5 お前が魔王のハーレムに入ることを同意しただなんて!

「ちょっと待て。魔王だと? それも、巨乳集め?」

「全く、魔王様も変な趣味よね。胸が大きいのがいいだなんて」


 そこは魔王が正論だと思うが――いや、ちょっと待て。


「じゃ、じゃあ何か? 美緒みおは胸が大きくて可愛くて大人しいから、魔王の所に連れていかれたのか?」

「そうよ。私の見立ては正しいでしょう?」


 即答されてしまった。


「それでアイツが同意したのか? 昨日、何も言ってなかったのに……」


 ――「佑くんは、別の世界になんて行かないでね」


 あれは、こうなることを全部知ってての言葉だったのだろうか。


「だって私が言わないでって注意したもの。本人の存在なんて、門をくぐった時点で忘れられちゃうんだけどね。ふぅん、でも貴方が――」

「何だよ」


 異世界から来た女は俺と正面から向き合って、自分のくちびるに細い人差し指の背を押し当てた。

 俺を品定めでもするように足の先から見上げていき、視線を捕らえた所で首をかしげる。


「いいわ、貴方は選ばれた人みたいだから教えてあげる」

「選ばれた? 俺も異世界に行けるってことか?」

「違うわよ」


 ぴしゃりと言って、女はその説明をした。


「こっちと向こうの世界の行き来には門を使うんだけど、こっちの人間がその門を潜ると--つまり『転生者てんせいしゃ』の、こっちの世界での存在が消えてしまうのよ」

「それは、理解したつもりだ。朝から誰も美緒の事を覚えてなかったからな。けど、それって一方通行なのか? 美緒は帰って来れるんだろうな?」

「もちろん、一度改変してしまった世界でも、記憶を元に戻すことはできるし、本人も帰って来れるわ」


 大分都合の良い話に聞こえて来て、俺はホッと胸をで下ろした。


「けど、転生者が向こうと関わった記憶は抹消まっしょうされてしまうけどね」

「そっちの世界で過ごしたことを、美緒は全部忘れちまうって事か?」


「そう。でも、貴方はミオを覚えていたんでしょう? その権利が与えられるのは、たった一人だけ。貴方はミオの記憶を保管する『保管者ほかんしゃ』に選ばれたの」


「保管者?」


「あの子がこっちに戻ってきた時、みんなの記憶を戻すには、貴方の中のミオの記憶が必要なの。転生者の記憶は戻らないけど、元の居場所は確保してあげられる--それが保管者の役目よ」


「それが、俺?」

「保管者は基本、転生者に近い人がランダムで選ばれるわ」


「じゃあ、アイツをこの世界に戻せる役目を与えられたのが、俺って事なんだな」


 女は頷いた。


「あの子がこの世界に戻る気が無ければ関係のない事だけど」

「そんな--」


「まぁ貴方の望みが叶ってあの子がこっちに戻って来た時に、元通りの状態になるかどうかは貴方次第よ。貴方が死んだら、ミオがこっちに存在した記憶も消えてしまう。貴方が生きている状態でミオを覚えていることが条件なんだから」

「お、おぅ」 


 何だか怖い話だが、自分が選ばれたことを俺は素直に嬉しいと思った。やっぱり幼稚園の時に結婚相手に選ばれただけのことはある。


「でも俺はテニス部の先輩の事も覚えてるぜ? 会ったことなんてないのに」


 もしや、その先輩も密かに俺に好意を抱いていたのではと顔がゆるんだ所で、その妄想は淡々たんたんとした女の言葉に打ち砕かれる。


「あぁ、髪の短いコかしら? そのコは私が運んだわけじゃないんだけど。彼女も行ったのは今朝だったわね」 

「今朝?」


 木田が泣いていたのは一週間も前の話だ。けど、その時はまだ木田が覚えていたことを考えると否定もできない。


「保管者同士は転生者の記憶を共有することが出来るのよ」

「なら、俺以外にもう一人、美緒のことを覚えているってことになる?」

「その子の保管者がミオの事を知っていればの話だけどね」


 それは誰だろう。

 学校の奴か、それとも身内か。


 いずれにせよ、今朝けさ俺が会った中にはそれっぽい人なんていなかった。

 そして、連れていかれたのが二人いるってことはまさか――。


「お前たちは、そっちの世界に、おっぱいの大きい子を何人連れてったんだよ?」


 案の定、女は指折り数えて、


「5人ね。本当は10人くらいって言われてるんだけど、そうそう上手くはいかないわよね」


 (それって……。魔王よ、お前はハーレムを作る気なのか?)


 美緒は小さい頃から王子様が好きだった。王子に見初められて、ハッピーエンドを迎えるというシンデレラストーリー。

 けど、この状況はそんな華やかなものじゃない。

 魔王のハーレムに入ることを同意したというのか。


「美緒、お前が憧れてた王子さまは、魔王でも良かったのかよ」


 吐き出すように呟いて、俺は女の顔を見上げた。


「なぁ、魔王はどうしてこっちの世界の女でハーレムを作りたいなんて言い出したんだよ。アンタらの世界にだって、女はいるんだろ?」


 そもそも、そこが俺には疑問だった。

 目の前に居るこの女だって十分に美人なのだから、他にだって居るはずだ。


「魔王様が胸の大きい子を希望なのよ。言ったでしょ? 向こうにはそんな変な体の女はいないのよ」

「なん……だと――?」 


 (胸の大きい女が居ないだと? そんな世界が存在していいのか?)


「いや、ありえないだろ。胸がないだなんて……あっ」


 けれど。目の前の女の胸へ視線を落として、俺は理解した。

 布の少ない異世界の衣装にばかり目が行っていたが、そこに足りないものを確信する。

 

 (そうだ、胸がない!)


 顔と身体は大人なのに、折角せっかくの水着仕様の衣装に包まれた胸は、未発達ともいえる小学校低学年のような、つるぺたんとしたものだった。


 この色気むんむんの衣装にピタリと合う筈の胸がない。

 普乳といえる膨らみさえも見当たらず、絶望感さえ沸いてくる。

 そんな服着て、くびれはあるのに乳がないだなんて!


 (惜しい、惜しいんだよ!)


 平野が言ってた普乳どころの話ではない。スレンダーな彼女では、寄せるものもなさそうだ。


 (んだことはないけれど、これじゃあ、いつになっても揉めないじゃないか!)


 ダメだ、魔王に同情してしまう。

 けど、そんな野望を知ったからには、尚更なおさら美緒だけは連れ戻さなければならない。


「私に言わせれば、大きい胸なんて邪魔なだけだと思うけど」


 女はボヤいて腕を組み、「じゃあ、私は行くわ」と俺に背を向けた。


「ちょっと待って!」


 立ち去ろうとする彼女の腕をつかんで、俺は必死に懇願こんがんする。


「行かないでくれ。アンタが頼りなんだ」


 これがアイツを助けることになるかどうかは分からないけれど、俺の記憶が消えなかった以上、俺にも向こうへ行く権利が少し位はある筈だ。


「今この世界で、俺の側で唯一美緒の話ができるのがアンタなんだよ!」

「でも、駄目なものは駄目なのよ。誰でも門を潜らせていいわけじゃない。私は決められる立場じゃないの。諦めてくれる?」


 俺の手を振り払って、女は再び俺と向き合った。

 彼女の事情は理解した。けれど、俺だってそっちの世界に行かなければならない。


 じっと見下ろされる威圧感に視線を下げて、俺は何かないかと頭を巡らせたところで、視界に彼女のVラインが飛び込んできた。動揺を見抜かれないように、そっと息を飲み込む。

 こんなの目の前にしたら、思考なんて働くわけない。


「それにしても暑いわね、この世界は」


 梅雨明けの炎天下は、異世界人にも辛いらしい。


 太ももに滲む汗が筋を描いて下へとつたっていく。

 異世界にもパンストがあるらしい。肌の透ける薄い生地がピンと張る様は、生足よりもいっそう艶めかしかった。


 よく見たら、彼女の着ている服はバブル期に流行ったという伝説のハイレグに似ていた。

 股を隠す最小限の生地に、くびれの位置まで露出された脚。

 ビキニより隠れている部分は多い筈なのに、こっちの攻撃力の方が遥かに高い。


 そんな時代遅れの食い込みに、21世紀を生きる現役男子高校生の俺が反応するワケない筈なのに――。


 (ダメだ。耐えられなくなるじゃないか!)


 平らすぎる男のような胸板を補うには不十分だけれど、色気は十分に伝わってくる。

 むしろ刺激が強すぎて直視できない。


 うちの親父はバブル期を生きたらしいが、あの時代を成人男子として過ごしたなんて経験値高すぎて尊敬するレベルだ。


「それでどうするの? どうもできないでしょう? いやらしい顔して!」

「うわぁお!」


 ついうっかり見入ってしまった。


「違う、俺はそっちの世界へ真剣な気持ちで行きたいんだ」


 ただ、俺のレベルが低すぎて、惑わされてしまっただけだ。


「俺はアイツを助けたいんだ。だから、連れてってくれ!」


 美緒を助けに行きたいのと、異世界をこの目で見たいという気持ち。

 俺はまた彼女の腕にしがみついて、声を張り上げた。


「しつこいわね。じゃあ、自分で本人に直接頼んでみてよ」

「え? それってどういう――?」


 説明もないまま、女はイラついた声で「じゃあね」と俺を力ずくで振り切って行ってしまった。

 彼女の左手の甲にあてがわれた布には、異世界の難解文字が書かれている。彼女が右手でそれに触れた瞬間、突然強い光が現れて彼女の周りを覆ったのだ。


 長いオレンジ色の髪とマントがバタバタと揺れて、光はその姿を飲み込んでいく。


「待ってくれぇ!!」


 悲痛な俺の涙ながらの叫びは、収縮しゅうしゅくする光と共に消えてしまった。

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