第32話 オケハザマ

 統一歴 二千二百九年 長月七日 転移 百六十九日目 駿河



 この日駿河、遠江国主今川義元はかねての予定通り、尾張討伐の為に軍の招集を命じた。


 彼女の中で予定通りにいかなかったことは尾張を海上封鎖し国力を弱らせることと、頼りにしていた太原雪斎が戻らなかったこと。


 その点に関して不安を覚えた義元は総勢二万五千の大軍で尾張を攻めることを決めた。


 甲相駿三国同盟により東と北の国境の兵を西に向けることが出来た結果だ。


 勿論同盟国とはいえ最低限の備えは残してあるが、 それでも今まで他方に割かれていた兵力を動員して西に向かう将兵に厚みを増すことで細心の用心はした。


 雪斎を破ったとはいえこの大軍の前には打つ手があるまい。


 義元は心中に必勝を期し、西進の準備を進めるのであった。



 統一歴 二千二百九年 長月二十八日 転移 百九十日目 三河 岡崎



 領国統治を嫡女氏真と母樹桂尼に任せた義元は順調に三河まで進軍する。


 岡崎まで進出した彼女は

「大高城を囲む鷲津砦を泰朝に、丸根砦を元康に攻めさせ大高城に兵糧を届けよ。別動隊は兵一万をもって当たるがよい」

 と命じる。


 そして、

「大高城までの敵を排除したならば全軍をもって中島砦を攻める。それまで本隊は田楽狭間にて待機。長島にもそのように知らせ学園の注意を引き付けさせるがよい」

 重ねてそう命じるのであった。



 統一歴 二千二百九年 長月三十日 雨天 転移 百九十二日目 桶狭間



「全隊停止。鷲津と丸根の砦が落ちるまでここを本陣とし休息をとるがよい」

 秋の雨空の寒さに身を震わせながら義元はそう命じる。


 兵が最優先で彼女の為の雨除け施設を用意し、暖房を設置する。


「兵達も雨除けに入り休ませよ。この寒さで体調を崩されてはかなわん」

 その命令で兵達も簡易的な雨除け施設の中で暖をとる。


「のう丹波よ、尾張のうつけは打って出て来るかの? 籠城して美濃からの援軍を待つかの?」

 義元はかたわらに控える朝比奈親徳にそう問いかける。


「それがしが尾張方であれば清州に籠城し、美濃からの援軍を待ちますな。御屋形様におかれましては速やかに中島砦、善照寺砦、丹下砦を攻略し末森から那古野までを攻め落とされるがよろしいかと」

 親徳がそう進言する。


「あとは三河勢を先兵として尾張をじわじわと切り取ればよいか?」

 義元がそう問いかけると、

「御心のままに」

 と返答する。


 大軍をもって進軍してきているとはいえ未だに弾正忠家は尾張一国を実効支配している脅威であることに変わりはない。

 二万の兵に抗し得る兵力を集められるとは思えないが、それでも学園と協力して決戦を挑まれれば著しい損害を加えられる可能性はある。


 だからこそ彼女は決戦をせず、尾張に楔を打ち込んだまま持久戦で事を構えようと考えた。

 それならば美濃からの援軍も出ずっぱりではいられないし、三河の松平をすり減らすことも出来て今川家にとって益となることも多い。


 豊かな尾張を治めている弾正忠家とは言えこちらは駿河、遠江、三河の三国を統治する大大名なのである。

 国力では上回っているので、その優位性を生かした攻め方をすればいい。


 いかな勇将、猛将が敵方にあろうとも戦場の勝利をもって国の命脈を保ち続けるのは不可能である。


 政で上回り、国力で押し切る。


 雪斎を失った時点で義元は戦場での勝利を求めてはいなかった。


 だが結果として尾張一国を落とす方策は頭にある。


 彼女は戦術家としては隣国の晴信や氏康に劣るかもしれない。

 しかし彼女は実用主義的な政治家として有能であることに本質があり、戦場での華々しい戦果など最初から求めてはいない。


 結果として領国を安定して統治し、危険な因子を排除できれば良いのだ。


 それに徹しているからこそ今川は大国であり、大大名として君臨できている。


 それを理解している重臣たちにより支えられているからこそ今川家は強大なのである。


 だが、その今川の強大さを調べ、究めた者が尾張にはいる。

 義元が本質を知らぬその存在はその鋭い牙を彼女の首筋に突き立てようとしていた。


「敵襲! 敵襲でございます! 中島砦方面より敵兵が攻め寄せてまいりました!」

 桶狭間の戦いの始まりはこうして告げられたのである。



 統一歴 二千二百九年 長月二十九日 雨天 転移 百九十一日目 尾張 中島砦



 友貞からの報告により義元が桶狭間目指して進軍していると知り、物見を放って裏をとった信長に率いられ、前日まで浮き車に乗って進軍していた兵たちを砦の中で休息させ織田家と武蔵総合学園の首脳陣が決戦前に最後の打ち合わせをしている。


「我が方は今川の物見を避け、左右の山を越えて義元のいる本陣を叩く。その為に誠殿には敵先陣を引き付けて欲しい」

 信長が今川に対して強烈な印象を与えている誠を囮に使うつもりでそう提案する。


「わかった」

 誠が承知する。


「姉上は誠殿の指揮下に入り、補佐を頼む」

 信長が信広にそう命じると

「承知いたした」

 信広が二つ返事で招致する。


「今川方の兵が前後に伸びきって敵本陣が薄くなった所に左右の山より逆落としで奇襲をかける。これで義元を打ち取れるとは思わぬが奴は荒武者を使わねばならぬ状況にはなろう。そうなれば穂村、後はお主に託すしかない。義元の荒武者左文字は最上大業物である、努々抜かることなきよう気を付けて挑めよ」

 信長が心配げに助言する。


 穂村は

「応!」

 と、簡潔にこたえると、


 これしか最善手はないか……


 ともう一度自分に問いかける。


「では、皆様配置につかれますようお願いいたします」

 会議を切り上げるように菖蒲が仕切る。


「勝って尾張に戻るぞ」

 と信長が宣言すると、その場にいる全員が気勢を上げる。


 友貞という埋伏の毒から情報が洩れていることを知らぬ今川方は信長の逆転の一手の絵図面に嵌るよう動き続ける。


 だが尾張方は学園の戦闘要員を合わせても五千ほどの兵力しかなく、荒武者という決戦兵器が存在するこの世界では奇襲が成功しても勝利に直結するとは言い切れない。


 だからこそ信長は穂村に自分の愛刀であった鶴丸国永を与えたことに安堵を覚えていた。


 義元の愛刀宗左文字がいかな最上大業物とはいえ、穂村ならば抗し得ると信じることが出来たからだ。


 織田弾正忠家と武蔵総合学園の今後を決める運命の一戦は今川方の知らぬ内に静かに幕を開けていたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る