19 その日俺は何故か川の字で寝る事になった。
服屋からの帰りがけ、俺はメルと二人でその丘へ登った。
町のメインストリートを逸れ、メルにグイグイと手を引かれて草原の坂道を歩いていく。
町の中とは風景がガラリと変わって、広々とした緑の奥には山や海も臨むことが出来た。
ひゅうと吹いた風に足元の緑がザワザワと音を立てて波打つ。
所々に咲いた小さな花を指差して、メルが楽しそうに何かの曲を口ずさんでいた。
ここにある花や草が元居た世界と同じものかどうかなんて俺には全然分からないけど、ただ漠然と綺麗だなと思えることにホッとしている。
夕方の空も、向こうの世界と何ら変わりない。
丘の頂上に着くとメルは先導していた右手を離して、まっすぐにその方向へ伸ばした。
「おおっ、見えた見えた。あれか……」
この丘に登ったのは、これを見るためだ。
魔王の城。
城というよりは要塞だなと俺は第一印象でそう思った。
ここから町を挟んだ反対側の丘の中腹に建つそれは、角ばった塀にぐるりと外を覆われていて、部外者を歓迎する気は毛頭ないように見える。全体が黒いのもきっとその印象を強めているのだろう。
「貴方が行きたいって言ってるのは、あそこよ。今の貴方じゃ、見ただけで足が
「あぁ。アイツは……美緒は、本当に自分からあそこに行きたいって言ったのかよ……後悔してるんじゃないだろうな」
大きな部屋に、召使いに、花の咲く庭……だったか。条件だけ聞いて、俺も羨ましいと思ったが、あの黒い塀が隔離した異質な空間に、心配だけが募ってしまう。
「けど、あの城はクラウ様じゃなくて大昔の魔王が建てたものだから、その時と今とじゃ中の体制も大分変ってきてると思うの」
「変わって、って。まぁ、大っぴらに異世界から女を集めてるくらいだしな」
クラウがただの巨乳好きな変態だったら、むしろ安心だと思えてしまう。
その意味を忘れかけていたが、奴は魔王なのだ。優男っぽい本人はともかく、あの城は『魔王の城』のイメージそのものだ。
そして緋色の魔女の存在。緋色と聞いて、俺はマーテルさんのオレンジ色の髪を連想させた。
あれを緋色と呼べるかどうかは分からないが、町を行き交う人々の髪は黒や金が多く、ラノベ世界に出てきそうな青や緑や真っ赤な原色は見掛けなかったのだ。
飛びぬけて目立つマーテルさんのオレンジ色の髪は特別な気がしてくる。
「あそこに乗り込むのは難しいと思うけど、そういえば来月20年ぶりの建国祭があって、門を開けるって噂があるの。もしそうなら、中へ入るチャンスかもしれないわね」
「建国祭?」
「この国の繁栄を願って、建国の日を盛大に祝うのよ。毎年やってるけど、城の門が解放されるのは20年に一度なの。あまりにも長くて、みんなちょっと半信半疑なんだけど」
「そんなにスゲェ祭りなのか。じゃあ、それを逃すわけにはいかないな」
「そうね。貴方がいい時に来たのか、この時期に来る運命だったのかは分からないけど」
そんな運命があるなら、俺は大分引きがいい男だ。
☆
「今日はたくさん、はしゃいじゃったわね。ごめんなさい」
メルが俺の部屋のドアを叩いたのは、明日の準備を終えてベッドへ入ろうとした時だ。
ツインテールを解いた髪がもふもふと揺れている。白いネグリジェを着て、少し眠そうな目をこすりながら、メルは「今日はありがとう」と微笑んだ。
「子供がそんなことで謝んなくていいし。はしゃぐのは悪い事じゃないぜ」
「そう……ね。こんなにたくさん人と話したのは久しぶりだったから。私ずっとこの家に一人で居るから、貴方が来てくれるって聞いて嬉しかったの」
「親はいないのか? 学校とかは?」
「学校は長期休暇中よ。両親は小さい頃に死んじゃったの」
しんみりと頷いて、メルはソファに腰を下ろした。
俺はベッドの端に座ると、膝の上で手を組み「悪い」と謝る。そんな深い話を聞こうと思っていたわけじゃない。
メルを相手に、踏み込んでいいラインをまだ見極めることが出来ず、俺はがくりと頭を下げた。
「いいのよ、気にしないで。お父さんやお母さんのことは殆ど覚えてないから。今は町の人もクラウ様も、親衛隊のみんなも優しくしてくれるから、結構楽しくやってるのよ」
そう言って彼女は、どこか物悲しさを含んだ笑顔を見せた。
寂しそうな顔を見ていると、ぎゅっと抱きしめたいと思ってしまうのは、彼女がこんな小さい子供だからだ。
愛おしいと思える――それは親心みたいなものかもしれない。
「一緒に寝るか?」
なんて言ってみる。同年代の女子には、口が裂けても絶対に言えないセリフだ。
こんな小さいってだけで全然気にならなくなるのは不思議だ。
どうせ断られるだろうと冗談半分だったのに、メルは急に立ち上がり無言のままタタタっと部屋を出ていくと、両手に大きなぬいぐるみを抱えて戻ってきた。
「それもカーボなのか」
メルの顔にパッと笑顔が
ぬいぐるみは実物より大分小さいが、メルの身体の半分くらいはあった。長い牙はもちろん付いているが、全体的に可愛い感じでデフォルメされている所が女子の心をくすぐるのだろう。
俺を襲ってきたコイツは、もっと目をギラつかせていたけれど。
シングルより少し広めのベッドに入って、照明を落とす。窓にカーテンがないせいで、月明かりが青白く部屋を照らしていた。
「ユースケ」
暗がりに耳元でメルの声が響いて、俺は少し緊張していた。彼女が子供だと分かっていても、布団と闇がその事実を隠してしまっているのが良くない。
壁際に俺、通路側にカーボを置いたせいで、彼女との距離が大分近く、体温の温もりや小さな呼吸音まで伝わってくる。
「お、お前は俺の事怖くないのか? 今日初めて会った男と一緒に寝るなんて、女の子は嫌がりそうだけど」
平常心という言葉を頭で繰り返しながら尋ねると、メルは「大丈夫よ」と首を振る。
「怖くないわ。だって、私の方が強いもの」
「あぁ、そうか……だよな」
彼女の剣はベッドの横に立て掛けられていて、いつでも発動可能だ。
間違っても変なことはしないように心掛けねば。何かあったら、一瞬で天国に飛ばされてしまうかもしれない。
「俺、明日は頑張るからな。戦うのはあんまり自信ないから、荷物持ちでも何でもするぜ」
「頼もしいわね」
お互いに顔を向き合わせて、そんな話をする。
「じゃあ、はやく寝ようぜ」
そう伝えると、メルが俺の腕を小さな手でギュッと握り締めた。
俺の全身が否応なく興奮してしまったのも束の間、暗がりに浮かんだ彼女の顔は、やはりどこか不安そうに見えた。
落ち着けよ、と俺は壁の方へと大きく息を吐き出す。
彼女の不安の種が何であるかは分からないけれど、俺が少しでもその気持ちを和らげることが出来るなら、こんな回り道は悪くないと思える。
だから、俺はその腕を一晩彼女に貸してやることにした。
「おやすみ」と笑って見せると、メルは「おやすみなさい」と目を閉じて、あっという間に寝息を立ててしまった。
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