第14話 令嬢は驚かれる

「ハルツ様………?」


 戸惑いを含んだフィオーラの声に、ハルツは動きを再開した。

 まだ去らない驚きを抱えつつ、フィオーラの姿を観察する。


(整った顔立ちをしているとは思いましたが、予想以上ですね………)


 顔にこびりついた泥を湯で落とし、汚れた衣服を取り換える。

 ただそれだけで、驚くほど印象が変わっていた。


(最初に見た時は、せいぜい12、3の少女かと思いましたが………)


 今ではハルツにもわかっていた。

 細い手足も、十代後半にはとても見えない小柄な体も、全ては家族に虐げられていたせいだ。

 

 満足に食事がとれなかったせいでやせ細り、泥と汚れにまみれていたフィオーラ。

 華奢な体型はそのままだが、今の彼女は見違えるように、年相応の美しさを見せ始めていた。


(今の姿で彼女が外に出たら、また一波乱ありそうですね…………)


 聖女にも匹敵する力に、十代後半の瑞々しく美しい容姿。

 フィオーラへと向けられる人々の欲と視線を想像し、ハルツは彼女の今後を思いやったのだった。



  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 ハルツ司教は部屋に入るやいなや、なぜか笑顔で固まってしまっていた。

 フィオーラは彼の姿に、もしや自分は何か粗相をしてしまったのだろうかと不安になっていた。


「ハルツ様、どうなさったんですか? もしかしてどこか、お加減が悪いのですか?」

「…………いえ、なんでもありません。少し驚いていただけです」


 ハルツ司教が答えつつ、ふとフィオーラの手首に目を留めた。


「フィオーラ様、勘違いでしたらすみませんが、手首にも痣があったはずでは………?」

「…………はい、ありました。でも、今はもう大丈夫です。アルムが治してくれました」


 アルムの力を素直に話しても良いかどうか、フィオーラは一瞬ためらった。

 だが、青あざが消えているのは、少し確認されればわかることだ。

 下手に嘘をつき、ハルツの心証を悪くするのはためらわれたからだったが、


「…………はい?」


 当のハルツは、またもや動きを止め固まっていた。

 

「痣が、特殊な樹具もなく、一晩も経たず消え失せたと?」


 ハルツの瞳が、治癒されたフィオーラの手首と、アルムとの間を交互に見やっている。


「………ありえません。そんなこと、一体どうすれば………」

「失礼だな。君たちの尺度に、僕を無理やり当てはめるのはやめてくれ」


 平坦なアルムの声を聴きつつ、フィオーラは冷や汗をかいていた。


(千年樹教団にだって、癒しの奇跡を行う方はいらっしゃるはずでしたよね………?)


 あいにくと、ミレア達に虐げられていたフィオーラがその奇跡を目にしたことはないが、千年樹教団の中には、傷を癒すことを生業にした人間もいるはずだ。

 そう思いつつ、おそるおそるハルツへと確認することにした。


「ハルツ様、アルムのしてくれたことは、それほど驚くことなんですね………?」

「………ありえない、少なくとも今までの事例には無い話です。私達千年樹教団の中で癒しの奇跡に優れている者でも、通常は人の持つ治癒力を促進し、傷の治りをよくする程度がようやくです。高価な樹具を惜しみなく使うならともかく、今までの常識では考えられない話ですよ」

「………高価な樹具………」


 フィオーラはちらりとアルムを見た。

 樹具とは世界樹の枝葉、つまり世界樹の欠片を加工したものだった。

 アルムが世界樹本体である以上、その力が樹具を遥かに超えるのも当然かもしれなかった。


「フィオーラ様、それにアルム様も…………そのお力、説明してもらえませんでしょうか?」


ハルツ司教からの問いかけに、フィオーラはどう返答すべきか思い悩む。


(ハルツ様にはよくしていただいているけど、素直に全てを、話してしまっても大丈夫なのかしら……)


 アルムが次代の世界樹であること。

 フィオーラがアルムの主であること。

 

 フィオーラ自身も最初信じられなかった話だが、ハルツ司教に信じてもらえたとしても、その後どうなるか予想がつかないのが問題だ。

 先ほど、この部屋でアルムと二人でいた間に、今後どうするかも考えていたが、まだ答えは出ていなかった。

 

「フィオーラ様、そのように悩まなくても大丈夫ですよ。問いかけておいてなんですが、実は私には、アルム様について、一つ心当たりがあるんです」

「え……?」

「アルム様はこの世界をお守りくださる、世界樹様の化身では無いのですか?」

「!!」


 アルムの正体を言い当てられ、フィオーラは思わず固まった。

 どうして、という戸惑いと。

 ハルツ司教は千年樹教団の人間なのだから、世界樹について何か情報を握っていて、アルムの正体に勘づいたのかもしれないと、そんな推測が思い浮かんだ。


「……はい。ハルツ様のおっしゃる通り、アルムは人ではありません。世界樹が人の姿を取っているそうです」


 これ以上、言葉を濁すのもためらわれ、フィオーラは素直に答えた。

 誤魔化したところで、すぐ看破されそうな予感がしたし、関係を悪化させたく無かったからだ。


「ありがとうございます。よくぞ、まだ初対面も同然の私に、秘密を打ち明けてくださいました」

「こちらこそ、ありがとうございます。ジラス司祭の誤解を解いていただき、こうして部屋と服まで与えていただいたのに、隠し事をしようとしてしまい、すみませんでした……」


 フィオーラが罪悪感を覚え謝ると、ハルツ司教が首を横に振った。


「フィオーラ様が謝る必要は、全くありませんよ。むしろおかげで、私は安心できたくらいです」

「……どういうことでしょうか?」

「もし、フィオーラ様が何のためらいもなく、アルム様の正体を他人に教えてしまうようでしたら、どうしようかと思ってしまいましたからね」


 ハルツ司教の答えに、アルムが片方の眉を跳ね上げた。


「ふーん、君、フィオーラのことを試してたんだ。いい性格してるね?」


 どうやらアルムも、フィオーラと同じ考えに思い至ったようだった。


(ハルツ様は既に、アルムの正体に勘づいていらっしゃったはず。なのに、わざわざ私に聞いてきたのは、私がどう反応するかを確認したかったということですね……)


 ハルツ司教は物腰穏やかで、悪い人間には見えなかった。

 だが、伯爵邸でとっさにジラス司祭を庇おうとしていたあたり、頭の回転は速く機転も利くはずだ。


(良い人間であることと、企み事をする人間であることは両立する……)


 昔、母が生きていた頃に、フィオーラに教えてくれた言葉だ。

 当時のフィオーラは幼く、その言葉の意味を理解できなかったが、今はっきりと実感していた。

 

「フィオーラ様、すみませんでした。試すような真似をして、不快になられてしまったかと思います」

「いえ、大丈夫です。ハルツ様の試しは、私を心配してくださってのことだったんでしょう?」


 フィオーラは小さく微笑んだ。

 もしフィオーラが、躊躇うことなく迂闊に、アルムの正体を教えてしまうような人間だった場合。

 ハルツ司教はその不注意さを咎め、諭そうとしたに違いない。


(今でも信じられないけど、私は世界樹であるアルムの主になってしまったんだもの。うっかりそのことを明かして回ったら、大きな波乱を呼んでまずいことになるのは、私でもわかるものね……)


 ハルツ司教はそれこそ、フィオーラに甘い言葉だけを囁いて、利用することもできたはずだ。

 なのに、素直にフィオーラを試していたことを認め謝罪する彼は、悪い人間ではないはずだった。


(ハルツ様には、こちらへの敵意や悪意は感じられないもの……)


 長年、ミレア達に虐げられてきたせいで、フィオーラは他人の視線や顔色に敏感だ。

 情けない特技だが、おかげでハルツ司教に敵意が無いことは実感できて、少し安心できたのだった。


「フィオーラ様……。これはもしかして、私が思うよりずっと、」


 聡明な方かもしれない、と。

 そう小さく呟いたハルツ司教の言葉は、フィオーラへは聞こえていなかった。


「ハルツ様、何かおっしゃいましたか?」

「いえ、独り言です。フィオーラ様は今まで、家庭教師をつけられたことはございませんよね?」

「はい……」


 恥ずかしくなり、フィオーラは少し縮こまった。

 世間知らずなのは自覚しているし、同年代の令嬢と比べて、知識も教養も足りないのも歴然だ。


「母が生きていた頃に、読み書きだけは教えてもらえましたが、勉強といえるようなことは、それくらいだと思います」

「……読み書きを、侍女で平民のお母さまから?」

「はい。簡単なものだけなので、伯爵家の娘としては、落第ものだと思いますけど……」


 物知らずな自分に、ハルツ司教も失望してしまったのだろうか?

 フィオーラが申し訳なくなっていると、ハルツ司教が慌てた様子で首を振った。

 

「引け目を感じる必要はございません! 適切な教育を受けられなかったせいなのですから、フィオーラ様は何も悪くありません。もしよければ今後、フィオーラ様の持つ才を伸ばすため、教師をつけさせていただきたいのですが、どうでしょうか?」

「……ありがとうございます。ですが……」


 少しためらいつつ、フィオーラは口を開いた。


「ハルツ様達は私とアルムを、この先どうするおつもりなのでしょうか?」

「……そうでしたね。すみません。説明とお願いをするのが先でしたね」


 アルムとフィオーラを交互に見、ハルツ司教が真摯に言葉を紡いだ。


「次の世界樹であるアルム様、そしてアルム様の主であるフィオーラ様。お二方のお力を、私どもに貸していただけないでしょうか?」


 

 

 

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