恋の重圧

 いよいよPTA観覧演劇が明日にせまり、体育館では演劇部と三田など設営に応援に来てくれた人や先生たちがひっきりなしに体育館に出入りしている。入り口にゲートを設置したり、体育館に光が入ってこないよう臨時のカーテンを取り付けたりと大忙しだ。

 演劇部も半数が練習しながら、もう半数がPTAとその他生徒たちが見に来れるようにパイプ椅子を並べて観覧席を整列させていく。


「うぉーい。あと何列並べるんだ」

「あと七」

「まじかよ。何往復させるんだ」

「パイプ椅子を並べるぐらいなんですか。こんなか弱い乙女だって二脚も持っているんですから」


 安宅が席を外している部長の代わりに、部員たちを指揮して椅子を並べていく。みんなの眼がそっちに向かっているのを見て、こっそりとスマホのLINEを開くと今朝方相田から送られてきたメッセージを覗いた。


『オーディション緊張する』

『いけるいける。相田の実力なら合格だって』


 以前伝えてくれたとおり、今日は相田が何度目かのアニメのオーディションを受ける日。

 あんなに冷静沈着で必死に練習していた相田が初めて俺に弱音を吐いたことに驚いたが、相田にとって求めるであろう言葉を送った。これが相田にとってのまじないになればいいのだが。

 …………どうも調子が上がらない。なんかネガティブな感情ばかり湧いてくる。俺の応援が彼女にとって力となれているのかとこの間ことがまだ引っ掛かっている。舞台でスランプに陥ったのとは違う、不安。体は自由に動けるのに、ぼんやりと空気が徐々に薄くなる中を静かに酸素を求めるように息をするようだ。

 そんなに死ぬほどではない、けど徐々に溺れていくように息苦しくなるのは急になくなるよりも辛い。


「はいそこ! こっそり携帯見ない! 口より手を、手はポケットじゃなく取っ手を!」

「はいはい」

「はいは一回。椅子を並べ終わったら舞台に上がるように」


 部長がいないからと部長代理のように張り切って人を使う安宅。副部長とか人数不足で決めていないから、別に安宅でなくても別の人間がやっても問題ないのだがこういうのは声が大きい人間が主導権を握るのだ。


「ねーねー。部長の脚本ってそっちにある?」

「脚本なら自分のがあるでしょ」

「自分の役について三田さんが書いてくれたの部長のところにしかないの。あれがないとわからないの」

「えー、しょうがないな。渡会、ちょっと部長の所にまで走ってきてくんない。これは現場指揮官兼部長代理めーれーである。うん、いい響き。私が部長になったら肩書変えよっかな」

「部長に叩かれるぞ。行ってくるよ」


 誘導用マットを敷いていく先生たちの間を抜けて体育館を出る。

 校舎に入って、職員会議室を通ると部長が校舎に残っていた先生たちと話し合っていた。窓越しに見ると話し終わる雰囲気ではなかった。


「まだ時間かかりそうだな」


 こりゃしばらくここで待たないといけないか。こんな暑い中待たされるのは辛いな。ピロンとLINEが鳴った。開くと相田からオーディション会場と思われる場所の前で撮った写真と共にメッセージが着ていた。


『オーディション始まった。緊張する』

『がんばれ』


 また今朝と同じく応援の言葉を送った。だがオーディションが始まったのだろうか、数分経っても既読がつかない。俺の応援メッセージが無駄になった気分だ。


「なんでこんなに気を遣わないといけないんだろう」


 なんだか変だ。いや俺が変なのだろうか。

 三田との経験で付き合うとなれば彼女を支える必要があると思っていた。お互いがお互いを支える。相手が何か困っているのなら、俺はそれを支える。付き合っている以上それが当然だ。でも、相田はそれを必要としていないのかもしれない。それとも、初めて声優を目指していることを知ったときのように弱みを見せたくない意地かもしれない。


 お互いの気持ちなんてわからない。そんなの当たり前だ。

 けど三田と付き合っていたのとまったく違う重圧、何かしないと、何ができるのか、頭を働かせてできることを模索し続けていた。相田には何が必要か自分でもわからなくなる。デートして気を紛らわせるとか、この言葉で応援するとか。


 いざこれと与えても、何かから空回りしている感覚に陥る。自分はできている? できてない? どっちなのかわからなくなる。

 もう堂々巡りしてて、なにが正しいかよくわからなくなる。


「なにやってんだ渡会。こんなところで」


 いつの間にか先生との話し合いが終わっていた部長が靴箱の後ろに隠れていた俺を見つけてくれた。


「部長、部長の脚本を借りにちょっと寄ったので」

「脚本を借りに来ただけでそんな暗い顔するのか? まさか緊張しているのか。いつも舞台前日は一番盛り上がるはずのお前が、らしくないぞ」

「違うんっす。その別のことで悩んでいて」

「恋愛のことだろ」

「わかるっすか。ってこれ聞くの二回目っすね」

「わかる。というか演技でのスランプが完全に改善された今のお前の身に起きる障害なんて、恋愛しかないだろ。それも相田のことだ」


 さすが百戦錬磨の恋愛上級者、この人なら何でもお見通しというわけか。一瞬、相田の秘密について話すべきか躊躇していた。俺の悩みを話すのに相田が声優をしていることを話さないといけない。だが部長になら相田が隠していることを話しても、問題ないだろう。他人の秘密を蔑むような人間でないことのだから。


「部長、これから俺が話すことは他言無用でお願いしやす」

「もちろん。大事な後輩の頼みだ」

「実は相田なんですが、声優を目指してて。今日声優オーディションあるんです」


 遠回りをせず、そのまま相田の秘密を伝えたが部長は「そうか、それで」と特に驚く様子もなく話の続きを要求した。


「俺に何かできるのかなって悩んで。でも応援するだけしてそれで十分か不安になっちゃって。長いこと三田と付き合ってきた経験から、相手が何か求めているんじゃないかと考えてしまって。でも相田はそれを求めていないというか、俺の力なしでも自分の力では手にあまるぐらいのもので何もできないんじゃないかなって責任を重く感じてしまって。でもここで放棄したらそれは不誠実じゃないかと迷って」


 自分が胸の中にあったモヤを吐き出した。中にあったものが吐き出されて楽になったのだが、部長は仏頂面気味にしばらく黙っていた。そして靴箱にひじをついて前のめりに語り始めた。


「お前、それは愛なのか」

「愛? あの、なんか恥ずかしいことっすか」

「真面目な話だ。お前がやっていることってこうすることで相手はこう返してくるのか不安になることだろ。それは相手のことが好きじゃなく反応を見ているんだ」

「反応っすか」

「そう。俺は、お前が相田と付き合うと聞いたとき相手が惚れているからそのまま付き合うパターンかと思っていたのだが、全然違うくて驚いたぞ。いいか、相手がこう求めているから自分もこう返すというのは恋でも愛でもない。つか逆に聞くぞ。お前は相田のことを支えても好きでありたいと想って付き合っているのか」


 ぐさりと銛に刺されたように抉られた。


「何人もの女性と付き合ってきてわかってきたことだが好きになるのは正直どんなことでもいい。だけどずっと好きな相手の傍にいる理由は決めておかないといけない。その人を支えたいとか、一緒にいると気楽でいられるとかな。返し返される関係は、一見上手くいっているように見えるだけで辛いし、うまくいかないものだ。実際俺もそれで失敗したからな」

「さすが部長っすね」

「これはお前の問題だぞ。お前はどうして相田と付き合うんだ。お前が彼女のことが好きだから支えたいと思っているのか。それとも相手がそう考えていると思っているから支えないといけないのか?」


 投げつけられた銛は、深く深く奥の所まで貫いていく。銛が俺が目を背けようとしていたことを、無理やりにでもそちらに誘導させて目をそこに向けさせられた。


「まあ、急に答えを出す必要はない。とここまで偉そうに言っておいたが、俺なんか部活に熱を入れ過ぎて放置し続けたら付き合っていた彼女から「私に構ってくれないのなら、舞台と付き合えばいいじゃない」と振られたからな。あぐらをかきすぎというのもダメだからな」

「部長の彼女遍歴で長く続いたことってあるんっすか?」

「そ、それは。今は関係ないだろ」


 触れてはいけない琴線に触れてしまい、部長はそっぽを向いてしまった。

 あれは長く続いたことない顔だな。


「ともかく俺は渡会の考えようとしていることを察することはできても、お前自身の気持ちを百は理解できない。だから俺がアドバイスできることはここまでだ。じゃ、俺はちょっと別のところに行くから脚本渡しておいてくれよ」


 ぽんと靴箱の上に目的の脚本が置いて部長は校舎から出て行った。


 思い返せば、俺は相田のことを。いや最初から受け身で反応し続けていた。

 相田が頻繁に俺のことを見に来てくれるから、俺は好きだと考えてそれに応えるように反応し。相田が俺のスランプが原因だから付き合ってほしいと言われたから反応した。相田が声優になるのをがんばるから、支えるように動いていた。


 ずっとずっと、反応していた。

 好きの理由は自由。でも反応だけの付き合いは辛いのを俺はすでに実感していた。俺が相田と付き合い続ける理由ってなんだ。俺のスランプの脱却と声優という仕事が叶うまで支えるのが、好きの理由なのか。付き合うって苦しいものなのか?


 じゃあ、なんで三田の時は苦しくなかったのか。


 携帯が震えた。電話の主は相田だった。最後にメッセージが送られてからずいぶん時間が経っていて、オーディションが終わるには十分であった。じんわりと指が汗ばみながらボタンをスライドさせて、携帯を耳に当てた。


『渡会さん、聞いて聞いて。私、オーディションに受かったの! そんなに出番多くないサブキャラだけど私、声優になれたんだ!』


 最初その声を聞いたとき間違い電話かと思った。いつも聞いていた冷静沈着な彼女と違い無邪気に、自分の夢をつかみ取った喜びの報告を電話越しにぶつけてきたから。

 

「おめでとう。よかったな」

『うん。渡会さんも明日のPTA観覧演劇、頑張ってね。その日は絶対見に行くから』


 口では簡単にそう言えたのに、心の中では空虚な感情が吹きすさんでいた。

 それでも相田はまったく疑うこともなく、澄み切った声で返してくれた。


 電話が切れると、腕がだらりと垂れる。彼女は本当に声優になってしまった。祝福はできても、これ以上好きのメーターが上がり切れない。

 俺のこれは、本当に好きなんだろうか。

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