88 知らなくていい言葉もある

「じゃあ、異世界から来たって言ったら信じてくれる?」


 その言葉はあまりにも唐突で、俺は驚愕の顔でクラウを振り返った。

 宗助そうすけも「えっ」と呟いたまま微動びどうだにせず、長兄を注視している。

 しかし当の本人は、「だって」と微笑んだ。


「ソースケはそういうの好きそうだから。本当のこと言ったほうが納得してくれるかなと思って」

「そんなこと信じるかよ」

「けど、ユースケだって疑わなかったでしょ?」

「それは……」


 俺は美緒がみんなの記憶から消えて、真っ先に異世界の存在を疑った。それは俺が、異世界転生や異世界転移のラノベを読みまくっていたからだ。

 だからマーテルが俺の前に現れた時、すんなりと受け入れることができた。


「本当に異世界から来たんですか?」


 呟くように尋ねた宗助に視線を返すと、再び不信感たっぷりの顔が俺たちを凝視している。

 話の流れ上うやむやにするわけにもいかず、俺はぎこちなくうなずいて見せる。


「本当に?」


 正確に言えば、生粋きっすいの異世界人はメルだけだ。俺とクラウと宗助は同じ親から生まれた兄弟なのだから。

 しかし、クラウはもうずっと異世界に居るし、俺の存在もこっちでは消えてしまった。だから「まぁな」と答えておく。


「そうですか……けど、信じませんからね?」

「信じないのかよ。いや、普通信じないよな」

「だってさっきも言ってたけど、それって一高の制服じゃないですか」

「あぁ……これはちょっと事情があって」


 真実と嘘が絡み合って、どんどん変な話になっていく。

 宗助はメルをチラリと一瞥いちべつしてから胸に片手を当てて、その思いを熱く語った。


「俺みたいな一般男子の所に来てくれる異世界人ってのは、可愛い女の子だけなんですよ。何で男子が二人もついてくるんですか」

 

 確かに、俺の前に一番最初に現れたのは、美人でハイレグ姿のマーテルだった。ラノベの基本に乗っ取ったような展開で疑いもしなかった。


「いや、だから……これは本やアニメじゃなくて、リアルな話なんだ」


 苦し紛れの説明に、宗助は表情をすっきりとさせなかった。

 メルが「私が」と俺の手を掴んで前に出る。


「メルちゃん?」

「ごめんなさい、ソースケ。本当は私たち、異世界から飛ばされてきてしまったの。ついさっきまで戦っていて。この血もモンスターのものよ? この世界をこんな格好でうろつくわけにはいかないから、ソースケに力を貸してほしいの」

「ライヤのコスプレじゃなかったんだ。シーサーも違うの?」


 メルが伝えた真実は、宗助も素直に受け止めることができたようだ。


「あと、身体も洗わせてもらえないかしら」

「分かった、それなら僕が洗ってあげるよ」

「お前が洗うな」


 頬を赤らめる宗助に、俺は思わず大声を上げてしまった。

 「思わせぶりなこと言うなよ」とメルに注意すると、「そんなこと言ってないわ」と真面目な顔で否定される。

 宗助はニヤリと笑って俺たちに背を向けると、玄関の扉を開けてくれた。


「夕方に親が仕事から帰ってくるまでだからね?」


 メルの効果抜群だったらしい。

 「どうぞ」と宗助に促されて、俺たちはようやく俺たちの家に入ることができた。

 

   ☆

 自分の家に案内されるのは不思議なものだ。

 宗助は「僕の部屋に」と言って進んでいく。俺の記憶では一階の奥だが、何故か階段を上って行った。


「ねぇ、ユースケ」


 後ろを歩くメルに背中を指でつつかれて、俺は「どうした?」と振り向く。


「チカンって何?」

「えっ」


 なんてことを聞くんだ、と俺は平常心を失って口元を引きつらせた。


「ほらさっき、ソースケが言ってたでしょ? 私が『ちかんごっこ』のライヤってのに似てるって。どんな意味なのかしらって思って」

「いやいや、それは……」


 素直に疑問をぶつけてきたメルに、俺はどう説明したらいいんだろうか。


「でも、これは大人の使う言葉だから。子供が知っちゃいけないんだよ」

「そうなの?」


 残念そうなメルの後ろから、クラウが顔をのぞかせた。


「僕は大人だから知ってもいいんだよね? 僕もさっきからずっと気になってたんだ」

「俺に説明を求めるなよ」

「じゃあ、僕が教えますよ」


 二階に着いた宗助が、満面の笑みで説明を買って出たが、


「ヤメロ」


 軽く一蹴して、俺はそれを拒否した。

 「わかりました」と楽しそうに肩をすくめる宗助が案内してくれたのは、俺の記憶する俺の部屋だった。


「ここか」


 どうやらこの世界ではそういうことになっているらしい。複雑な気持ちで中へ入り、俺は更に複雑な気分になる。

 「だいぶ違うね」と言ったのは、一度俺の部屋に入ったことのあるクラウだ。


「違うって何ですか?」


 首を傾げる宗助に、クラウは「何でもないよ」と手を振った。

 まずカーテンの柄が違うが、そんなことはどうでもいい。俺の知っている宗助の部屋は、テレビの前にゲーム機が並ぶだけの、オタク度40パーセントくらいのあっさりしたものだったのに、空気感がまるで違う。

 

 壁に二つ並んだ大型の本棚には、色鮮やかな漫画やラノベがびっしりと詰め込まれていて、有名ラノベの美少女ポスターがベッドの横に飾られていた。

 まさかと思った抱き枕がなかったことにホッとしつつ、典型的な美少女オタクの部屋に俺は軽く眩暈めまいを起こした。


「すごくたくさんの本ね。ソースケは勉強家なのね」


 パチリと手を叩いて、何の疑念も抱かずに誉めるメル。俺があっちの世界に行った時の逆で、メルもクラウもこっちの文字は読めないらしい。

 宗助は「そう言ってもらえると嬉しいよ」と鼻高々に答えた。

 雑然としていた俺の部屋が、こんなオタク度120%の部屋になるだなんて。


 そして俺は、この部屋の涼しさに疑問を抱いた。

 西日の入るこの部屋で、環境対策云々を理由に親から28度設定を言い渡された俺は、汗をかきながらいつも本を読んでいたのだ。

 壁の時計は昼の1時を示している。暑さのピークに差し掛かるこの時間に、ここがこんなに涼しいわけがないのだ。


「この部屋はこんなに涼しくていいのか?」

「ほんと、ここは外と全然違うのね」


 メルもうんうんと首を振る。


「そっちの世界じゃエアコンはないんですか?」

「あっちは外だってこんなに暑くないんだよ。それより、ここは28度設定じゃなかったのか?」

「あぁ」


 俺の言葉に、宗助が苦笑する。


「親は28度だとか言ってるけど。あれ、何で知ってるの?」

「あ、いや……」

「そんなの守ってたら死んじゃうって。そんなのいちいち守ってらんないですよ」


 あははと笑い飛ばす宗助に、俺は愕然がくぜんと肩を落とした。

 俺はそういう風には思っていなかった。普通に守って汗だくになってた自分があほらしく思えてくる。


「じゃあ、メルちゃんはシャワー浴びようか。俺が連れてってあげるよ」


 メルの腕を引いて、しれっとメルを連れ去ろうとした宗助を俺は慌てて止める。


「お前はいい、俺が行くから!」

「俺の家ですよ? 異世界の人が行っても勝手がわからないでしょう?」

「それは」

「ユースケはこっちの世界を研究しててね、結構詳しいんだよ」


 ナイスフォローのクラウに「へぇ」と半信半疑ながらも頷く宗助。メルが「あっ」と声を上げると、「どうしたの?」と一瞬で興味がそっちに向いてしまった。


「身体は洗いたいけど、着替える服がないわ」


 確かに血みどろのワンピースに戻るわけにはいかない。


「俺が買ってきてあげるよ」

「えっ」


 その厚意は素直に受けていいんだろうか。宗助の鼻息が荒い。

 家に客を入れることを躊躇ためらっていた奴が、俺たちを家に置いて買い物に行ってくれるという。


「まさか警察に行くんじゃないだろうな?」

「そんなことしませんよ。けど、僕の選んだ服を着てもらいますからね」

「わ、わかった」


 近所に少女が着る怪しい服を置いた店はなかったはずだ。


「まぁでも、君たちがこの家で窃盗を犯して逃げ出さないように、君たちの大事なものを一つ預からせてもらえますか?」


 急な申し出に、俺たちは三人で顔を見合わせる。

 「何かあったかな」と悩んだクラウが、脇に抱えた包みを一瞥する。黒いマントに包まれたそれは、俺たち3人の剣だ。

 しかしそれを渡すのはどうかと思ったところで、メルが「じゃあ」とワンピースのポケットに手を入れた。


「これは私の宝物だから」


 そう言ってメルが差し出したのは、カーボの顔をかたどった彼女の財布だ。


「お財布? 可愛いね。よし、じゃあ行ってくるから。電話とか来ても出なくていいからね」


 宗助は特に疑問も抱かずにカーボの財布を受け取って、「このくらいか」とメルの背格好を確認した。それで分かるものなんだろうか。

 嬉しそうに「行ってきます」と手を振る宗助に若干不安を覚えつつ、俺たちは部屋で奴を見送った。

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