157 どん底からの光

「蛇に飲まれる」という言葉があるけれど、今の俺はきっとその何倍もの恐怖を味わっている。

 ミーシャの治癒で復活できたことは有難いが、瀕死のワイズマンまで動けるようになった事実は予想の斜め上を行き過ぎていて理解することができなかった。

 それはミーシャの気まぐれでもなく、元老院の意向だという。


 視界が戻って再びワイズマンの身体を木々が隠すが、その奥でズルリと動く音がやたらと機敏に感じてしまう。

 ミーシャがワイズマンにとどめを刺してクラウが魔王になれば、それで終わりだったんじゃないだろうか。


「アンタたちは誰の味方なんだよ」


 痛みの抜けた身体をのっそりと起こす。

 ミーシャにそう尋ねる俺は、まだワイズマンの青い瞳から視線を外すことができなかった。ヤツがもし俺に攻撃を仕掛けてきても、ミーシャは助けてくれない気がする。


「元老院は、この国の平穏の為に働いているからよ」

「それならどうしてワイズマンを倒さないんだよ。コイツさえいなければクラウが魔王になれるんだろう?」

「決着をつけなきゃならないの。一度ワイズマンの意思を国民に明らかにしてしまった以上、彼らを納得させるのは容易でないという事よ」

「国民?」

「ワイズマンを瀕死にさせたのがクラウ様だったのなら、それで良かったのかもしれない。けど、違うでしょう?」


 確かに、そうさせたのはメルーシュだ。

 ミーシャの言葉を聞いて、俺は海辺のレストランで会った髭面の男のことを思い出した。

 異世界の男が魔王になったことへの不満。それを感じているのが彼だけでないことを分かっているから、クラウも聖剣を抜くことに必死だった。


「けど……」


 本当にクラウが魔王だと納得させることができるのだろうか。モンスターと戦った魔王は確かに強いと思ったけれど、周りに対する優しさがその強さにひびを入れて、もろくしているような気がしてならない。


「クラウ様を疑っているの? 弟のくせに残念な事ね」

「そんなことない!」


 失笑するミーシャに強い口調で反論したが、それ以上の言葉を返すことができなかった。

 ワイズマンは一言も話そうとはせず、俺をじっと見つめるばかりだ。


「まぁ貴方はクラウ様の弟とはいえ、ずっと離れていたんでしょう? 前の戦いでクラウ様が見せた雄姿を知らないんだから仕方がないわね」


 ミーシャはスゥと息を吐きながら自分の三つ編みを撫で、ふと動きを止めて背後を一瞥いちべつした。

 どうしたと尋ねる間も与えず、「それじゃあ向こうに戻るわ」と唐突に掌へ光を集める。


「え、ちょっと!」


 まさか一人で行くというのか。俺をここに残して。


「そのドラゴンが仕向けたモンスターたちの始末をしないといけないの」

「元老院なのに? 元老院はワイズマンと戦わないんじゃなかったのか?」

「元老院は、ね。生憎私はまだ見習いの身なのよ。こんな戦い、早く終わらせた方がいいでしょう?」

 

 恐怖に怖気おじけづく俺とは真逆だ。

 彼女はこれからモンスターの群れに飛び込んでいこうというのに、何故か嬉々として見える。愉悦を含んだ表情が血に飢えた魔女のようだった。


「行かないでくれ」


 情けないくらいに怯えながら立ち上がった俺は、彼女にすがろうとその腕を掴むが、空しくパシリと振り払われてしまう。

 俺の要望など受け入れてはもらえない――魔法師は誰かを連れ立っての空間移動ができないことは重々承知だ。けれど、だからと言って置き去りにしようというのか。


 俺は自分の状況を悟ると急に気が抜けてしまい、再び地面に尻もちをついた。

 ミーシャは何も言わず、ただ俺を睨んで空気の中へと消えていく。


「あぁ……」


 力を入れようとしても立ち上がることができなかった。どうやら腰が抜けてしまったらしい。


「行かないで……」


 その声は彼女に届かない。

 ワイズマンに背中を向けて逃げ出すことも無謀だと思ってしまう。ヤツはクラウを取り込んで、親衛隊の二人を一瞬で倒した男だ。

 瀕死から助けられてみたものの、ワイズマンと睨み合った俺は絶望しか感じられない。


 「終わりだな」と黙っていたワイズマンが口を開いた。

 その言葉は俺の最期を示すスイッチのようだった。


「そうだ、終わりだ」


 虚しさを通り越して、笑いさえこみ上げる。

 あとは運命に任せようと、呪縛を解くようにワイズマンから目を逸らした。


 投げやりにまぶたを伏せると、遠くに小さな足音が聞こえた。それは俺にとって良い知らせなのだろうか。

 期待よりも不安が募って、俺は閉じた瞼にぎゅっと力を込めた。


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