14 死霊の恩讐

『レイン、レイン、レイン、レイン、レイン――!』


 どれほどの恨みつらみを抱けば、これほどの闇を声に宿せるのだろう。それが自分に連なる家名へと向けられていることに、ユウリスは戦慄せんりつした。


「レイン――父上、いや、公爵家を恨んでいる?」


「もう自我も残っていないようだ。恨みだけで動いている、哀れなものさ。いちいち気にするな、爵位持ちなんてものは知らない間に恨みを買う。貴族絡みの依頼は金払いもいいが、根も深い」


「ウルカって、やっぱりがめついよね」


「生きていくのには金がいるんだよ、お坊ちゃん。いいか、左右から同時にしかけるぞ。距離が開いたままでは、魔術を使えない私たちが不利だ。距離を詰め、詠唱の隙を与えるな。魔力を暴発させるくらいの雑な攻撃は、根性で耐えろ」


「目を見ると動きが鈍る」


「気合の問題だ。比喩ひゆではなく、本気だぞ。圧に屈するな、逆に睨み返して敵の動きを鈍らせろ」


「無茶言うな。俺、もうそんなに力が残っていないと思う。足手まといになるって感じたら、父上たちを助けに走るよ?」


「いい判断だ、体力に気を遣え。目の前で倒れられても、助ける余裕はないからな」


 白狼が瓦礫に爪を擦らせて、そのときには自分が助けると主張する。


 ――、――!


「ありがとう、白狼」


 ユウリスを挟んで、左右にウルカと白狼が佇み、自然と呼吸が重なっていく。


 同時に階下では、領邦軍と警官隊の突入作戦が火蓋を切って落とされた。大勢が雄叫びを上げて雪崩れ込み、暴れ始めたゴーレムと突入隊の攻防がはじまる。人質の議員や貴族の悲鳴や怒号、戦いの振動が市庁舎を震わせた。


『レイイイイイイイイイイイイイイイイイン!』


 理性を失った≪リッチ≫の狙いは、セオドア・レイン公爵に絞られていた。怪物の胸元に魔力が集中する。


 日は、もう完全に沈んでいた。散乱したシャンデリアに灯る、夜光石の淡い光。仄かな暖色が室内に満ちるのを契機とするように、闇祓いの師弟と、白狼が動く。


「ユウリス、行くぞ!」


「白狼、行こう!」


 破邪の力を発現させた二人の闇祓いが走り出し、呼応するように左右へ分かれた。


 ユウリスの傍らには白狼が並び、少年と魔獣の呼吸が一糸乱れずに重なる。


 ≪リッチ≫は構わず、練り上げた魔力の矛先をレイン公爵に定めた。しかしその力が放たれるより早く、ウルカとユウリスの剣が≪リッチ≫を挟撃きょうげきする。さらに白狼が魔術に正面から立ち向かい、野生を開放して牙を剥いた。


 ――――ッ!


 魔獣が白い歯牙を煌かせ、魔力の塊に喰らいつく。

 

 しかしユウリスの短剣は、≪リッチ≫が振るう紫煙の腕に阻まれた。


 闇祓いの刃と邪念が拮抗する。


 一方のウルカは、邪悪な揺らぎを鮮烈に断ち切ったが、刹那に驚嘆の声を上げた。


 ≪リッチ≫が放つ魔力の波動に、白狼が食らいついている。


「魔力喰い――!」


 白狼の牙が魔力を吸収し、自身の力へと還元していく。


 魔術の構成が急速に失われていくのを察した≪リッチ≫が、残った力を魔獣の口内で暴発させた。破裂した魔力の直撃を受けて吹き飛ばされて白狼が床を転がり、最後は瓦礫の山に衝突して倒れ込む。


「白狼!」


 魔力爆発の余波で後退したユウリスは、思わず白狼へ駆け寄ろうとした。しかしウルカの教えが、それを踏み留まらせる。未だ、守るべきものは危険のなかだ。振り向く先では、闇祓いと魔導王の攻防が続いている。


「どうした魔導王。私の知る≪リッチ≫は、追い詰められてもこんな無様を晒しはしなかったぞ!」


 ウルカの猛攻は凄まじく、≪リッチ≫は鋭い剣撃けんげきを捌くことで手一杯だ。破壊の魔力で反撃を試みても、片腕の不利をものともしない彼女の一撃が、次々と闇の光線を打ち払う。


 ユウリスはその隙を見逃さず、闇祓いの力を全身に漲らせた。


 思い描くのは、常に理想の一撃。


 身体の動かし方、剣の振り方――夢想のなかにある、究極の一撃。破邪の力で強化された肉体ならば、その理想は現実に体現できる。


 ユウリスは、力強く跳躍した。


 背後から迫る少年の気配を察した≪リッチ≫が、苛立つように声を上げる。


『ぬううううううう、うわあああああああああああああああああああああああ!!』


 二人の闇祓いを遠ざけようと、余力も構わずに引き起こされる全方位への魔力暴発。その気配に、白狼がよろけながら身を起こした。邪な胎動を食い止めるため、無声の雄叫びが放たれる。


 ――――――!


 闇祓いの力とは似て非なる、邪気を掻き消さんとする清廉せいれんな波動。


 それは≪リッチ≫の悪辣あくらつな精神を完全に滅却めっきゃくするほどではないが、しかし嵐のように膨れ上がろうとしていた闇の波動を調伏ちょうふくするだけの力を秘めて――魔導王の禁じ手が、不発に終わる。


「≪リッチ≫!」


 無防備となった≪リッチ≫の頭上から、ユウリスが舞い降りる。


 蒼白の軌跡を描いて振るわれる、闇祓いの刃。


 渾身の一撃は、≪リッチ≫に残存していた頭蓋から背骨までを一息に断ち切った。もはや人骨の原型も失われ、怪物から覇気が薄らぐ。


『お、おお、おお、おおお、あああ、あ、あ、あ、れい、れい、レ、イン――!』


 亡者の嘆きが、虚無へと還る。


 その刹那、レイン公爵とキーリィが退路を確保しようと窓際の破片を押しのけたことで、瓦礫の倒れる轟音が木霊した。逃げようとする公爵の後姿を認めた瞬間、消えかかっていた≪リッチ≫の眼光が爛々らんらんと燃えあがる。


 直感的な悪寒を感じたウルカが、骸に剣を突き立てた。しかし闇祓いの光が届く寸前、死屍ししから離脱した≪リッチ≫の怨念が、レイン公爵へと飛びかかる。


『―――――――――――!』


 もはや人の言葉ではない、怨嗟の情動だけで空気を震わせるような、怪物の叫び。


 ウルカが闇祓いの秘儀を放とうと、手のひらを向けた。しかし二度目の酷使には腕が耐えられず、不発のまま膝をつく。


 一足飛びに追いすがろうとしたユウリスは土壇場で力尽き、前のめりにたたらを踏んだ。


 白狼も瓦礫を蹴って矢のように迫るが、届くには一息足りない。


「レイン公爵ッ!」


 キーリィ・ガブリフが、両手を広げて公爵を背に庇う。


 眼前まで攻め寄っていた≪リッチ≫の思念が、不意に動きを鈍らせた。キーリィの強い眼差しが、陽炎かげろうのような存在となった怪物の眼光と交錯こうさくする。


 次の瞬間には、≪リッチ≫の怨念が若い議員の身体を覆い尽くしていた。


「うわあああああああああああああああああああああああああ!」


 殺意にまみれた思念に精神を蝕まれ、キーリィが白目を剥いて崩れ落ちる。


 もはや阻むものはなく、邪悪な執念は今度こそ本命の獲物を捉えた。


 セオドア・レインが、覚悟を決めた表情で対峙する。


『――――レ――――れ――――ン――――い――――――――ん――ッ!?』


 憎悪が悲願を達せんとしたまさにそのとき、白狼の高潔こうけつな牙が≪リッチ≫に真横から喰らいついた。キーリィ・ガブリフの稼いだ僅かな空白が、運命を決したのだ。


 白狼の牙からこぼれ、そのまま土埃のなかへ溶けていく魔導王の残滓ざんし


 ≪リッチ≫の怨念が跡形もなく消え去り、場を支配していた闇の気配が遠ざかる。


「父上――!」


 ユウリスは声を上げ、ウルカと共に駆け寄る。


 セオドアは呼吸のないキーリィを抱きかかえて、力強く呼びかけていた。


「キーリィ・ガブリフ、しっかりするんだ! こんなところで死んではならない!」


「父上、キーリィ……」


 ユウリスが不安そうに視線を投げた先、ウルカの陰鬱いんうつとした表情が、最悪の結果を連想させる。


 苦悶に満ちた表情で顔を上げたセオドアが、息子と闇祓いの女傑へ交互に視線を送った。


「ユウリス、無事でなによりだ。ウルカ殿、ガブリフ議員にはまだ息はある、なんとかなるまいか?」


「息がある、だと? はっ、この男は幸運だな。あの怨念に晒されて命を失わなかったか。時間との勝負だ、教会へ連れて行け。私では霊薬を精製している間に手遅れになる。ブリギットの大聖堂なら、浄化の秘薬を常備しているだろう」


「下はまだ混乱が続いているようだ。ユウリス、ウルカ殿、護衛を頼めるか?」


 階下の騒音は未だ終息の気配を見せない。


 主を失ってもなお稼動し続けるゴーレムと、突入部隊の激戦が続いている。混乱に輪をかけるように、窓の外から阿鼻叫喚が木霊した。


 ユウリスは窓の外を覗き込んだ。


 土の巨人が、無差別に市民を攻撃しはじめている。


「ウルカ、あれ!」


「ゴーレムの制御は、主人の生死に関係なく続いていくはずだが……自分が倒されたときには、無差別に街を破壊しろという命令でも仕込んでいたのか。だがユウリス、お前はもう戦える状態じゃない。そして私が助けられるのは、どちらか片方だけだ」


 レイン公爵とキーリィの護衛を遂行するか、民を助けるためにゴーレムと戦うか。


 ウルカの瞳に迷いは無く、既に決意は固められていた。彼女が続けようとした言葉を察したかのように、公爵が先んじる。


「ブリギット公領の盟主、セオドア・レインの名において命じる。≪ゲイザー≫のウルカ、怪物を討ち、市民を守れ」


 それは彼女に選択の重みを負わせない、公爵としての矜持きょうじだ。


 ウルカが重い息を吐きながら頷き、剣を構えて窓枠に足をかけた。

 そして羽織っていた赤い外套を、ユウリスに差し出す。


「これはお前が倒した、≪スペクター≫のマントだ。試してみたが、ゴーレムを完全に誤魔化せるほど気配は消せない。だが熱を隠して、存在を希薄にすることはできる。三人でマントを被って、この部屋に立て篭もれ。ゴーレムは二階までは上がってこないだろうが、念のためにな」


「ならこれをなんとか使って、俺が二人を外へ連れていけば――!」


「駄目だ。その男の次に重症なのはユウリス、お前だ。闇祓いの力を酷使した反動は大きい。その状態で脱出を任せるには、実績も経験も圧倒的に不足している。最悪、お前も死ぬことになる。心配するな、首を落とすか、額にある文字を削るだけだ。すぐに戻る」


 話している時間も惜しいと、ウルカが窓から身を乗り出した――瞬間、ユウリスの手にしていた外套が、凛々しい牙に奪われた。続いてウルカの身体が、白い毛並みに押しのけられる。


「……え?」

「……は?」


 揃って間抜けな声を上げる師弟を横目に、白狼が口と前脚で器用に赤い外套を首に纏う。白い獣が、少年に得意げな顔を向けた。


 ――――。


 任せろ、そう言わんばかりの眼差しに、ユウリスが思わず手を伸ばす。


「駄目だ、そんなの。お前だってずいぶんとやられて――」


 少年の指が届く前に、白狼は窓から颯爽と身を躍らせた。ゴーレムの襲撃から逃げまどい、混迷極こんめいきわまる群集のなかへ、白い魔獣が舞い戻る。


 ユウリスは窓から身を乗り出して、力の限り叫んだ。


「白狼――!」

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