第6章‐18 夕陽

 しほりんの家を出て桜玖良と二人で駅まで向かう。さっきまで意気揚々と上ってきたはずの坂道を、今はただとぼとぼと下っていっているのが、なんか不意に笑えた。横目に桜玖良の方を見たが、彼女も俯きがちにただ歩いているだけだった。


 ホント何やってるんだろうな俺たちは……


 さっきまでの浮かれ気分の自分が本当に情けない。

 桜玖良に連れられて女社長のとこに行って話を聞いて勝手に自分の中で盛り上がってしほりんのお父さんを説得するとか調子のいいこと言って、口先では大変とか頑張らなくちゃみたいな覚悟っぽい言葉を並べて、でもそれができると思ってて、自分が心の奥底ではそんな甘っちょろい考えでいたことが今更ながら思い知らされて、急に情けなくなって自分が嫌に矮小な浮かれ野郎だったことをわからされて、本当冷や水を浴びせられ?たような、後頭部を何かで殴られたかのような、そして無理やり現実に目覚めさせられたような、そんなあまり味わいたくないような嫌な感覚が、今俺の心のなかをもやもやとうごめいていた。

 しほりん父は思った以上に手強かった。ていうか思っていた以上にはるかにいい人だった。こんなことならもっと悪人でいてくれた方がはるかにまだましだった。あそこまで正論を、娘への愛情を振りかざされると、ただの部外者でしかない俺たちは何も言えない、いや言ったとしてもただの理想論、口だけの上っ面の言葉しか吐けなくなる。いや少なくとも桜玖良は俺と違って真剣にしほりんのためを思っていた。それでもそんな愛ある思いさえも上辺だけの言葉に見えてきてしまう。しまうんだから、本当親の執着ってのはタチが悪い。



……さん……お兄さん?


ん?


目の前に桜玖良の顔があった。


「ん? どうした?」

「どうした?じゃないです。前も何も全然見てないじゃないですか」

「へ?」


 俺の目の前に立ちはだかるように桜玖良が正面から俺に抱き着いてきていた。え? え。え? 突然のハグ?(はぐ? Hug? キミを捕まえて~♪) 急なことに状況がまったくわからない。


「ちゃんと目開けて。車道にはみ出てます、危ないですよ」


 彼女が俺の腕を正面から抑えて、俺が車道に飛び出ていたのを食い止めてくれていたのだということに、ようやく気付いた。 俺たちのすぐ横を車が数台通り過ぎて行った。


「あ、ああ、ごめん」

「まったくしっかりしてください。死にたいんですか?」

「面目ないです……」

「ショックなのはわかりますけど、そんな世界の終わりみたいな顔して横を歩かれると、なんかこっちまで暗くなってくる、いや逆ですね、逆に自分は冷静になってきますね。ダメな弟を持つとしっかりしなきゃの気分になる感じ、ですかね?」

「ダメな弟……ね」

 その物言いは言い得て妙であった、とてもしっくりときた。

「ちょっ、何か反論するところですよね、今のとこ。いつもならお前みたいなクソガキに弟呼ばわりされる筋合いはないとか言って突っかかってくることをじゃないですか!」

「は、は? そんなこと言ってねえよ!」

「あ、ちょっと戻りましたね。あんまりいつもと違く暗く落ち込まれても見ているこっちが面倒でしかないのでもうちょっと普通に戻ってください」

「あ……」

 そうか、俺は気遣われていたのだ。桜玖良だって辛くないはずないのに、俺ばっかり……

 本当にダメダメだな俺は。年下の、妹の友達に心配されて……本当情けない。


 ふと冷静になってみると、今俺たちがいる場所にまったく見覚えがないことに気づいて、顔を上げた。


 え、これは……


 目の前に黄色の光が飛び込んできた。



 それはそれは綺麗な夕陽だった。



 橙色の光が辺り一面にあふれている。ちょうど向こう側の山に陽が沈んでいくところだった。行きの時は気づかなかったけれど坂道の途中のこの場所から街全体が一望できるのだった。この街にこんな場所が、景色があったのか。

 このまま街全部がオレンジ色の中に溶けて沈んでいきそうな、そんな感覚さえ覚える。美しい幻想的な世界の真ん中に俺たちは立っていた。


「綺麗ですよね」


 声に気づけば、隣に立っている桜玖良の横顔も赤く照らされていた。

「ああごめん、立ち止まってて」

「いつも見てたんです」

 何を? と聞こうとして黙ってしまった。軽口を叩いてたさっきまでと違い、その横顔は今までに見たことのない雰囲気のものだった。


「しほちゃん家で遊んだ帰りに、夕陽に向かってこの坂を歩いて帰ってたから」


「そ、そうか……」

 そのまま会話がなくなってしまった。何か言いたいことがあるのだろうかとちらと見てみても、彼女は真っすぐ正面を向いたまま動こうとしない。夕陽が少しずつ沈んでいく。山の端にひっかかって、そしてゆっくりと光が小さくなっていく。いつもは止まっているように見える太陽が、確かに動いていることがはっきりわかってしまう不思議な時間。このままいつまでもここに立っていられそうな、そんな気さえしてしまう。



「私が今アイドルやってるのは、しほちゃんに誘われたからなんです」



「……そう、なんだ」

「いつだろ……小学校4年生頃からかなあ、しほちゃんテレビに出てくるアイドルにはまっちゃって、すっごく真剣に見てたなあ。そして私も一緒に踊らさせられたりして……そのうちにだんだん楽しくなってきちゃって。オーディションだって私は絶対無理って言ってたのを、しほちゃんが無理やり誘って、それで……」


 一瞬言葉を詰まらせる桜玖良。





「だからしほちゃんがいなかったら、私は今ここにはいないんです」





 すごくはっきりした声だった。



「しほちゃんがアイドルできないのに、私だけがアイドル続けるなんて……そんなことできない……絶対に」



 俺はもう何も言えなかった。隣の彼女の横顔さえもう見ることができなかった。


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