第10話 令嬢は保護される
フィオーラ達へと頭を下げた青年は、ハルツ司教と名乗った。
司教ということは、ジラス司祭より上の位階だ。
年齢は、せいぜい二十代後半と言ったところなので、かなりの出世速度だった。
(でも、樹具を使える方なんだから、当然かもしれないわね………)
樹具を扱えるのは、生まれつき素質を持つ一握りの人間だったはずだ。
そんなことを思いつつハルツ司教を見ていると、痛ましそうに眉をひそめるのが見えた。
「すみません、まだお名前をうかがっていなかったと思うのですが、お聞きしてもよろしいですか?」
「フィオーラ・リスティスです。父は伯爵家の当主ですが、母は平民の侍女でした」
「ありがとうございます。…………そして重ね重ね、誠に申し訳ありませんでした」
再び頭を下げるハルツに、フィオーラは居心地が悪くなった。
ジラス司祭と同じ教団の人間として、謝罪をするハルツの考えもわかるが、自分より背丈も年も地位も上の相手に頭を下げられるのは、どうしても落ち着かないものだった。
「ハルツ様、やめてください。ハルツ様は私たちの話を聞いて、ジラス司祭をいさめてくれたんです。おかげでとても助かりました」
「ですが、ジラス司祭の罪は、簡単には許されないものです。フィオーラ様は全身泥まみれで、青あざがいくつも出来てしまっています」
「あ…………」
手荒く扱われていたせいで、服の一部がずり落ち、青あざの散る肩がむき出しになっていたようだった。
手早く服を直しつつ、フィオーラはハルツ司祭へと答えた。
「見苦しい肌を見せてしまい、申し訳ありません。ですがこの痣は、前からできていたもので、ジラス司祭は関係ないので、大丈夫です」
「…………そうですか」
ハルツ司祭は少し驚きつつも、フィオーラの言葉を信じてくれたようだった。
「わかりました。ですがどちらにせよ、フィオーラ様に休養が必要なのは明らかです。我が教団内に部屋を用意しますから、いらしていただけますでしょうか?」
ハルツの申し出に、フィオーラはアルムを振り返った。
「ついていきたいと思うのだけど、どうかしら?」
ジラス司祭の件もあり、警戒心はもちろんある。
だが、ハルツ司教は悪い人間ではなさそうだし、このまま伯爵家にいては、またミレアが手を出してくる可能性もある。
それにアルムをこれ以上、フィオーラの粗末な自室に招くのを躊躇われるのも大きかった。
「………うん。いいんじゃないかな? いざとなったら、僕がどうにかするつもりだから、安心するといいよ」
「ありがとうございます。…………ですがその、どうにかする前に、一度私に教えてくれると、とても助かります…………」
アルムは絶大な力を持っているが、人ではないが故、手加減が効かないようだ。
どうもフィオーラは、彼に主として認定されているようなので、気を付けなければと思ったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
フィオーラを教団の施設へと送り届けた後、ハルツは伯爵家へとんぼ返りしてきた。
いくつか気になる点を、まずはっきりさせるためだった。
「ハルツ司教様っ!! お待ちしていました!!」
伯爵家の屋敷に入った途端、ミレアが走り寄ってくる。
その右腕は、忌まわしいものを封じるように、幾重にも布が巻かれていた。
「あなたは、伯爵家のご令嬢のミレア様ですね?」
「そうよ!! だからこの腕を、早く治してくださいませ!!」
唇を噛みしめ、ミレアが布を解いた。
「これは…………」
赤黒い棘模様が、掌から肩まで、巻き付くように浮かび上がっている。
巻き付いていた蔦はどうにか外せたようだが、肌と一体化した痣が残ってしまったようだった。
「ハルツ司祭は、樹具を使える、選ばれしお方なんでしょう? この気持ちの悪い痣くらい、あっという間に消して――――――――」
「無理です」
ミレアの訴えを、ハルツはばっさりと切り捨てた。
「そんなっ⁉ どうしてですかっ⁉」
「その痣のできた原因を知ったからです。あなたがフィオーラ様を害しいたぶろうとしたせいで、右腕を棘で戒められてしまったんでしょう?」
「ち、違いますっ!! わたしはあのおん、いえ、フィオーラが落とした持ち物を、拾ってやろうとしただけです!!」
「あくまで、フィオーラ様を思ってのことだったと?」
「そうです!! だってあの子は、私の妹なんですもの!!」
白々しく言い募るミレアに、ハルツはため息をついた。
「下手な嘘はおよし下さい。あなたが嬉々としてフィオーラ様を足蹴にするさまを、ジラス司祭の部下が何人も見ています。それにそもそも、フィオーラ様を異端者と言い出したのは、あなただったんでしょう?」
「………っ、ですが、あの子は、私の妹です。私に醜い痣が残ったと知れば、あの子だって悲しむはずで―――――」
同情を求め伸びてきた手を、ハルツはすげなく振り払った。
「醜い痣? ならばあなたこそ、フィオーラ様に謝るべきではありませんか?」
「なっ⁉ どうして私が、謝らなきゃいけないのよ⁉」
「…………あくまでとぼけますか」
ハルツはフィオーラの姿を思い出した。
美しい顔立ちをしていたが、体は痩せこけ、身にまとう服もあまりに粗末なものだった。
肩口にのぞいた青あざも、自然にできたというには無理のある数と大きさだ。
彼女が日ごろ家族からどのように扱われているか、想像するのは容易いことだった。
「そちらの家族の事情については、また調査させていただくつもりですが………。どちらにしろ、その腕を私どもが治すことは不可能です。治せるとしたら、フィオーラ様しかいないと思いますよ」
「嘘でしょう!?」
事態を受け入れられないミレアへと、ハルツは冷ややかな眼差しを残し立ち去った。
フィオーラに関して確認すべきこと、やるべきことが山積みになっている今、たかが一伯爵の令嬢でしかないミレアに、関わる時間は無かったからだった。
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