10 二つの運命

 三階建てのブリギット市庁舎は石垣いしがき鉄柵てっさくに囲まれ、正門と裏門は固く閉ざされていた。煉瓦れんがの壁にはアーチやレリーフの意匠いしょうが施され、成り立ちを知れば元が劇場というのも納得できる。


 西に傾いた日差しと強い風を受けて、火を司る女神の横顔の旗と、金の菱形ひしがた黒鷲くろわしの旗が赤く染まっていた。屋上でたなびく二つの刺繍ししゅうは、前者がブリギットの国章こくしょうで後者がレイン家の紋章だ。


「とりあえず、敷地のなかには出たけど……」


 屋舎裏手おくしゃうらての茂みで、ユウリスは刻々と沈んでいく夕日を恨めしそうに眺めた。旧地下水道から這い出た先は、市庁舎の用具倉庫だ。幸い施錠はされておらず脱出は容易だったが、柵の外側を巡回するゴーレムに見つからないよう、慌てて茂みに隠れるはめになった。


「いくら熱探知されないって言っても、顔を出す勇気はないな……あれの首を、どう落とせって?」


 目にしたゴーレムは、淡黄色たんこうしょくの巨人だ。大人二人分ほどの体躯たいくは、腕や首も野太い。しがみついても、腕をまわすことすらできないだろう。土の怪物が一歩進むごとに、重い地響きが伝わる。


 どれをとっても、生身の人間が立ち向かえるとは思えない。額にはウルカの説明通り、『E』という記号が彫られていた。


「あんなのが何体もいるのか」


 辟易へきえきとする原因は、ゴーレムだけではない。


 大通りを越えた向かいの公民館には、多くの野次馬が集まっている。うっかり顔をだしたユウリスに気がついたようで、あそこに誰かいたぞ、と大声で叫ぶ者までいる始末だ。


 ゴーレムは一定範囲内まで近づかない限り、攻撃行動は取らないらしい。それでも日没と共に突入作戦がはじまれば、混乱は必至だろう。


「お祭り気分なのかな。領邦軍りょうほうぐんと警官隊が上手くやってくれるといいけど、片方は大将がアルフレドだ。大丈夫かな……」


 ぞくやゴーレムを刺激しないよう、領邦軍と警官隊が市庁舎を取り囲むのは、日没の間際であるとファルマン警部から聞いている。


 そこに群集から飛びだした猫を追いかけて、飼い主らしい少女が大通りに踏み出した。一度は過ぎ去ったゴーレムが身をひるがえし、少女を目標に大股で迫る。思わず身構えるユウリスだが、間一髪、野次馬を抑えていた警官が、猫を抱えた少女を連れ戻してくれた。


「冷や冷やするな。早くなんとかしないと。上手くやれば、父上にも認めてもらえるかもしれないし」


 父であるレイン公爵は、ユウリスに過度な干渉はしてこない。嫡男ちゃくなんのアルフレドは習い事や自主勉強をやらされているが、ユウリスは基本的に自由気ままだ。そんな父だが、ユウリスがウルカの元で闇祓いの訓練を受けることに関しては、なぜだかとしていないような雰囲気ふんいきを感じる。


「ウルカの手伝いをしたいって言ったとき、どうして父上はすぐに頷いてくれなかったんだろう」


 夜の書斎でウルカの手伝いを申しでたとき、父が見せた苦悩の表情が忘れられない。怪物退治は危険だから、と言われるならばそれまでだ。しかし理由も語らずに示された難色と、ユウリスが食い下がった結果、「では、ひとまずやってみなさい」と後ろ向きな了承をされたことが、胸のしこりとなっている。


「だいたい、ウルカを雇ったのだって父上だっていうのに――っ!」


 またゴーレムの足音が近づいてきて、ユウリスは慌てて口を両手で覆った。


 柵の向こう側を通り過ぎるあいだ、土の巨人は周囲を見向きもしない。頭部には目のようなくぼみはあるが眼球はなく、やはり視界ではなく熱のみで対象を探知するようだ。


 ユウリスはそっと茂みを出ると、議事堂の職員たちが使う通用口から建物の内部に入った。


「誰もいない、よな……」


 ファルマン警部からは、議事堂にいた議員たちのことしか聞かされていない。事務職員や警備員の安否が気になる。あるいは彼らが逃げだして、市警へ通報したのだろうか。警備の人間が抵抗をしたとしたら、その結果に思い浮かぶのは悲観的なものばかりだ。


「…………急ごう」


 煉瓦造りの外観がいかんと違い、中は重厚な石の壁だ。


 従業員用の通用口から入ったつもりだが、壁面には半裸の男女や怪物を描いた彫刻が施されている。天井から吊るされた夜光石やこうせきの照明器具もきらびやかな年代物だ。


 昼の間に光を集め、夜になると灯る夜光石は、犯人が要求してきた期限の目安だ。日が完全に沈まずとも、夜光石が淡い暖色を帯びれば、賊は宣言通りに処刑を実行してしまうかもしれない。


「ゴーレムの足音……近いのか?」


 目的はまず三階へ辿り着くこと。


 裏口から進入した場合は、入ってすぐの通路の先に上へと続く階段があるはずだ。事前に見取り図で確認した通り、廊下を進んだ曲がり角の向こうに、階段を発見することができた。


 しかし同時に、足の裏から頭にじんじんと響くような、重い足音も感じる。息を潜めてそっと角から覗き込むと、ちょうど歩いてくるゴーレムの姿が見えた。


「……っ」


 外で目にした巨躯とはまた異なる形態――そのゴーレムは横幅のないノッポで、長い手を絨毯じゅうたんに引きずりながら、前屈みで闊歩かっぽしている。屋外の警備用と、屋内の巡回用で、違うゴーレムが用意されているようだ。


 ここで固まっていても、いずれ鉢合わせてしまう。自分は熱を遮断しゃだんする霊薬のおかげで、ゴーレムには感知されないはずだ。ウルカの言葉を信じて、ユウリスは角から踏み出し階段へと向かった。


 しかしその直後、土の怪物が身体を震わせた。ゴーレムが、ユウリスめがけて突進してくる。


「嘘だろ!?」


 闇祓いの力で応戦するか――いや、そもそも騒ぎを起こしてはいけないのだと考え直す。ユウリスは夢中で階段を駆け上がり、窓からの赤い日が差す踊り場で息をひそめた。


 すぐに追いついてきたゴーレムが、階段の手前で立ち止まる。手すりを土の腕で乱暴に叩いたり、隅を探索する素振りは見せるが、上へ登って来ようとはしない。


 ユウリスには気の遠くなるような時間に思えたが、実際にゴーレムが踵を返したのはすぐのことだった。


「はぁ、焦った……近くで動いたのがいけなかったのかな。でも、これだけ近くても黙っていればやり過ごせるのか。上まで行くのは、なんとかなるかもしれない」


 気を取り直して、踊り場に座り込んでいた身体を持ち上げようとしたとき――上段から忍び寄る影。ハッと気がついたユウリスが、腰の短剣を抜き放つ。夕日を反射した銀の刃は、相手が同時に抜いたロングソードに受け止められた。


 その剣を握る男に、ユウリスは見覚えがある。


「貴方は、キーリィ・ガブリフ議員?」


 首元で結われた癖のある赤い長髪、きりっとした眉、燃えるような紅蓮の瞳の男。年は三十を少し越えたくらいであったかと思うが、青年と呼んでも差し支えないほど若々しい。臙脂色えんじいろの外套は議会の正装だ。上下きっちりと背広を着こなし、ブラウスにも乱れはない。


「そういう君は……ああ、ユウリス・レインだね。いや、失礼。てっきり賊の仲間かと思ったよ」


 端正な顔に驚きと安堵を混在させながら、キーリィ・ガブリフは先に剣を引いて謝罪した。容姿端麗な若き市議員として、市井のご婦人から黄色い声援の飛ぶ彼は、誠実を絵に描いたような人物だ。


 ユウリスが巻き込まれたオリバー大森林の異変でも、事後処理に駆けつけていた。普段は人見知りなリジィという少女が、彼にだけは泣きついていたので印象に残っている。


「てっきり貴方も、他の方々といっしょに捕まっているのかと」


「隙をついて逃げ出してきたのさ。他の議員や貴族たちには悪いが、市長と議長、そしてレイン公爵をなんとしてもお助けせねばならない――ところで言い難いんだが君、少し臭わないかい?」


「下水道を通って潜入して来たからです。俺はもう鼻が慣れてしまったけど」


「あの旧下水道を使ったのか……誰かに会ったかい?」


「ちょっと変わったブリギット市民に」


 口ぶりから、彼が旧下水道の住人たちの存在をほのめかしているのはわかったので、軽い調子で応える。ガブリフ議員は深く追求することもなく、そうか、と相槌を打つのみだ。


 ユウリスはここまでの経緯を手短に説明し、情報を共有した。


 彼は今まで二階を捜索していたそうで、三階の貴賓室きひんしつに公爵たちが囚われている可能性が高いことを知ると、悔しそうに奥歯をかみ締める。


「なんてことだ、時間を無駄にしてしまった。だが君に出会えたのは幸運だ。オリバー大森林の事件はもちろん、日々の活躍も聞いている」


「活躍なんて……街のために尽力している真の闇祓いはウルカです」


「≪ゲイザー≫のウルカ、彼女のことも聞き及んでいるさ。とはいえ、どちらかといえば僕の関心は君にある。レイン家の爪弾つまはじき者だった少年が、騒動に巻き込まれて邪悪な存在を退ける――まるで物語のようじゃないか」


「ドブと怪物の体液を被ってますけどね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る