第8章‐2 ふたりぼっちの過去問攻略
え、何が起こってるんだ?
しほりんが俺の胸に頭をぶつけてきて、そのまま、顔をうずめている……
え、これ抱きしめればいいやつ?(違う)でも抱きしめようと思えばできちゃうんだけど。そんな距離。そしてそのまま波も言わずに動かなくなったしほりん。そしてヘタレな俺ももちろん何もできないまま、ただ無情にも時が流れるだけであった。
「……お兄様は……」
しほりんが小さくつぶやいた。
先の言葉を待つ、しかし、そのまままた黙りこくってしまったしほりん。
ええと……こういうときはどうしたら……
「……なんでお兄様は……本当に」
そしてまた言葉が途切れる。し、しほりん? その先の言葉が気になるのだが。まるで永遠の時間が流れているような気さえする。早く、早くその先の言葉が聞きたい。
「……お兄様の……、バカ」
え? やっと喋ったしほりんの口からでたのはまさかのバカ、だった。
はい、バカ一丁頂きました! あれこの娘、中身さらたんじゃねえよな。そしてしほりんはまだ動かない。俺の胸に頭をぶつけた格好のまま微動だにしなくなってしまった。この時間が永遠に続いてほしいまであるのだが、さすがに気まずいというか、ドキドキが止まらない位というか、たぶん俺の心拍数がヤバいことになってるのを一方的に聞かれちゃってるんだよなあ。俺はしほりんの心臓の音なんて聞けないのに……ずるいなあ。
「えっと……」
急にしほりんがばっと起き上がって体を離した。
「ごめんなさいお兄様、いきなりこんなことして」
「いや別に……全然」
「でも、お兄様はバカです、さすがにバカです」
「ええっとぉ……うん、しほりんが言うならバカなのかな」
「なんで怒らないんですか? 私こんなにお兄様に迷惑かけて、それなのに、私頼んでもいないのに、なんで、なんで……」
至近距離で俺を見上げてくるしほりんの目は少しだけ潤んでいた。そして今度はゆっくりと俺の方に一歩距離を詰めてきて、ぽすん、と俺の胸にまた頭を預けてきた。
「お兄様本当に、本当に、ありがとうございました。私に、もう一度チャンスをくれて」
ああ、これでよかったのか、俺にはわからなかった。今でもわからない。正直またしほりんを泣かせてしまっている、泣かせたいわけなんかあるはずないのに。でも今この瞬間、しほりんが目の前にいて、もう二度と会えないかもしれないとまで思っていた彼女が、いる。触れているしほりんのぬくもりが俺の胸に伝わってきている。確かな彼女のぬくもりを感じている今、これまでのことなんて全部吹き飛んでしまった、どうでもよくなった。もうしほりんさえいれば他に何もいらない、そんな風にさえ思えてしまう。しほりんをそのまま抱きしめたくなる衝動を必死に抑えて、俺は小さく「うん」と答えた。
「私、頑張りますっ」
「うん、その意気だ」
正直頑張りすぎて倒れないか心配なくらいなんだが、ただでさえアイドルというハンディを抱えて試験に挑まなくてはならないのだ。頑張らないといけないのはお互いによくわかってる。少し落ち着いた俺たちは自然と机に隣に並んで座る。俺たちは昨日までずっと一緒に勉強してたかのようにいつものように質問解説を始めた。もう結構ぶりの勉強会だったはずなのに。
何問か解説し終わって調子を取り戻してくると、今度は逆に落ち着かなくなってしまった。だってすぐ横にしほりんのお美しいお顔。俺は慌てて話題を取り繕う。
「でもさ、そのスケジュールは何とかならないのか?」
「はい……もう卒業公演は告知されちゃいましたし……」
目下の問題はその詰め詰めのスケジュールだ。6月末に1学期の期末試験、ここで10位以内をクリアしないと今度こそアイドルをやめさせられるのだ。しかし、なんとそのわずか1週間後にしほりんの卒業公演がある。
「その卒業公演ってどれくらい練習しないといけないの?」
「そうですね……まだ内容は大筋しか決まってないのではっきりとは申し上げられないのですが、普通に定期公演があった予定のところを急遽プログラム変更って感じなので、全体曲とかは普通にやって最後の方に私のソロとかしょこらりとかの出番をもらってそのあと挨拶して……って感じでしょうか……?」
「ふむ……じゃあどれくらい練習しないといけないんだ?」
「ライブ前はリハも含め通常のレッスンより練習頻度はかなり上がりますね。その週はリハと自主練いれたらほとんど毎日でしょうし」
「まじか……じゃあ勉強会毎日できないのか……」
「でも私は、もう卒業予定の身なので、希望すればレッスンも減らせるというかそこまで拘束されないかもしれません。それにテストの条件次第でやめなくて済むって伝えたら多分小島さんならそっちに全振りしてって言うくらいだと思います。下手すると卒業公演の日程までずらしかねない位です」
「そ、そうなのか……?」
「はい……」
「それって大丈夫なの?」
「どうなんでしょう……? 普通ならありえないかもですけど、でも多分小島さん的にも事務所的にも私にはやめてほしくないと思ってるはずだから、勉強優先で大丈夫だと思います。そのあたりの話は明日のレッスンの時に小島さんとちゃんと話し合おうってことになっていますし」
「なるほど」
あの美魔女マネージャー……あれから会ってない、本当なら俺も一回会って直にいろいろ話したいことがある。しほりんに頼んで明日同席させてもらうか……いや、後日しほりんのいない時に話をした方がいいのかな、どっちなんだろう?
「お兄様?」
「はっ……えーと、ごめん。そうだね。じゃあそのあたりの相談はしほりんにお任せするとして、今日からまたテスト対策に取り掛かろう……ってことでいいのかな?」
「はいっ! よろしくお願いしますっ」
全部で2時間くらいだっただろうか、前回のテストで教えたところ以降、つまり今回のテスト範囲になりそうなところを順々に教えていった。久々のこの時間、とても有意義で、楽しくない勉強のはずなのにとても楽しくて、そしてまたしほりんと勉強できることが嬉しくて、時間はあっという間に過ぎ去ってしまった。日が長くなったとはいえさすがに19時を過ぎると暗くなり始める。あまり遅くなると心配だから適当なところで切り上げてしほりんを駅まで送っていくことになった。
二人で並んで歩くのも本当に久しぶりだ。もう一度こんな日々が戻ってくるなんて本当に夢のようだった。ただその日々を、今回限りにしちゃいけない。しほりんがずっとアイドルでいられるように、そのために勉強を教え続けられるように、俺はこれから死に物狂いで頑張らないといけない。
「お兄様?」
隣に並ぶしほりんに声をかけられた。
「どうしたの?」
「なんだか……夢みたいです」
「……そうだね。俺もそう思ってた」
心なしか隣のしほりんとの距離が近い気がする。気のせいか、いいや、気のせいじゃないさっきから腕と腕が時折当たってる。俺……じゃない、よな?
「お兄様……」
そのあとの言葉が続かなかったので、どうしたんだろうと思って横を見ると、、しほりんがこっちをじいっと見ていた。
「ええっと……」
どうしたんだろう? こっちから聞いた方がよいものかどうか
「えっと……私……」
しほりんのお顔が眩しすぎて凝視できない。見ていたいのにちょっと見ていただけで目がやられそうだ、太陽かな?
「や、やっぱり、な何でもないですっ」
そのままぷいと前を向いてしまったしほりん。えーっと、俺やらかした? いや、そんなんではないよなきっと。
それから少し話をしてる間に駅についてしまった。
「着いちゃいましたね」
「そ、そうだね」
やっぱりじーっとこちらを見るしほりん。えーとどうしたらいいのだろう。
「じゃっ、じゃあ私行きますね。今日はありがとうございました」
「う、うん。気を付けて……」
たたたっと駆けていくしほりん。改札前で、くるんと振り返ってこっちを見る。
「わたし、頑張りますからっ」
最高の笑顔だった。俺はおうとかうんとかしか言えなくて、ただしほりんの可愛さというか可憐さに圧倒されてしまっていた。駆けていく彼女の後姿にしばらく立ち尽くすしかなかったのだった。
やはり俺は……
このままじゃダメだ。
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