144 臭い

 クラウが聖剣を抜くために、あらゆる手立てを講じてきたハイドや元老院。それと、メルをおびき寄せる為に火事を起こしたワイズマンがしたことは同じだ。

 「国の平穏の為」と言いながら手段を選ばない行為は、この国に昔から染みついた悪習なのかもしれない。


 炎を消し去った雨は夕立のように去っていき、空には濃い青が広がった。

 辺りが焼けてしまったお陰か、モンスターを呼び寄せるチャーチ香の匂いは消え去ってしまったが、木の焦げた匂いに混じってキアリの臭いが強烈に鼻を突いた。

 アレは山のあちこちにっているとメルが言っていたから、一緒に焼けてしまったのだろう。けれど臭いを嗅いだだけではその効力もなく、逆に体力を削がれていくような気にさえなってしまう。


 ゴホゴホっとむせたチェリーが鼻と手を口で押えるのを横目に、俺はツンと不機嫌な顔のヒルドの視線を追って、対話するワイズマンたちへ向いた。


「私はもうこの国の魔王じゃないわ。今グラニカを治めているのはクラウなの」


 傍らのヒオルスが、孫を心配する祖父のようにメルを見守っている。

 ワイズマンは「そうじゃないですよ」と笑って、俺たちに顔を向けた。


「君たちからは、この世界とは別の匂いを感じる。この男の仲間ですか?」


 そう言って、自分の胸をてのひらした。クラウの、という意味だ。


「僕は違うけど。そういうのって魔王になることと関係あるの?」

「大ありですよ。むしろそう感じない方がおかしいのではないのですか?」


 訴えるように問いかけるヒルドに、ワイズマンはにこやかに答えた。

 チェリーは怪訝けげんそうに眉をひそめて自分の手の甲を嗅ぐが、すぐに首を傾げてしまう。


「何が匂いだよ。俺は、クラウ……グラニカの魔王の弟だぞ」


 「やはり」とワイズマンはうなずいて、深いため息をこぼした。


「この国はどうして外の次元から客人を招き入れようとするのか。しかも魔王にするだなんて、頭が狂っているとしか思えませんよ--メルーシュ、貴女もです」


 ワイズマンはメルに顔を寄せて、「失望しましたよ」と苦笑する。

 ヒオルスが強張こわばった顔でそっと腰の剣に手を掛けるが、メルの制止で踏みとどまった。


「どうして魔王を放棄しようとするんですか。私は貴女を魔王だと認めているのに」

「私は、国民に刃を向けてしまった。だから、王に戻る資格はないの」


 メルの赤い瞳の影響が、記憶にまで出ているのだろうか。彼女は前王メルーシュとしてワイズマンと話をしている。小さな身体のままの彼女が、メルなのかメルーシュなのか、俺にはよく分からなかった。


 そんなメルの訴えを、ワイズマンは鼻で笑って退けてしまう。


「そんなことありませんよ。魔王は死ぬまで魔王。私は今でもこの国の魔王は貴女だと思っています」


 つまり、彼は異世界人の王を認めないのと同時に、メルーシュの王位復帰を望んでいるらしい。

 向こうの世界とのしがらみがかせだと言っていた元老院の見解は、あらかた間違ってはいなかったようだ。


「クラウは魔王の力を受け継いだだろう? 聖剣は抜けたじゃねぇか。それなのに……魔王にはなれないのか?」


 ハイドは暴走した力で聖剣を抜いたことは【禁忌】だと言っていたけれど。

 期待の重圧をしょい込んだクラウが出した結果を、俺はハイドにもワイズマンにも認めて欲しいと思った。


 それなのにワイズマンは、腰に提げた聖剣を一瞥いちべつすると、俺たちの考えをあっさりと否定したのだ。


「彼は聖剣を抜いたんじゃない。私が彼を見かねて抜かせてあげたんですよ」




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