23 他に誰もいない夜を二人で。

 慰霊碑から少し下りた斜面には10棟ほどのコテージが並んでいて、鍵を預かったというメルが一番手前にある建物のドアを開けた。


 薄暗い部屋で、俺は崩れるようにソファへ雪崩なだれ込む。重い荷物からの解放で、どっと全身に疲労感が覆いかぶさってきたような気分だ。

 少しだけと目を閉じると、シュッと火薬の臭いが鼻をつき、まぶたの向こうがオレンジ色に光った。


「ありがとな」


 メルはてきぱきと四方の壁に固定されたランタンに火を灯し、最後に俺の前に置いてある燭台しょくだい蝋燭ろうそくをつけた。

 何だかアウトドアにでも来た気分になる。

 部屋はテーブルにベッドが二つ。それと、メルの家にもあったシャワーのようなものとトイレの、いわゆるツインルームだ。


 メルはリュックから色々と取り出した食材をテーブルに並べる。肉は原形が見えないせいで色々と心配になるが、きっと美味しい筈だ。木の実や果物も問題ない。


 夕飯は建物の裏手に焚火を作り、メルが引き出しから探し当てた鍋で煮込んでくれたものを食べた。俺にとって闇鍋ともいえるそれは、彼女の定番料理らしい。

 慣れた手つきで火をおこしたメルは、


「もしものことを考えて、朝まで燃やしておきましょう」


 と言う。動物が火を怖がる習性はどの世界でも共通らしいが、もしもなんて状況にはなるべくならないで欲しいと祈る。

 俺は少しだけ討伐の事を忘れて、メルの作ってくれた『何かの汁』に舌鼓を打った。味は良いのだが今日のは小骨が多く、それが口に当たるごとに俺の想像力はレベルを増していった。


   ☆

 先に火の番をするというメルを残して、俺は先にベッドに入る。本当なら一緒に起きていた方がいいと思ったが、「睡眠は大事よ!」という彼女の言葉を受け止めて、先に甘えさせてもらった次第だ。


 窓の外で光るオレンジ色の灯に目を閉じ、どれくらい寝ることが出来ただろうか。

 少し寒さを感じて制服のまま毛布にくるまっていたが、それでも何度か目が覚めてしまい、俺は眠りの浅いフラフラの身体を引きずって、自分の剣を手にメルと交代すべく小屋を出た。

 「剣だけは肌身離さず持っている事」と言うのが、メル隊長からの指示だ。


「ううっ、さむっ」


 勿論のことだが、中より外の方が寒い。

 この世界で今時期の気温は、クラウ曰く「夜は少し冷える」程度だった筈なのに、高原の寒さは別格だった。時折打ち付けて来る風は、降雪を思わせるくらいに冷たい。

 風に吹かれた木々の音と自分の足音以外は、何も音がしない。自分の姿さえよく見えない暗闇に恐怖を覚えて、俺は足早に建物の裏手へと回った。


「あら、まだ早いわよ」


 焚火に小枝をくべながら、メルは俺を見上げて「いらっしゃい」と迎えてくれた。

 彼女の横に座って、俺は両手を火にかざす。

 

「あったけぇな」


 全身に染み込んでくる熱に、一気に溶けてしまいそうな気分だ。


「中が寒くてさ。ここに居てもいいか? 何だったらメルはここで寝てくれても構わないんだぜ。その服じゃ寒いと思うから」


 メルお気に入りのカーボ印のワンピースに生足じゃあ、ちょっと心許こころもとない。

 

「そんなに? 気付かなくてごめんなさい」

「謝るなよ。ここに居ればいい話だろ?」

「えぇ……ありがとう」


 はにかんだメルとの距離を詰めて一息ついたところで、俺は辺りを見渡した。


「ここはモンスター出ないんだよな?」

「大丈夫だとは思うけど、私が付いてるんだから安心していいのよ?」


 メルははっきりと否定しない代わりに、どんと小さな胸を叩いた。

 あまりにも静かで、あまりにも暗い。月が出ている筈なのに、まばらに浮かぶ雲がちょうどその姿を隠してしまって、光が殆ど届いては来なかった。


 人気がなさ過ぎて、この世には自分たちしかいないような気さえしてくる。


「夜って暗いんだな」


 うちは親がインドア派でキャンプなんかしたことないから、明かりのない山なんて初めての経験だった。

 少しホームシックになりかけて、俺はぶんと頭を横に振った。


 別に帰れない旅じゃねぇだろ――?

 ほんの少し、みんなが俺の事を忘れてしまう――ただそれだけの事なのだ。


 俺がこの異世界に来ることで、向こうの世界に居る誰もが俺の存在すら忘れてしまう。けれど、それは俺が向こうに戻ることで全てリセットされることなのだ。何もかも元通り。


 ただ、一人を除いて。


 俺が存在した記憶を保持する『保管者』は、結局誰になったんだろう。

 美緒が居なくなった時の俺みたいに、誰かが悲しんでいるのかもしれない。半分は勢いでこっちの世界に来てしまったが、その人物の事を考えると申し訳ない気分になって来る。


「ユースケ?」


 不安気な顔で俺を覗き込んで、メルは「よいしょ」と俺に身体を寄せてきた。


「夜が怖いの? 寂しそうな顔してるわよ?」


 そっと俺に重ねたメルの掌があったかい。何だか心配させてしまったらしく、


「メルが居るから大丈夫だよ」


 と俺は強がった。


「メルがモンスターをやっつけてくれるんだろ?」


 そう言って彼女を振り向くと、焚火の火で赤く染まった瞳を細めて、メルは小さく微笑んだのだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る