13 闇祓いの師弟
赤い
――――――――!
「闇祓いの作法に従い――」
「闇祓いの作法に従い――」
白狼が無音のまま雄々しく戦士の
「いつまで、踏んでんだッ!」
拾い上げた短剣に、破邪の光が宿る。
甲冑に包まれた怪物の足首へ、ユウリスは渾身の力で斬りつけた。下敷きにされては踏ん張ることもできないが、腹筋の力で上半身を起こし、身体を捻って腕を振るう。≪リッチ≫の
『小僧オオオオオオオオオオオオオオ!?』
片脚を失った≪リッチ≫が体勢を崩した。身体にかかる重みが軽くなると、ユウリスは残った足底を手で払いのけ、立ち上がろうとし――ウルカの気配を感じて、その動きを寸前で止めた。膝立ちで止まった少年の頭上すれすれを、澄んだ蒼白の刃が
「ウルカ!」
「≪リッチ≫を相手によく生き残った、こんな都市部でお目にかかれる怪物じゃない!」
――――!
ウルカの鋭い一閃と、白狼の
『死ねいッ!』
「≪ゲイザー≫を舐めるな!」
邪悪な
白狼は回避が間に合わないと見て、ユウリスが飛びだす。
「白狼!」
ウルカの宿す破邪の光は、自分の力とは比べ物にならないほど鮮烈だ。まるで夜明けの空のように美しい、純然たる青。彼女と同じ光を体現したいと、ユウリスは強く願った。
それは一秒にも満たない、祈りに似た集中。
ユウリスの短剣に燃える蒼白の輝きが、
――――!
少年に道を拓かれ、白狼が吼える。
鉄仮面に突き立つ、魔力を宿す銀の牙。
食い込んだ犬歯によって、悪魔の形相が一気に瓦解した。仮面の下から現れた髑髏顔の半分が、そのまま噛み砕かれて崩れ去る。
白い毛並みが、しなやかに宙で弧を描く。
反転した白狼の後ろ脚が、≪リッチ≫の身体を渾身の力で蹴り飛ばした。鎧が半壊し、骨を剥き出しにした怪物が、黒い外套を揺らして宙を舞う。そのまま焼かれた楽園の絵画に叩きつけられ、
『うああああ、おおおおおお、ああああああああアアアアアア!』
「魔術を使う隙を与えるな。畳み掛けるぞ!」
ウルカの檄が飛ぶ。
応えて走り出そうとするユウリスの襟を、白狼が咥えた。床材に亀裂をはしらせるほどの脚力で、白い魔獣が少年を口に吊るして跳躍する。≪リッチ≫が動き出すのと同時に、天井すれすれの位置から、白狼が大きく首を振った。
ユウリスの自由が、怪物の頭上で解き放たれる。
ウルカは真っ直ぐに、≪リッチ≫の正面。
「ユウリス、内なる呼吸を聞け! 合わせろ、力の胎動に! 闇祓いの光は純然たる想いにこそ応える!」
「俺のなかの声――闇祓いの作法!」
『おのおおおおおおおおおれえええええええ!』
追撃に気づいた≪リッチ≫が、人の音域ではない絶叫を上げて魔力を暴発させた。ウルカとユウリスは同時に蒼白の刃をかざし、波及する邪悪な衝撃を打ち払うが、白狼だけは防御が間に合わず、闇の波動によって弾き飛ばされてしまう。しかし荒々しく鼻を鳴らした魔獣は、叩きつけられる寸前で壁に四肢を広げて踏ん張った。
――――!
悠然と持ち堪え、ユウリスを鼓舞するように白狼が空気を震わせる。
「私に合わせろ、ユウリス!」
「ウルカ!」
肉薄したウルカの剣が、≪リッチ≫の胸深くにある核を貫いた。
さらに落下と共に雄叫びを上げるユウリスの刃が、残った
『ぬわああああああああああああああアアアアアアアアア!?』
≪リッチ≫が叫んだ。
心臓部を刺され、半壊した骨の身体が床へ崩れ落ちる。外套と鎧が砂となって消え、みすぼらしい
『まだだ、まだ、まだ、まだああああああああああああああああああ! レイン! レイン! レイン! レイン!』
≪リッチ≫が残された片腕を掲げた。
床を這う黒い影が蛇のようにうねり、セオドア・レイン公爵へと迫る。
「父上が!?」
「わかっている――くそ、修繕費は経費だぞ!」
悪態をつきながら、ウルカは
オリバー大森林で起こった事件の傷が癒えておらず、本来ならば≪ゲイザー≫の秘儀を扱うには程遠い状態だが、いまは余裕がない。
少年の
「
ウルカの手のひらから伸びる幾筋もの青い線が、貴賓室の床全体へと拡散した。
≪リッチ≫の放った黒い蛇が、公爵の喉下へ噛みつこうとした刹那、部屋中に波及した青い軌跡がまばゆい輝きを放つ。そしてユウリスが立っていられないほどの振動が発生し、轟音と共に貴賓室は崩壊をはじめた。
壁が割れ、足元が砕け、黒い蛇は無差別に放たれた闇祓いの秘儀に呑まれて霧散する。三階部分の大半が階下へと崩落し、市長の悲鳴がひときわ大きく木霊するなか、ウルカが落ち着いた声を通した。
「ユウリス、公爵を白狼に助けさせ――と、いや、あの
「こんなの俺がダメだ、落ちるよ、いったいなにしたんだ!?」
「助けてやったんだ、望み通りにな。しゃべると舌を噛むぞ、着地に集中しろ!」
「他にやり方ないの!?」
「学べ、これが私のやり方だ!」
横滑りに落ちていく足場のなかでも余裕を見せるウルカと、混乱して姿勢を保つのがやっとのユウリスの姿が、
≪リッチ≫も巻き込まれたはずだが、所在は知れない。
市長は気絶した議長を担ぎ、白狼が割った窓によじ登って落下を免れていた。公爵とキーリィは誰の手を借りることなく、自力で二階へと着地する。
あわや瓦礫の隙間に挟まれそうになったユウリスは、ベルトを白狼に引っ張られて救出された。そのかたわらに剣を構えたウルカが佇む。
「ありがとう、白狼」
「立て、ユウリス。まだ終わっていない」
「――ウルカ、その腕!」
闇祓いの秘儀を行使した彼女の片腕は、見るも無惨な有様に
立ち上がって手を伸ばそうとするユウリスを、ウルカが強い口調で
「ユウリス! 何度も言わせるな、武器を構えて神経を研ぎ澄ませ!」
「でも――!」
「闇祓いの道を志すなら、心を乱すな。どれほど強い力を得て、経験や知識を重ねたところで、扱う意思が弱ければ、己が知らぬうちに選択を誤る」
「……ウルカ」
「私が教える最初の心構えだ。優しさは忘れなくていい、だが刃を握る覚悟を胸に刻め。敗北は常に自身の内側から忍び寄る。守るべきものが、お前の背中にはまだあるだろう」
厳しい口調は崩さずに伝えられた、闇祓いの信念。
最初の教えだと彼女は言うが、ユウリスは今日だけで何度、ウルカの言葉に胸を震わされ、勇気付けられたことか。半人前の自分にも彼女は真摯に向き合い、
振り返れば、窓を塞ぐ
「刃を握る覚悟――」
オリバー大森林での戦いが脳裏に蘇る。
影の騎士≪ジェイド≫との死闘。あの時は無我夢中で、逃げ出したいほどの恐ろしさのなかでも、自分がなんとかしなければという想いに突き動かされていた。妖精の犠牲を哀しみ、巻き込まれた知人の無事を祈り、幼馴染の少女に大丈夫だと言ってあげたい、その一心だったことを思い出す。。
「ウルカ、俺にはまだその覚悟がどういうものか、わからないけれど……」
誰かの為だけではなく、なにかがはじまるという予感にも胸が高鳴っていた。
自分は忌み嫌われるだけの存在ではない。俺はここにいる、そう強く胸を張れるものに、手が届く気がした。そのときの気持ちが蘇る。
自然と胸に灯る
闇祓いの火は、冷たく美しい。
「俺、やるよ。ここで膝をついたら、父上やキーリィを助けることができない。ウルカや、領邦軍じゃない――俺が守りたいものは、俺にしか守れない」
「ふん、言うじゃないか。覚悟の形はひとつでなくていい。いま、その胸に浮かんだ強い気持ちを忘れるな。それがお前の、芯になるものだ」
土煙の向こうで、悪意が膨れ上がる。宙をさまよう塵の微粒子が、強い突風と共に晴れた。魔導王を名乗る≪リッチ≫の暴発した魔力が
ウルカは腰を落とし、剣を上段に構えた。
ユウリスも同時に、臨戦態勢を取る。
「さっきウルカが核を破壊したはずなのに……」
「核は所詮、存在を安定させる軸でしかない。無理な現界を果たした≪ジェイド≫や、≪スペクター≫のような小物は心臓部を破壊すれば終わりだ。しかし≪リッチ≫ほどの魔力保有者ならば、存在の確立にまわして、それこそ核を再生させることもできるだろう」
「薄々気付いていたけど、あの≪リッチ≫は相当やばい怪物?」
「≪リッチ≫は本来、膨大な魔力と数々の魔術、それらを驚異的な頭脳で操る強敵中の強敵だ。だが安心しろ。あいつは魔力量も、魔術の質も、そしてなにより戦い方も、私の知る≪リッチ≫には遠く及ばない」
「じゃあ、≪リッチ≫じゃないってこと?」
「いや、おそらく生まれたて、成りたてというのが正しいのかな、つまり≪リッチ≫になってから日が浅いのだろう。≪リッチ≫というのは、人間やエルフが死を超越した先で変異した≪ゴースト≫の上位種だ。だがあの力量では、おそらく死から復活を遂げて、長く見積もってもまだ十数年――いかに怪物といえど、
「絶滅したエルフやドワーフにも、いつか
「余裕が出てきたな。ヒューム以外の人間種族に興味があるなら、そのうち講義をしてやるさ。だがまずは、怪物退治だ」
他の者と同様に、≪リッチ≫も崩落に巻き込まれていた。
半壊した人骨から禍々しい
魔導王は憎悪を隠そうともせず、猛々しく吼えた。
『レイン、レイン、レイン、レイン、レイン――!』
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