05 救出作戦

「それ、教会の碑石せきひに刻まれているアメリアの話と違う。荒れた土地を憂いた聖女様が自ら命を断って、ティル・ナ・ノーグでダヌ神に直訴して雨を降らせるとか、そんな内容じゃなかったっけ?」


 グレースの話を聞いて、最初に疑問を呈したのはユウリスだ。自分が住む国の名に、そんな由来があるとは初耳だった。


「そもそもブリギットって、国旗に描かれている火の女神じゃないの?」


 豊穣国ブリギットの国章は、火を司る女神ブリギットの横顔だ。主神ダヌの眷属けんぞくとして、ダーナ神教の聖典にも登場する。邪竜などと吹聴ふいちょうすれば、異教徒扱いされても文句は言えないだろう。それはファルマン警部とイライザも同じようで、興味深そうに相槌あいづちを打つ。


「そうですね、私も子供の頃に聞いたのは、ユウリス様が仰られたほうだったと記憶しております。公爵夫人がお話になったようなことは、はじめて耳にいたしました」


「私も同じよ。でも馬鹿ね、ユウリス。教会の伝承なんて、信者をその気にさせるために捏造ねつぞうされているものなんだから。私がヌアザの大学へ行ったら、そんな聖域にも踏み込んで、真実を暴いてみたいものね」


「でもイライザ、聖女アメリアの家系がレイン家の始祖なんだよね。だったら昔から伝わっている暖炉のアレが、やっぱりブリギットの剣なんじゃないの?」


「さっきも言った通り、犯人は違うと答えたわ。少なくとも、要求されたのは暖炉の剣じゃないってことよ。それに伝説では短剣なんでしょう。あれはロングソードじゃない」


 ウルカだけは地元出身でもないからか、話には加わってこない。新しい紅茶と菓子を使用人に要求している。


 グレースは口元を指先で撫で、眉間にしわを寄せた。


「夫はこの話を、ブリギットの領主が代々継承するのだと言っていたわ。夫――レイン公爵は自分にもしものことがあったとき、私がアルフレドに伝承を正しく継承できるようにと、この話をしてくださったのです」


 グレースがじろりと、ユウリスへ厳しい視線を送った。


 レイン家の跡取りは、実子のアルフレドだという強い意思表示だ。言われるまでもなく、ユウリスは公爵の座に興味はない。


 どちらにせよ家督相続の順列は既に取り決めがあり、ユウリスは兄弟姉妹のなかで一番下だ。しかしこれまでの経験上、何を口にしても義母の反感を買うことは変わらない。


 ユウリスは話を戻すことにした。


「仮にその御伽噺おとぎばなしが事実だったとして、ブリギットの剣と指環は今どこにあるんだろう?」


「ユウリス、あんた少しは考えてからモノを言いなさい。物語の真偽はともかくとして、お母様が知らないというのだから、実際に存在するならお父様が隠し持っているに決まっているじゃない。書斎を漁ってみるのも手だけれど、時間が許すかしらね」


 イライザの調子はいちいち腹立たしいが、それはそうかと少年は頷いた。


 ここまでの話でわかったのは、犯人が要求するブリギットの剣と指環を用意することはできないということだ。けっきょくは潜入して人質を解放するという作戦に戻る。


 そこでユウリスは、古い地図に視線を戻した。


「地下水路も見張られていて使えないのに、どうしてこの地図を?」


 イライザがこれみよがしに指で頭を叩いて見せる。


 少しは脳を働かせろということだろう。


 ファルマン警部が口を開こうとするが、空気を察したかのように閉ざしてしまった。ユウリスは悩ましげに唇を曲げながら、古い地図を間近で覗き込む。


「グレスミア時代の文字が書かれた地図……あ、そうか、もしかしてこの地図に載っているのって、今は使われていない、昔の水路ってこと?」


「さすがにトンチンカンでも、それくらいはわかるみたいね。そう、これは旧時代の下水道。それでも大洪水の頃までは使われていたそうだから、中世の建築技術って侮れないわ。いまの下水道は、被災後の都市再生計画で新しく建設されたものよ。古いものを取り壊さずに残しているのは、少し妙だけれど――そうよね、お母様?」


 イライザから話を振られたグレースは、戸惑うように瞳を揺らした。口元を手で覆うと、地図から意識を背けるように視線を窓の外へ逃がす。


「その旧地下水道を使うのなら、気をつけなさい。そこには闇が潜んでいます」


 闇――抽象的な表現だが、不吉を孕んだ物言いだ。


 ユウリスが真意を問おうとする前に、直立不動で控えていたファルマン警部が険のある声を発した。


「失礼ですが、公爵夫人。旧下水道を使うならば、彼らとの接触は避けられないでしょう。先に斥候せっこうを送り、交渉をすべきです」


「お黙りなさい、ファルマン警部。彼らに交渉など通じるわけがないのです」


「いいえ、職をして申し上げます。公爵閣下の命がかかっているのです。必要な情報はお二人に共有し、その上で彼らにきちんと協力を要請すべきでは?」


「彼らがレイン家の為に力を貸すものですか。それどころか、敵はここからやって来ると賊に密告するかもしれません」


 彼ら、というのが自分たちのことではないと察して、ユウリスは疑問符を浮かべた。ウルカへ視線で問いかけるが、さあな、と短いしぐさが返るのみだ。


 グレースへの反論を続けていたファルマン警部が、とうとう語気を荒らげてぴしゃりと言い放つ。


「ですがユウリス様とウルカ殿には、彼らの事情くらい話すべきでしょう!」


「ファルマン警部、分をわきまえなさい。私はグレース・レインよ。貴方の指図は受けないわ」


「私は警官としても、個人としても、レイン家に忠誠を誓っております。ブリギットに住む全ての者がそうでしょう。ですからどうか、私たちの期待を裏切らないで頂きたい」


「お母様、彼の方が上手よ」


 珍しくイライザが敵にまわって、グレースの旗色が悪くなる。


 公爵夫人は不機嫌そうに唇を引き結び、そのままユウリスへ視線を移した。普段と変わらぬ、憎しみと怒りのこもった眼差しだ。いつもなら目を逸らすユウリスも、今日は耐えるように義母の敵意を受け止めた。


 父を助けるための情報は、一つでも多い方が助かる。なによりウルカの前で、情けない姿を見せたくはなかった。


 先にまぶたを落としたのはグレースだ。ソファから立ち上がり、部屋の出口へと歩き出す。


「例の件の説明は頼みます、ファルマン警部。私は残った貴族たちをまとめます。イライザ、いっしょに来なさい」


「え、お母様、私はユウリスと行くわよ。剣の腕なら私のほうが上だし、こんな間抜けにお父様の命運を任せられないわ。それに冒険なんて楽しそうじゃない!」


「馬鹿なことを言わないでちょうだい、あんなおぞましい場所!」


 金切り声を飛ばすグレースに、イライザは眉間に皺を寄せて不満を訴える。しかし青筋を浮き立たせる母に、最後は娘が折れた。


「こんなの横暴だわ!」


 イライザは去り際、ユウリスへ不敵な笑みを向ける。


「冒険をしていらっしゃい、ユウリス。帰ってきたら、見聞きしたこと報告書にして提出するのよ。面白おかしく書いていなかったら、何度でもやり直させるから、そのつもりでね」


 そこでユウリスは、ようやく疑問を抱いた。


 なぜ自分がレイン公爵の救出におもむくことになっているのだろうか。国と盟主の命運がかかっているのだ。常識的に考えれば、ただの子供に任せることなどありえない。


 なぜ、と再びウルカに疑問を投げかける。


 彼女はソファから腕を伸ばし、ユウリスの髪に残った粉をこすり取った。


「ゴーレムは熱感知で敵に襲いかかる。お前は霊薬のおかげで、体温を悟られないからな。あの厄介な土人形に気付かれず、屋内へ忍び込むのに最適だ。公爵を助けだす鍵はお前だよ、ユウリス」


「ああ、そういうことか――って、それで納得するとでも思う? それにゴーレムに見つからないなら、わざわざ地下なんて経由しなくてもいいんじゃないかな」


「熱探知から身を隠せる対象は、あくまでゴーレムだ。犯人にも見つからず、市庁舎へ潜入する必要がある。外は見通しもいいうえ、野次馬もたかっている。正面から忍び込むのは難しいだろう」


「そっか……ウルカはどうするの?」


「途中まではいっしょに行く。だが私の霊薬はない。田んぼでぶちまけたのが最後だった。市庁舎にはお前がひとりで侵入しろ。私が陽動でゴーレム共をひきつけ、その間にお前が人質を逃がす――この作戦が成功次第、領邦軍りょうほうぐんと警官隊が市庁舎へ突入する手はずだ」


「え、なにそれ、適当すぎじゃない……?」


 もちろん父を救出することに助力を惜しむつもりはない。それでもあまりにあっさりと重責を負わされ、ユウリスは混乱した。


 せめてこの話は、最初に言うべきではなかったのか。そんな不満と、話のついでに明かされた軽さが信じられず、片手で顔を覆う。


「ちなみに、他のもっとマシな救出方法は?」


「そんなものがあるのに、あの公爵夫人が夫の命運をお前に託すと思うか」


 意地悪く笑うウルカに、それはそうだとユウリスはうなだれた。


 日は南天を過ぎて、ゆっくりと西に傾こうとしている。


 ファルマン警部が軽く咳払いをして注意を引いた。


「作戦自体は難しくありません。ユウリス様には人質となっている公爵閣下、議長、市長の三人を市庁舎の裏口まで連れ出して頂きます。野次馬に支援部隊を潜ませておきますので、なんとか彼らの保護を受けてください。人質を連れて逃げる途中にゴーレムに見つかった場合は、ウルカ殿が対処を。機を見て、警官隊と領邦軍が市庁舎へ総攻撃をしかけます」


「待って、中には他の市議や貴族も大勢捕まっているんですよね。彼らは?」


「後のことは我々にお任せを。残った人質は、敵を殲滅後せんめつごにお助けいたします」


 納得できないという顔をするユウリスに、ソファに腰を戻したウルカがビスケットをかじりながら目を細めた。指についたかすをこすって払い、諭すように告げる。


「ユウリス。命は平等だが、社会的責任には順列がある。助けられる者が限られているときには、その優先権を決めなければいけない。お前に命運を託された三人は、ブリギットという国の運営に必要不可欠な存在だ」


「他の人達には代わりがいる?」


「そうだ」


 迷わずに断言するウルカが、ユウリスにはとても無慈悲で非情な人間に思えた。


 どこにでも代わりがいる人間。いてもいなくても変わらない存在。そんな風に言われている気がして、それが忌み子と蔑まれた自分自身の境遇と重なる。


 二人のやりとりを見守っていたファルマン警部が、細い声で再び割って入る。


「ユウリス様。先ほどイライザ様が仰いましたが、賊は期限を設けております。ブリギットの剣と指環を日没までに差し出さねば、人質を順に殺していくという声明です。いまは一刻の猶予もございません」


「いまは黙って言う通りにしろってことですか?」


「他に妙案がございますか?」


「ありませんよ。けれどそんな大事な作戦、俺とウルカに任せるはどうしてなんです。ゴーレムの感知はともかくとして、ウルカなんて素性の知れない闇祓いで、俺は忌み子のユウリスだ。ブリギットの盟主であるレイン公爵の命運を、ほんとうに俺たちへ託せるんですか?」


 唸って押し黙るファルマン警部を、ウルカが鼻で笑う。彼女はそれが、成功しても失敗してもいい作戦なのだと口にした。


「こいつらはいよいよとなれば、どう転んでも日没に合わせて総攻撃をしかけるつもりなのさ。その前に私たちが上手くやればそれで良し。よしんば道半ばで倒れても、犠牲になるのは“素性の知れない闇祓い”と“忌み子のユウリス”だけというわけだ」


「下手に手を出して、父上――レイン公爵に危険が及ぶとか、そうは考えないの?」


「相手はゴーレムと魔術師だ。警官隊も領邦軍も、魔術師の相手は勝手が悪いんだろう。自分達が踏み込んだあげくに公爵が命を落とすより、最悪でも私たちが失敗したほうが、残ったお偉方の責任は軽くなる」


「最悪だな――いや、それより、犯人はやっぱり魔術師なんだ?」


 イライザも、ゴーレムが使役されていることから魔術師が犯人だと推理していた。


 ユウリスはゴーレムに詳しいわけではないが、それが自然発生の怪物ではなく、何者かの意思で造られた存在であることは理解している。


 ウルカも軽く頷いて、話を続けた。


「教会の人間が法術で市庁舎内を探ったようだ。まあ、すぐに露見して、敵に妨害されたらしいがな。現在、建物全体には対法術用の防御結界が張り巡らされ、これ以上の探知は不可能だ。敵が単独か複数かは判断できないが、少なくとも一人は魔術師がいて、手際の良さを聞く限りでは凄腕だろう」


「法術と魔術がどう違うのか気になるけど、時間も無いだろうからあとで聞くよ。それで、内部の情報は手に入ったの?」


 ウルカが顎をしゃくり、ファルマン警部に続きを託した。


 ひょろっとした身体がゆらりと動かして、彼が市庁舎の見取り図を新たに広げる。


 多くの人質は一階の議事堂に集められ、監視や巡回として確認されているゴーレムは八体。二階より上にゴーレムの反応はなかったというのが、教会からもたらされた情報だ。


「しかしレイン公爵、市長、議長の三人だけは、三階の貴賓室きひんしつに軟禁されているとの情報が入っております。実質、ユウリス様が目指す先はそちらになるでしょう」


「どうしてこの三人だけ別なんだろう?」


「私たちが考えるのと同じように、敵も人質の価値を考えているのかもしれません。けっきょく、教会が探った限りではゴーレム以外に賊らしい人影は発見できなかったとも聞いております。とにかくユウリス様には、ゴーレムの目を掻い潜り、なんとしてでも御三方おさんかたを救って頂きたい」


「この部屋に三人がいなかったら?」


「可能な限り探索を継続してください。ですがウルカ殿も仰られたように、日没と共に突入作戦がはじまります。見つからない場合は、旧下水道へ逃げるか、おひとりで裏門から脱出をお願いします」


「……やっぱりずいぶんと行き当たりばったりな作戦に思えるけど、大丈夫かな。打てる手は、本当にそれで全部?」


「最悪、“闇の勢力”に力を借りることも考えております。いえ、ここで“闇の勢力”とは何かなどと質問をなさらないでください。長話の猶予ゆうよはないのです。それよりもブリギット旧下水道について、もっと重要なことを二つお話せねばなりません。ひとつは、敵の存在です。旧地下水道には複数の怪物が潜んでおります」


「街の地下に怪物が!?」


 旧地下水道に怪物が棲みつきはじめたのは、大洪水が原因だとファルマン警部は語った。


「怪物は元々、ブリギットの地底に存在する古い遺跡にみついていたのです。長らく封鎖されていたのですが、大洪水の影響で地下の方々に亀裂がはいり、怪物が湧き出すようになりました」


 驚くユウリスに、ファルマン警部は心配ないと首を横に振る。


「旧下水道への出入り口は通常、我らブリギット市警の管理下で完全に封鎖されております。しかし怪物よりも厄介なものが、あの場所にはあるのです。それが二つ目――申し訳ありませんが、ここからはウルカ殿だけに。ユウリス様には席を外して頂きます」


「え、なんで!?」


「非常に繊細な、注意を払う必要がある話題だからです。ウルカ殿とは師弟していの仲だと聞いています。ユウリス様に話すかどうかも、ウルカ殿にお任せします」


 不満げにウルカへ眉を寄せてみるが、彼女は面倒そうに手をひらっと振った。駄々だだをこねずに下がっていろという意味だ。


「育てているわけじゃないって言っていたくせに、こういうときだけ師匠面?」


「今回の作戦を上手くやり遂げたら、少しくらい稽古をつけてやるさ。私もここの生活に、鬱憤うっぷんがたまらないわけじゃないからな」


 どういう意味だよ、と両手を広げて抗議するが、ウルカに鼻で笑われ、ユウリスは渋々と踵を返した。今でも彼女から学ぶことは多いが、それはあくまで見て盗む、助言を噛み砕いて解釈するという程度のものだ。実践的に教えてくれるなら、望むところではある。


 部屋を後にして、扉に耳を当ててみたが、二人の声はくぐもってよく聞こえない。しかし話はほんの数分程度で、出発はそれからすぐのことだった。

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