08 ゲイザーと少年
西日の熱にうなされ、ユウリスは重い
「ん、んん、ここは……?」
墓地と教会を、大人たちが忙しなく歩き回っていた。
ひどい夢を見ていたようで、気分はあまり良くない。悪夢のなかでは教会が倒壊し、墓地は見るも無残な
「……そうか、ぜんぶ夢か」
起き上がろうとして地面に伸ばした手が、柔らかく滑らかな毛皮に触れる。
驚いて振り向くと、巨大な白狼が目を閉じて横たわっていた。包帯の量は倉庫で手当てをしていたときの比ではなく、心なしか
「夢じゃ、ない?」
「夢のほうがよかったかもな。お前は英雄じゃない、ユウリス・レイン。忠告に従わなかった不始末、レイン公爵にたっぷりと叱られるがいい。そのあとは私の番だ。苛だちが
聞き覚えのある声から不意に
「
妙齢の女性が佇んでいる。亜麻色の長い髪が風に巻かれて、頬にちりばめられたそばかすをくすぐっていた。使い込まれた鋼の胸当ては戦士の風格を漂わせ、
「伝説の≪ゲイザー≫は影を持たないって、本当だったんだ。貴女が、ウルカ?」
「改めて名乗ろう。≪ゲイザー≫のウルカだ。よくも私の忠告を無視したな」
軽く頭を小突いてくるが、言葉ほど怒っているようには見えない。じっと観察するユウリスの視界を遮るように、ウルカは眉をひそめて手を振った。
「もう少し横になっていろ、迎えの馬車を手配してある。いまは鎮痛剤で痛みがないだろうが、お前はそこの白狼と同じくらいに重症だ。怪物の刃や魔術に、普通の治療は効果が薄い。しばらくは痛みで眠れない日が続く」
「なんで嬉しそうなの?」
ウルカは脅かすような口振りだが、唇は楽しげにつりあがっている。
「正直、良い気味だと思っている」
「ひどい……」
彼女は不敵に鼻を鳴らして、少年の傍らに腰を下ろした。ユウリスも改めて、自分の身体を見下ろす。白狼に負けじと包帯だらけで、白い布地には黒い血が
次第に戦いの記憶が
「……あれは」
すると教会の前にカーミラとアルフレド、リジィ、ランドロフの姿が見える。義母にきつく抱きしめられているアルフレド以外は、保護者に叱られているようだ。しかし耳を澄ませば、アルフレドを案じて泣き喚く
「みんな、どうしてここに?」
「儀式を検証するために呼んだ。首なしの黒騎士≪ジェイド≫は、子供の遊びで召喚できるような小物じゃない。魔神バロールの加護を受けた、闇の
「魔神バロールって、まさか聖書の内容を本気にしているんじゃないよね。いや、信仰を馬鹿にする気はないけどさ」
「≪ゲイザー≫の秘奥である闇祓いの作法は、女神ダヌの祝福がもたらした奇跡の
ウルカの声色は決して意見を押しつけるものではなかったが、考えろと言われているように感じる。ユウリスは静かに頷いて、もう一度カーミラたちを見た。平手打ちまではじまった説教を
「プークはけっきょく、俺たちを助けて犠牲になったんだよな」
儚く消えてしまった妖精を偲ぶユウリスに、ウルカは渋い顔で口を
「プークはべつに、人間の味方というわけじゃない。妖精は、その行動の根幹に物語を楽しもうとする性質がある。停滞した日常、行き詰った物語、揺れる善悪、そこに
「取引……あ、
「なるほど、それはいい考えだったな。だが覚えておけ、プークの悪戯は即効性のあるものばかりとは限らない。ここで妖精の仕掛けた何かが、いずれお前の、あるいはお前に関わる誰かの運命を、大きく変えるかもしれないぞ」
「また脅し?」
「どうかな。ほら、馬車が来た。ここまで呼んできてやる。車酔いで吐いたりしないよう、いまのうちにせいぜいきれいな空気を吸っておけ」
ユウリスの髪をそっと撫で、ウルカは立ち上がった。
白狼の長い尻尾がユウリスに纏わりつき、自分に寄りかかれといわんばかりにくすぐってくる。それを
「ずいぶんと懐いているな。半年近くもいっしょに旅をしてきたのに、私は
「え、こいつ、ウルカの連れなの?」
今度はユウリスが驚く番だった。しかしウルカが言うには、ある村から勝手について来ているというだけの関係らしい。
「少し前にふらりといなくなって、今日が久々の再会だ」
そう聞かされて、ユウリスはハッとした。白狼の首に顔をうずめ、耳元にそっと囁きかける。
「お前もしかして、あの黒い騎士を追ってブリギットに来たのか?」
いまユウリスにも刻まれている黒い傷は、首無しの騎士に斬られた証だ。白狼が教会に現れたのも、カーミラから邪悪な匂いを嗅ぎ取ったからに違いない。白狼は≪ジェイド≫になんらかの因縁があり、決着をつけるために共闘してくれた――そう考えると、すべてに
しかし白狼が応えない。軽く頭をもたげると音のない欠伸をして、また寝そべってしまう。馬車を呼びに歩き出したウルカの背中を、ユウリスは慌てて呼び止めた。
「ウルカ、もうひとつ教えて。あ、やっぱりふたつ!」
「後にしろ。お前の治療と、今回の召喚事件を調査するため、私は公爵に雇われた。しばらくはブリギットに滞在するから、時間はいくらでもある」
「じゃあせめてひとつだけ。ミックはどうしたの、どこにもいないみたいだけど」
「
良かった、と安堵する反面、ふと妙な胸騒ぎに襲われた。ミックは、妖精に落とされたから骨折したのだろうか。いや、それほどの高さではなかったと思う。そこでようやく首無しの騎士を撃破した瞬間を思い出して、ユウリスはあんぐりと口を開けた。
「うそ、その怪我ってもしかして……」
「靴跡を見たが、いい踏み込みだった」
ウルカの意地悪げな笑みから視線を背け、ユウリスは乾いた息を吐き出した。そのまま尻尾の誘惑に負けて、ふわふわの毛並みに身体を沈める。
どうして教会や墓地が無事なのか。
あのプークたちはどこへ消えたのか。
まだまだ聞きたいことは山ほどあったが、再び耐えがたい睡魔が襲われる。薬のせいかもしれないが、理由はどうでもいい。
心地よい毛並みで寝返りをうてるのだ。次に目覚めたときにも、この白狼がそばにいてくれたら嬉しい。ユウリスは霞んでいく意識のなかで、そう切に願った。
「帰ったら、オーモンの実を食べよう。お小遣いを全部はたいて、いっぱい買ってやるから」
寝ぼけていたのか、あるいは願望による幻聴か――ユウリスの耳元で、くうん、と可愛らしい声が小さく応えた。
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