相田と付き合うことに
相田の秘密が発覚してから数日が経った日、体育館の舞台裏では鬼島部長と安宅がお互いの手配のカードを見比べるがごとく、部員たちが持ってきた原稿を読みながら静かなにらみ合いが起きていた。
いよいよどの脚本に決めるかを選考委員は鬼島部長と安宅の二人が検討する緊急会議ではあるのだが、俺が題材に選んだ作品は没の山の下敷きになっていた。他の部員たちが持ってきたものも選考委員からすれば、ズレている・ジャンル違い・面白くないなどの理由で続々と没になっていた。
そしてついに両委員が持参してきた題材が最後となり、二人がじっくりと読みふける。もう自分の番は終わったというのに、結果がどうなるか心臓が跳ねていた。
そして、沈黙を破った先手は鬼島部長だ。
「没。そして俺のだが」
「没! 長い! 難しい! あと人が死ぬ! こんなの上映したらPTAから苦情来ますよ」
「安宅のだってエロい描写があるじゃないか。これこそPTAから御用ものだろうが」
「最近の少女漫画は過激なんです! 表現の自由の規制反対!」
両者痛み分けでご破算となった。ああ、またダメだったか。
というだけならどれほどよかったのか、安宅が唇をツンと突き出していつになく不機嫌な様相を呈しだしていた。
「どうするんですかこんなに没ばっかり続いて。いつ演劇の練習と舞台の準備始められるのですか。もういっそファンタジーにしませんか」
「前に話したようにここのところファンタジーばっかりじゃないか。それを脱却するために現代劇を」
「マンネリでもいいじゃないですか、マンネリ続けて何十年もやっているボカンアニメだってあるのですから。完璧よりも完成を。原稿のことでず~っと悩んでしまっては何もできないでしょうが。部長はもうちょっと先のことを考えてください」
「この先のことを考えて、他のジャンルに挑戦して幅を広げるためにも」
「それは今じゃなくてもいいでしょうが」
いつもふざけて気を和ませる係の安宅がいつになく真剣に怒っている。安宅の言うことは最もではあるが、部長もみんなからの同意を得たうえでの手前ここで部長がちゃぶ台返しして安宅の提案を受け入れるは他の部員たちから反感を買う恐れがある。
しかしもう六月も初旬が終わろうとしている時期、PTA観覧演劇は七月にある終業式の一週間前にやらなければいけないからもうこの時期から練習をしないといけないというのにまだ脚本が決まっていないという大問題が横たわっている。どうするんだと言わないのは逆に不自然なくらいだ。
じわじわと梅雨のどんよりとした重たい気と共にもたらされる対立の空気が演劇部に沈殿していく。これは本当にまずい、だけど役者のみしか取り柄のない俺に解決策はすぐに出てこない。なんてもどかしいんだ。
「すみません。鬼島部長さんいらっしゃいますか」
重たい空気の中を切り裂くように、すっきりとしたミントのような爽やかな有果の声で部員全員が一斉に振り向いた。
「おや、三田じゃないか。まだ演劇部の練習はしていないからまたあとで」
「あの。これまだ校正とか済んでないのですけど、よかったら見ていただけませんか」
カバンからおよそ百枚程度はある原稿用紙を取り出した。見るとそれは以前有果の家で見せてもらったあの小説だった。
おいおい、たしかに日曜日に見せても問題ないとは言ったけどさぁ。本当に見せてきたのか。ここ数日、いつもなら近寄って話しかけてくる有果であるのだが授業の合間や昼休みそして放課後と自分の席に向かってペンを走らせていた。
時々授業中に寝てしまったりと何をしているのかさっぱりだったが、まさかずっとあの小説を完成させるために全部の時間をつぎ込んでいたのか。
「それ、この前俺に見せてくれた原稿じゃ。他の人に読まれたくなかったんじゃなかったのか」
「うん。初めてクリちゃん以外に読んでもらって自信がついたの。まだ完璧じゃないけど、誰かに見てもらうことで何かお手伝いできたらいいなぁと思って」
渡された小説をじっくりと読み込む部長を見て見ると、最初は先ほど安宅がつけた眉間の皺がとれていなかったがページを一枚一枚めくるごとに皺が徐々に徐々に薄く広がっていっていた。
文量がそこまで多くないのか、かなり速読で読み込こんでいく。そして読み終えたページを拾い上げて安宅も有果の書いた作品を読んでいた。
「ほほう、これは前に送ってくれた話ですね。一月前まで筆が乗らないって六十ページぐらいで止まっていたと聞いていたのに」
「渡会君が面白いって言ってくれたから、ちょっと本気出しちゃった」
「なーんだ、渡会もアリーの秘密の原稿読んでいたんですね。せっかく私とアリーだけの共有の秘密だったのに、寝取られた気分ですよ。ぶぅ~」
「何が寝取られだよ。付き合いの年数なら俺の方が上だ」
「年数では性別による友情は越えられないのです。信じて送り出した作品がまさか幼馴染にべた褒めされて自信たっぷりに持ち込みされるだなんて。ぐすん」
相変わらず何を言っているのかよくわからないものの、おそらく有果の作品が完成したことを喜んでいることには違いない。おまけに先ほどまで彼女にまとわりついていたイライラも消えている。
「まあでも私の評価点では、あの作品星五つのうち三つですね。文章力に関してはまだまだですけどキャラクターとストーリーに光るものがあり云々かんぬん」
「云々かんぬんは自分で省略するものだったけ」
「アリーの作品は私の口では語りつくせないのですよ。というのは冗談として、途中まで読んでみたのですが、数日で書いた勢いにしてはかなり面白いですね」
「人に作品を褒められたら筆が乗って乗って、もう頭の中に構想はまとまっていたから。早くみんなにこれを見せてあげなきゃって合間の時間も使って書き上げたの」
有果はそう照れながらも、あながちまんざらでもない様子で口元がにやけていた。さて最終決定を下す側の人間である鬼島部長であるが、手元にある原稿用紙があと数枚程度にまで減っていた。
そして最後の一枚を読み終えてひと呼吸する。
「いい。文章の間違いとか読みにくいところがあったが、文量・人数・内容どれもよい。三田、できたらこの原稿を」
「使わせてもらってもいいんですか!」
「こっちからお願いしたいぐらいだ。校正とかは俺に任せてくれ、この作品を題材にして演劇用の脚本に仕立て直すように作り替えるから」
「ありがとうございます!」
ぺこりと勢いでお礼を述べる有果は嬉しいのもあって少し足が飛び上がっていた。
よかった。これで練習に入れるし、ギスギスした空気もなくなるってものだ。ほんとちょうどいいタイミングで着てくれたものだ。
「いやぁ、ナイスだよアリー。あのままだとうちの演劇部がオペラ座の怪人のごとく惨劇に包まれるところだったよ」
「血みどろにならずに済んでよかったね」
その血みどろになる原因はお前だっただろうに。まったく現金なものだ。
「渡会良い彼女を持ってよかったな」
肩に腕を回して喜ぶ部長のその言葉には「偽だけどな」と言う皮肉を含んだものが刺さっていた。部長も部長でもう少しで有果が来なかったら自分の首の皮がつながらないところだったというのに。
「みんな集まってもらったところ悪いけど今日のところは解散だ。今週中には三田が持ってきてくれた原稿をもとに演劇用に書き換えた原稿を持ってくるからそれをベースに練習と舞台装置を準備するぞ」
「今週までっすか。それ大丈夫なんすか」
「心配ない、数日徹夜すれば間に合う」
心配なのは部長の体のことなんですけど。途中で倒れたらこっちもシャレにならないこと忘れないでくれよ。
しかしようやく暗雲とした空気から解放された部員たちは緊張の糸が切れたのか、ほっと一息したようで各々体育館から出て、家路へ向かっていく。
俺たちも右に倣い、舞台裏から体育館へ出ようとすると入り口に相田が扉に体を預けて待っていた。
「あら、演劇部は今日お休みなの?」
「ああ、今日は会議だけだからもう解散なんだ」
「そう、ちょうど人もいないことだからいいタイミングね」
ふと後ろを見ると先ほどまでいた演劇部の部員たちが空気を読んでくれたのか、全員雲隠れしていた。この流れはもしかして…………ごくりと生唾を飲み込むと俺は確認を込めて聞き返した。
「渡会さん、私と付き合って」
「それはどっちの意味で」
「もちろん両方よ。演劇のスランプ脱出と私と恋人として付き合うことの。私のせいでスランプに陥ったのだからこういう形でないとダメかなと思って。こんなあっさりとじゃ、雰囲気ないから嫌だった?」
「いや。これからよろしく」
「ええ、それと私の方からも声優としての演技指導もお願いしてもいいかしら」
最後に誰かに聞かれないようこっそり耳打ちされた。俺は「もちろん。おれにできることなら」と受け止めると相田は色艶の良い唇を上げて破顔して「じゃあまた明日ね」とさらさらと絹のように流れる黒髪をなびかせて去ってしまった。
そして流れる雲のように消えていった部員たちが、急な雨雲のように突然わっと飛び出してきた先ほどの一部始終に歓声を上げた。
「おいおい。よかったな渡会」
「いやぁおめでとうございます。今日は渡会のおごりで祝勝会を上げましょうか? いやぁ今日は子供の飲み物でカンパーイですね」
「お前は一人で祝っておけ」
「最近渡会の態度が冷たくないですか。塩対応過ぎて溶けそう」
ナメクジみたいな体質だなお前。
「いやにしても最初に振られてどうなるかと思ったが、こうしてちゃんと付き合うことができてよかったよかった」
「部長、ご迷惑をおかけしました。あとは次のPTA観覧演劇までに俺のスランプが治さないと」
「がんばれよ。焦る必要はないが、できるかできないかはちゃんと俺が責任もって選んでやるからな」
「おっす」
「じゃあ今日は脚本決まったねと渡会お付き合いよかったねのダブルおめでとう会をサイゼでやりましょう! 飲み物は飲み放題ですよ!」
そりゃフリードリンクを選ぶからだろともうつっこむ気力もなかった。
そしてみんなが先に校門を出て行ったところで、みんなから少し離れていた有果に顔を会わせた。
「よかったね相田さんと付き合うことができて」
「ジェラシープロジェクトが成功したのか、偽カノが成功したのかよくわからないけど。付き合うことができてよかったよ」
「うんうん。絶対効果あったよ」
おそらく日曜日のあの激昂が一番聞いたんじゃないかな。
すると大きめな雨粒が跳ね返ってぽつぽつと音を鳴らして振っていた雨が霧雨に変化して地面を濡らし、静かな沈黙が訪れた。にこりと微笑む有果の笑顔がじっと俺を見つめて何かを待っていた。
そうだもう俺たちが偽カノをする必要はもうなくなったんだ。
「じゃあもう元に戻していいんだよね」
「そうだよな。いつまでも恋人風の言い方にするのは混乱していたしな」
「そうだったね。渡会君か仁君かのどっちにすればいいかたまにわからなくなっていたよ」
五月から続けて約一ヶ月、今まで言い間違いしそうになったことやジェラシープロジェクトをやった日のことがまるで昨日のことのように想起させられる。
「行こうか渡会君」
「そうだな早くみんなに追いついてサイゼに行こうぜ。今日の主役は俺たちなんだからな三田」
こうして第三次お付き合いは静かに、そして初めて正式に別れを告げて俺たちは元の幼馴染に戻ったのだった。
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