまでレイン公爵の推測だ。下手に動くと、藪をつついて蛇をだすことになるぞ」
「そのレイン公爵――父上が嘘なんかつくから悪いんだ。死にかけた俺を助けるためだったのは聞いたけど、よりにもよってブリギットの指環をユウリス・レインが隠しているなんて、ほんと信じられない。もし≪リッチ≫を操るような黒幕が潜んでいるなら、なにも知らずにいるほうが危険じゃない?」
「困った奴だ……それで、なにか進展は?」
問われたユウリスは首をすくめて、渋面をつくった。
神話の武具――その探索は、真面目に取り組むほど気が遠くなる作業だ。そもそも狙われている剣と指環が実在しているのかも疑わしい。分厚い図鑑一冊に掲載されているだけでも、伝説の装備は覚え切れないほどの数がある。
「正直、
「クラウ・ソラスが、ヌアザの剣に置き換わることがある。そこにダグザの大釜を加え、至宝ならぬ、
「もちろん本を漁ったよ。ルーの槍が呪われたっていう、邪霊の三神器もね。今のところいちばん近いのは、ヌアザの剣かな。不敗の剣ヌアザ。所持者に勝利をもたらす必殺の剣。敵の命を吸って力に換えるってあたり、聖女アメリアの伝説に似ていると思うんだ」
しかしヌアザの剣は、大剣であると記載されている資料もある。ブリギットの剣は、伝承通りならば短剣だ。加えてヌアザは、西に同名の大国が存在する。他国の名を冠した武器が、ブリギットの剣と呼称されるのには違和感があった。
また武器一つとっても有名であるほど、逸話や解釈は多岐に渡る。それが一つの答えを求めるユウリスの混乱を招き、調査を遅々とする要因でもあった。
「そうか。まあ、気長にやれ。どうせ雲を掴むような話だ。公爵も忠告していたが、剣と指環について、お前を探る者がいれば報告をしろ。下手に自分だけで動こうとするなよ――と、時間だ。また明日な、ユウリス」
「……また明日?」
ユウリスは怪訝そうに眉を寄せた。
今夜の帰りがどうであろうと彼女の勝手だが、そんな気の利いた挨拶をしてくることが不自然だ。そそくさと立ち去ろうとしたウルカだが、訝しむ少年の表情に気づいて肩を竦めて見せた。
「レイン家の面々は癖が強い。特に夫人とあの坊やには極力、関わりたくないんだよ」
あの坊や――ハッとしてユウリスは振り返った。
取り巻き三人を連れた
いまならウルカに同行して、難を逃れることができるかもしれない。頼み込もうとして視線を戻すが、すでに彼女は声の届かないところまで遠のいていた。
「……ほんと性格悪い」
いや、声は届いているらしい。
肩越しに振り向いたウルカに、じろりと睨まれる。
舌を出して応じたユウリスは、苦肉の策を講じた。
寝たふりでやり過ごせないものかと、白狼の背に横たわる。
相棒の魔獣から呆れた眼差しを向けてられても、背に腹は変えられない。
「あんな調子で近づいてくるなんて、どうせロクな用じゃない。悪夢の方が百倍マシだ!」
庶子であるユウリスと、嫡男であるアルフレド。
二人は腹違いの
年はユウリスが一つ上でも、婚外子の立場は弱い。
アルフレドはユウリスのことが気に入らないようで、なにかと因縁をつけてくる。始まりはもう覚えていないが、最近の火種は
二人の関係は
「ユウリスッ! 狸寝入りなんか無駄だぞ、あの怪物女と話しているのを見ていたんだからな!」
喧嘩腰なアルフレドの声に
沈黙を貫いても、何度かは蹴られるかもしれない。だがそれで済むのなら儲けものだ。やり返して泣かせでもしたら、更にひどいことになる。息子を命同然に可愛がる
覚悟を決めて、腹に力を入れる。
しかしいつまで経っても、衝撃は訪れなかった。
「…………?」
うっすらと目を開けると、アルフレドの真っ青な顔が見える。唇をわなわなと震わせ、瞳は焦点があっていない。オールバックの金髪は少し乱れ、小憎たらしい表情には恐怖の色が浮かんでいる。いまにも倒れそうになるレイン家の嫡男を、取り巻きの三人が後ろから支えていた。
「――まさか!」
ユウリスが飛び起きてみると、白狼が冷たい眼差しで
アルフレドの脚は、がくがくと震えていた。
「ひ、卑怯だぞ、ユウリス、その犬をなんとかしろ!」
涙ぐんだ声をだす義弟の姿は、さすがに
「取り巻きを連れてくる奴がよく言うよ」
悪態を吐きながらも、ユウリスは手をかざして白狼を落ち着かせると、大丈夫だから、と告げて背中の毛を撫でた。
――――。
それでも魔獣は、最後にもう一度だけアルフレドを睨みつけた。
自分の相棒に手をだしたらタダではおかない、そんな意思が見て取れる。
白狼は、それから何事もなかったかのように、読書へ戻っていった。
そんな様子に目を輝かせるのは、アルフレドの取り巻きであるミックだ。肥えた身体を左右に揺らし、わあ、と目を輝かせる。
「すごいね、ユウリス。その白い狼って、本も読めるんだ!」
「おい、ミック。なんでユウリスなんかに親しげにするんだ。お前は僕の子分だろう!」
「えー、だって、アルフレド。ユウリスは良い奴だよ。入院してるときに、何度もお見舞いにきてくれたんだ。しかもオーモンの実だよ。すっごく美味しかったんだ。狼の話も、たくさんしてくれたんだよ」
「お前が入院したのは、そもそもユウリスのせいだろう。なに食い物でつられてるんだ。だいたい僕だって、見舞いに行ってやったろうが!」
「アルフレドは手ぶらだったじゃん」
ミックは、つい最近まで入院生活を送っていた。春先の事件で、ユウリスが彼を骨折させたのが原因だ。
「あのときはありがとう、ユウリス」
「いや、なんかこじれてごめん」
見舞いは謝罪を兼ねており、ユウリスも一度で済ませるつもりでいた。アルフレドの命令とはいえ、ミックには痛めつけられた過去もある。しかし話しをすると、彼は気の良い男だった。骨折に憤ることもなく、かつての暴力について謝罪までしてくれた。
義弟には秘密だが、いまでは道端で雑談するくらいの良好な関係だ。
「とにかくだ、ミック。僕とユウリス、お前はどっちの味方だ!」
「んー、それはもちろん、アルフレドだよ」
「はっ、見たか、ユウリス。お前は友達もいない哀れな奴だ。ランドロフ、リジィ、お前らには聞くまでもないな。五対一でお前の負けだ!」
「四対一だろ」
アルフレドと取り巻き三人で、計四人。白狼を除けば、ユウリスを含めて五人だ。嘆息混じりに指摘してやると、義弟は視線を逸らして鼻を鳴らした。
このまま白狼を散歩に連れて行くとでもいえば、逃げ出させるだろうか。
しかしそんな甘い幻想は、すぐに打ち砕かれた。
「ユウリス、お前に勝負を申し込む!」
「え、嫌だ」
ユウリスが反射的に拒否する。
アルフレドは顔をくしゃっと歪めて、苛立ちを露にした。
「なんで即答なんだ!?」
憤るアルフレドの耳元に、ミックがそっと顔を近づける。
「まあまあ、ユウリスだっていきなり勝負なんて言われたら困るよ。それより、アルフレド……」
するとアルフレドの表情は、すぐに明るくなった。ニヤリと唇の端をつり上げる様は、不気味さすら感じさせる。そして彼は懐から取りだした二枚の封筒を、ユウリスに突きつけた。それは明日、開催される舞踏会の招待状だ。
「一枚はカーミラへの贈り物だ。本来なら僕がカーミラを誘って、舞踏会に行くところだが――」
「どうせ断られるよ。リジィと行けよ。喜ぶぞ」
「うるさい、最後まで僕の話を聞け。だいたいなんで、断られる前提なんだ!」
あまりにもうるさくて、つい義弟の神経を逆撫でするような態度をとってしまった。こうなるとユウリスには両手を上げて謝罪し、唇を引き結ぶしかない。最後まで聞くよ、と態度で示した。しかしアルフレドの怒りは収まらない。
「この、僕を馬鹿にしやがって!!」
顎に固い皺を寄せ、馬鹿にされたと憤りから拳を振り上げるアルフレド。しかしミックがすかさず耳打ちすると、義弟は渋々と腕を下げた。
「もう一回言うぞ、僕との勝負だ。万が一、なにかの間違いでお前が勝つことがあれば、この招待状をくれてやってもいい。どうだ、ユウリス。まさか逃げないだろうな?」
カーミラと舞踏会。想像すれば、楽しいとは思う。彼女は少し気が強く、女王様気質な少女だ。けれど気遣いも細やかで、ユウリスにもよくしてくれる。三つ編みにしている赤毛や、勝気な碧い目も可愛らしい。
「どうなんだ、ユウリス。僕に負けるのが怖いのか?」
「…………」
口に出したことはないが、ユウリスもカーミラのことは憎からず思っているし、いっしょにいられるだけで嬉しい。彼女と過ごした日は、居場所のない家へ帰る足取りも軽かった。
一方で、負い目もある。
ユウリスは街で忌み子と蔑まれている。カーミラの親や友人は、彼女が自分といっしょにいることを快く思っていない。舞踏会のような目立つ場所へ二人で赴けば、彼女はきっと好奇の視線に晒される。
「おい、ユウリス。さっさと答えろ――って、なんだミック、え、いや、違うよ、僕はちゃんと言ってるのに、ユウリスが返事をしないんだ!」
アルフレドのカーミラに対する想いは真剣だ。どれだけ袖にされても、彼女を諦めない。この勝負を受ける資格が、自分にはあるだろうか。
ユウリスは迷いを抱いた。
男ならアルフレドからチケットを勝ち取り、彼女を誘いに行くべきだ。それを
「ああもう、なんなんだ、お前。僕とは口も利きたくないのか。イライザとは最近、よく話しているくせに。市庁舎の件、調子に乗るなよ。お前が余計なことをしなければ、僕が領邦軍を率いて父上を助けに行っていたんだからな!」
「アルフレドの勝ちでいいよ」
「よし、じゃあ勝負の内容を説明するぞ――って、は?」
ユウリスは勝ちを義弟に譲った。呪われた子供として嫌われる少年に、才色兼備なカーミラは高嶺の花だ。不戦敗を口にした瞬間は、胸がずきりと痛んだ。それでも闇祓いの修行があるのだと自分に言い聞かせて、ユウリスは言葉を重ねた。
「だから、俺は負けでいい。その招待状はアルフレドのものだ。口添えまではしてやらないけど、応援してるよ。楽しめるといいな」
「なっ、ば、馬鹿、お前――」
いつもなら臆病者と罵るアルフレドが、なぜかユウリスを案じる気配を見せた。そればかりか表情と声に、怯えの色が浮かび上がる。取り巻き三人も、ぎょっとして顔を強張らせた。ユウリスも遅ればせながら、嫌な予感に襲われる。
「……そういえば、アルフレドがわざわざ俺に勝負をしかける理由、ないよな」
招待状があるのだから、黙ってカーミラを誘えばいいのだ。勝負という面倒な回り道は、理屈に合わない。
ユウリスの脳裏に、疑問の答えが浮かぶ。
義弟がすでにカーミラを誘い、断られていたとしたら――この勝負はいったい、誰に仕組まれものか。先程からアルフレドに耳打ちするミック。いつもの義弟は、取り巻きの助言を素直に聞き入れる器ではない。
あらゆる状況証拠が、ユウリスに最悪の結論を導かせた。
「ミック、なんで脚をぴったり閉じているんだ?」
まるで背後に誰かを隠しているようだ。
ミックは聞こえなかったふりをして、口笛を吹きはじめた。
ユウリスの胃の奥がぎゅっと締めつけられる。こみ上げる不安。心臓の動悸が、早くここから逃げろと急かす。しかし遅かった。
四人の背後から、怒気を孕んだ少女の声が聞こえる。
「もういいわ、どきなさい! どいて!」
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