虐げられし令嬢は、世界樹の主になりました ~もふもふな精霊たちに気に入られたみたいです~

桜井悠

第1話 令嬢は虐げられる


「また時間通りに仕上がらなかったの⁉ この役立たずっ!!」


 浴びせかけられる怒声に、フィオーラは歯を食いしばった。


 ――――――――――ばしんっ!! 

 

 鞭が肉をうつ音が、フィオーラの頬で弾ける。

 衝撃が走り、焼け付くような痛みが広がっていく。


「…………っ」


 悲鳴を口の中でかみ殺す。

 泣きわめいたところで意味はない。

 フィオーラがうろたえればうろたえる程、目の前の異母姉、ミレアからの暴力は酷くなるだけだ。


 昔はフィオーラも泣き叫び、「やめて」「いやだ」と必死に訴えていた。

 しかし、泣き叫ぶフィオーラに与えられたのは、更なる痛みと、耳を覆いたくなる暴言のみ。


 フィオーラにできることは、ただ嵐が過ぎ去るのを待つ草木のように耐えるだけ。

 それが長年の虐待から得た、数少ない教訓なのかもしれなかった。

  

「ちょっとあんた、何黙り込んでるのよ!! 気持ち悪いわね!!」


 もう一発、今度は反対の頬に、ミレアの鞭が飛んでくる。

 泣けば罵倒され、黙っていてもぶたれる。

 ならば一体どうすれば正解だったのだろうと、半ば麻痺した頭でフィオーラは考える。


「ミレア様、すみませんでした…………」

「ふんっ!! 謝るだけなら猿だってできるわ!! 何が悪かったのか言ってみなさいよ!!」

「………私は、ミレア様におおせつかっていた、針仕事を終わらせることができませんでした」


 一昨日の夜遅く、ミレアはフィオーラを突然呼び出した。

 フィオーラが部屋を訪れると、大量の繕い物を押し付けられた。


 翌々日の舞踏会でミレアが着るドレスのほつれを、一日で直すよう命じるミレア。

 その命令にフィオーラは逆らわず、疑問を挟むこともしなかった。


 翌々日の舞踏会用だと言われ、10着以上ものドレスを押し付けられた不自然さに気づいても。

 一人で一日で繕うには、どう見ても多すぎる量だとしても、決して口答えはしなかった。


 代わりに、ただでさえ短い睡眠時間を削って針を進め、どうにか期限内にドレスを直し切った。

 これで殴られることはないだろうと、安心していたのもつかの間。

 ほんのわずかな糸くずを見とがめられ、ミレアに責められていたのだった。


「フィオーラ、あんたって本当に愚図ね。他にもっと、謝るべきことがあるでしょう?」

「…………っ」


 フィオーラは無言で唇を食いしばった。

 ミレアの望む答え、自分が口にすべき言葉はわかっている。

 だがそれでも、口を開こうとするたび躊躇してしまった。


「何よその目は? 謝れないって言うの? ならいいわよ。代わりにノーラを呼び出して――――――」

「やめてください!」


 ノーラは、フィオーラを気遣ってくれる数少ない女性の使用人だ。

 彼女に迷惑をかけるわけにはいかなかった。


「………ミレア様…………すみませんでした」

「何? 聞こえないわ。もっと大きな声で言ってくれない?」

「………生まれてきて、すみませんでした」


 心を凍り付かせ、どうにか言葉を口にする。

 過去に、もう何度も繰り返したやり取りだ。

 ミレアが笑みを浮かべたが、もう何も感じない。感じたくなかった。


「あはははっ‼ ちゃんとわかっているじゃない!! あんたはお父様を誘惑した平民から生まれたふしだらな女よ!! うちに置いてもらえるだけありがたいんだから、私に感謝しなさいよ⁉」

「…………はい。ありがとうございます」


 フィオーラの母ファナは、ミレアの母親の侍女だった。

 母は平民だったが、伯爵家当主だった父親に見初められ、フィオーラを宿すことになったのだ。


 平民が貴族と、それも既婚者と情を交わす。

 許されざる罪だとわかっていたが、それでもファナは、フィオーラにとってはただ一人の母親だった。


 祝福されざる出生のフィオーラだが、それでも母親が生きている間は幸せだった。

 母は優しく、フィオーナを守り慈しんでくれていた。

 父は母を愛していたし、そのついでに、フィオーラのことも可愛がってくれていた記憶がある。


 しかし、幸福な幼少期は長くは続かず、フィオーラが7歳の時に、母は流行り病で帰らぬ人となった。

 母亡きあとの父はフィオーラへの興味を失い、最低限の食事を与え放置するだけ。

 異母姉であるミレアとその母親からの嫌がらせが激しくなり、フィオーラが10歳を迎える頃には、庶子とはいえ伯爵令嬢であるにも関わらず、使用人以下の生活を送るようになっていた。


「フィオーラ、あんたは汚らわしい罪の象徴よ。伯爵家から追い出され野垂れ死にするのがお似合いなのに、お母さまと私のお情けによって生きているの。そこのところ、忘れないようにしてちょうだいね?」

「…………心得ています」

「わかったなら、早くこの部屋から出て行ってちょうだい。同じ空気を吸っていたら、私まで汚れてしまいそうだわ」

「…………失礼いたします」


 頭を下げ、部屋を出る。

 使用人用の通路を歩いていると、ぱたぱたと足音が近寄ってきた。


「フィオーラお嬢様! 大丈夫でしたか?」


 侍女のノーラだ。

 一つ結びにした赤毛を揺らし、フィオーラへと駆け寄ってくる。


「そんなに頬が赤くなって、痛かったでしょうね…………」

「大丈夫よ。それに、私をお嬢様と呼んでは駄目よ。ミレア様に聞かれたら、ノーラまで罰せられてしまうわ」

「ですがっ…………!!」

「ありがとう。その気持ちだけで十分よ」


 フィオーラは淡く微笑んだ。

 過酷な毎日でもめげずにいられる理由の一つは、優しくしてくれるノーラの存在だ。

 感謝の言葉を伝えると、ノーラに気まずそうに目を逸らされてしまった。


「…………あたしに、そんな言葉を受け取る資格はありません。あたしは、お嬢様を助けることができません。できることはせいぜい、ミレア様に言いつけられた仕事をこっそりお手伝いするくらいです。今日も何か、手伝えそうなことはありますか?」

「いいえ、大丈夫よ。今から厩舎の掃除をするつもりだけど、それくらいなら一人でできるもの」

 

 厩舎の掃除は、汚れた藁をかきだす重労働だ。

 本来は女性が、しかも伯爵令嬢が行う仕事ではないが、それはこの伯爵家では今更のことだった。


 フィオーラはノーラと別れると、着替えるため自室へと戻ることにする。

 自室といっても、屋敷内に部屋を与えられているわけではなく、納屋の片隅がフィオーラの寝床だ。

 冬は隙間風が吹き込み夏は虫が湧いたが、フィオーラにとって一つだけいいことがあった。


「今日も、元気に葉っぱを輝かせているわね」 


 納屋からすぐ近く、庭の片隅で葉を茂らす若木へと、フィオーラは声をかけた。

 フィオーラより頭一つ分背丈の高いこの若木は、母親であるファナが植えたものだ。

 母亡きあとも時折様子を見に行き、晴天が続いた時は水をやったりしている。


 母親の装身具やドレスは全てミレア達に取り上げられてしまっているから、フィオーラにとってはこの若木が、母親の形見のようなものだった。

 納屋は住み心地がいいとはとても言えなかったが、若木の近くにあり、様子を見に行きやすかったのは嬉しかった。


「でも、もう半年もしたら、お別れなのよね………」


 胸に寂しさがよぎり、同時に希望の灯が揺らめいた。

 フィオーラは今年17歳。結婚適齢期だ。

 虐げられて育ったフィオーラだったが、それでも伯爵令嬢だったので、婚約者は存在していた。


 お相手は裕福な家の出だが、平民の男性だ。

 片親が平民とはいえ伯爵令嬢が嫁ぐには格が落ちるが、フィオーラは気にしていなかった。

 結婚すれば、この劣悪な環境の家を抜け出せるし、4つ年上の婚約者は優しい男性だ。

 

「ヘンリー様と結ばれたら、毎日ここに、若木の様子を見に来ることも出来なくなるのよね……」


 半年後、フィオーラはヘンリーの家に嫁ぐ予定だ。

 そうすれば、ミレア達の暴力から逃れ、人間らしい生活ができるはずだ。

 若木と別れる一抹の寂しさはあるが、フィオーラは婚約者と結ばれる日を心待ちにしているのだった。

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