いつも見に来てくれたあの子

「『父上も民もわかっていない。彼女を、救うことが。この国を守るためなんだと』」

「ちょっとカット」


 部長の言う通りだった。

 あの叫びと三田の贈り物は一時的な慰めに過ぎず、しばらく演技をしていると彼女が冷ややかな目で見られながら振られる記憶が前触れもなくフラッシュバックして、暗幕を広げてくる。その度にいったん休憩を挟み全体演習を中断せざる得なかった。


「やっぱりまだ痛むか」

「痛みますね」

「俺が変に失恋後の痛みなんて言ったから余計に意識してしまったかもな」


 先ほどの失恋の痛み発言で心配してくれたようで部長は申し訳ないと言いたげに罪の意識にかられていた。鬼島という厳つい名前と違いとても寛容で、後輩の俺が丁寧かあやしい「っす」言葉を多用しても眉をひそめることもない。

 三田といい部長といいこんな素晴らしく優しい人たちに囲まれていることに神に感謝すると同時に自分が情けなくなってくる。もっと時間をかけて、いや最初は友達からとかから始めてくれとさえ言えたら失恋の痛みも少なく済んだだろうにと、過去を変えられないことを考えている時点でダメなんだろうな。


「そんなんじゃないっすよ。まだ俺が何度も告白するって言ったから」

「諦めた時点で失恋とも言えるからな。そういう精神は俺は嫌いじゃない、それにあの子にはまだ他に好きな男子とかいないんだろ」


 こくりとうなずく。部長があの子とわかった感じで発言したのは、彼女。相田ふなみと直接面識があるからだ。


 相田ふなみという少女が演劇部にちょくちょく顔を出してきたのは去年の秋ごろ、文化祭が終わったときのからだ。最初は演劇部の中途入部に来たのかと思ったが、話を聞くと「みなさんの舞台をじっくり見たいので見学させていただけませんか」と見学の申し込みだった。部長としては人手が足りないので中途でも仮入部でも歓迎と必死に勧誘していたので、勧誘攻勢を一蹴されて肩を落としていたのは、かわいそうと同時に滑稽にも見えた。


 演劇部の稽古をほぼ毎日のように見学に来る相田は、うちの部員に負けないほど熱心に観察していた。演技についてわからないところがあればメモをするほどで鬼島部長があの子を欲しいと再び勧誘の手を伸ばすほどに。

 しかし、おかしなことに彼女の眼は他の部員には目もくれず俺にばかり集中してみていた。最初は俺の演技に何か不満でもあるのかと思っていた。とにかくじっと俺を切れ長の目の端から端まですっと追いかけていくのだから気になって仕方がなかった。

 だが。


「あの子もしかして渡会目当てで来ているんじゃない?」


 女子部員である安宅繰あたかくりがそんなことをほのめかしたので、改めて彼女の動きに注意して観察してみた。確かに舞台の練習の時でも、本番の時でも、相田の黒い瞳は常に俺の方にしか注視してなく、他の部員たちには全く眼中にない。

 だんだんと確信を持ち始め、部活の休憩時間を使い試しに彼女に探りを入れてみた。


「隣いいかな」と体育座りして頭を垂れている相田に声をかけた。しかし聞こえていないのか返事がない、「もしもし~」と声をかけて突いてやっと顔を持ちあがる。やっと俺の存在に気付いた彼女は形のいい両耳からスマホとつながったイヤホンを外して、細長い目をこちらに向ける。


「すみませんちょっと集中してまして。私に何か御用?」

「何聞いていたの?」

「先ほどの演劇の練習を繰り返し聞いてたの」

「イヤホンだけで? ビデオで見た方がよくない?」

「音だけ聞くのがいいの。演劇というのは面白いもので、絵や音楽がなくても主演の声だけでその場の臨場感とか緊迫感が伝わってくるの」


 演劇を何度も聞いている通こだわりさに驚きを通りこして感服を覚えた。


「はぇ~そういうものなんだ。演じている側としてはとにかく舞台から遠くの人まで聞こえるようにしようっていっぱいだから気づかなかった」

「渡会さんは特にそうね、一番声が大きいし。けどそれが逆に臨場感があるので、色々考えさせられます」

「それって逆に一番気になるってことかな」


 さりげなく本題である自分に気があるか聞いてみると、一瞬相田は上を見て考え込んだ。これは……どっちなんだと舞台の本番に似た動悸がなり始めた。そしてやっと――時間としてはほんの数秒程度だが、彼女が俺の方を改めて振り向くと。


「そうなるわね」


 くしゃっと清ました表情しかしない彼女が笑顔をこちらに向けてくれた。

 そうか。これが恋されているということなんだ。

 なら答えてやるというのが筋というものだ。


 しかし結果があのありさまというのだから笑えない。いや喜劇としてはありだろうか。脚本は俺の専門外だからわからないな。


「しばらく主役級の役は外したほうがいいだろうな。直近のミニ公演が観客がほとんどいないとはいえ、さすがにこうも長い台詞でミスが連発すると、練習に支障をきたす」

「仕方がないっすよ。そっちでリハビリします。でも三田と別れた時はこんな辛い感情はなかったのに、マジ恋ってしているときはがーって燃え上がる分跳ね返りがすごいってこういうことなんすね」

「というかお前ら二人が幼馴染を続けていることが逆にすごいことなんだけどな。別れた後、同じ教室で顔を会わせるなんて気まずい空気を出すものなのに」


 不思議と言えば不思議ではあるが、それはやはり俺たちが幼馴染だからという結論になるだろう。お互いがお互いの勝手を知っていたし別れたというものの、その二回とも卒業と進学での新しいコミュニティ作りで忙しく、いつの間にか恋人としては疎遠となり自然解消という形であるため振られた衝撃もいがみ合いもなかった。

 解消期間中でもお互いの友達と一緒に遊びに行ったり、普通に帰り道を歩いたりしていたので昼ドラのようなギスギスはなかったから、振られた後の衝撃はなかった。


 しかし相田ふなみは幼馴染ではない。直接会話したのはあの時が初めてで、どんな人間であるか知らなかったことを考えていなかった。三田有果という存在の優しさに俺は失恋して初めて気づいたのだ。


 ぐびぐびと三田が飲んでしまって新しく買ったミネラルウォーターに口づけして喉の渇きを潤す。よし続けるか。


「水分補給と休憩終わりっす」

「じゃあ役を変えて練習を続けるか……おい、渡会ちょっと次の舞台の脚本のことで話したいから裏に行こう」

「なんで裏に。別にここでも」

「いいから」


 腑に落ちないまま無理やり部長に背中を押されて舞台裏へと連れていかれる寸前のことだった。体育館に入ってくるロングヘアーの黒髪の美少女が堂々と正面から入ってくるのが見えてしまった。その少女はさっき俺を振ったばかりのはずの、だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る