第3章-4 はじめての家庭教師と送り狼クライシス

 というわけだかどういうわけだか知らないが、俺は女子中学生の勉強を見てあげることになった。木曜日の放課後、今日はレッスンもほかの用事もないらしい。生憎こちらも用という用もないので二つ返事で引き受けることに(いや、こちらの意思確認を待たずして引き受けさせられることに)なった。まあでも、あっちの生意気な方ならともかく、しほりんならむしろ喜んで諸手を振ってお勉強を教えさせていただきます!って感じだけどな。


「で、なんでお前まで来てんの?」


〝あっちの生意気な方〟がさも当然であるかのようにソファでくつろいでいる。


「だってしほちゃんと二人きりとかにしたらお兄さん、何しでかすかわからないから」

「お兄様に失礼よ、さくらちゃん?」

「いいえいいえ確かに変人変態な兄貴ですから、ちゃんと見張ってないとっ!」

 そう言って妹が全員分の飲み物を持って入ってくる。さすがに今日は俺の分までちゃんと用意されている。よな……よな?

 場所は以前と同じうちのリビング、真ん中のテーブルにしほりんが持ってきた教科書やらワークやらテストやらがどっかと置かれている。彼女たちの家からは電車で三駅分ほど離れているので、こちらが行った方がいいかとも言ったのだが、丁重にお断りされてしまった。どうやら専門の家庭教師がついているらしく、なにかと言い訳が面倒だというのだ。ついには案の定、しほちゃんの家に行こうったってそうはいかないんだから、と生意気な方に責められる羽目となった。まあ男友達として行くのも正直きついしな。しほりん父になんて言えばいいのかw 門限の8時までに帰ればいいと言うのでそれを信用することにした。それに、どうせこの憎まれ口野郎も一緒だろうからまあ大丈夫だろう。


「で、なにから見ればいいんでしょうか……?」


 正直中3の勉強なんて余裕だ、余裕に決まってる! と思いたいのだが、ぶっちゃけ人に教えるなんてことほとんどしたことないから不安だ。それに結構な内容を忘れてしまってる気がする。だって文系だったら理科なんて大半使わないし、復習なんて全然しないしやる暇ないしやる気も無いし。もしも幻滅されたらどうしよう……「お兄様って本当に一高生なんですか?」なんて言われた日にゃ生きていく自信ないわ。


「えっと……それでは、数学から見ていただいてもよろしいでしょうか?」


「あ、ああ、す数学。うん、」

 うん。どんと来い。やってやるです!

「ここの計算なんですけど……」 

 どれどれ……あ、よかった、まだ簡単そうな計算問題だ。

「ええと、ここはこれをこうして」

「あ、そうすればよかったんですね」


 俺が裏紙(広告とかの裏が白い紙)に簡単な計算方法をちょっと書いて示してやると、彼女はすらすらと解きだした。なんだなんだ? この子普通に頭いいんじゃね? まあしほりんの雰囲気そのままって感じだから何の違和感もないのだが。

「ええと、じゃあ次はここをお願いしてもいいですか?」

「うーん、これはさっきの応用でさ、ちょっとわかりにくいけど同じ公式で因数分解できるよ」

「もしかしてこれですか?」

「うん、その通り」

「なるほど……じゃあこっちは?」

「これはね、yでくくると同じ部分が出てくるタイプなんだ」

「わあすごい。よく思いつけますねこんなの」

「公式というかパターンを覚えてるだけだよ。さっきのは2乗になってるのがxだけだったでしょ? yは2乗になってないからyに着目するんだ。出てくる文字の次数が違うときは一番次数の低い文字に着目して括ってやると、共通部分が出てくるのでそれを前に出して……」

「あ、ほんとだ……」

「それでね……さっきはあれでよかったけど、この問題はxもyも2乗になってるでしょ? こういうタイプはxのほうに着目して括ってやって、降べきの順に整理するんだ」

「ええと……ではそこからたすきがけを使うのですか?」

「その通り」

「実は私……たすきがけもいまいちよくわかってなくて……」

「あれややこしいよねー俺もなかなか覚えらんなくてさあ。敢えて使わない方がやりやすい問題もあるし」

「そうなんですか?」

 俺はそう言いながらちょっと変だと思った。違和感というのだろうか、そこまでではないのだが何かが変だ。いや、大したことではないはずなのだが。


「何話してんのかぜんっぜんわかんない」

「兄貴ってさ、本当に頭よかったみたいらしいようだったんだね……」


 ソファのほうで寝ころびながら豚の二人が退屈そうにお菓子をぼりぼりだべっている。おいお前ら、こっちは勉強してるんだぜ、目の毒だから邪魔すんな。それにしほりんと同級生なのに全然わかんなかったら、そりゃまずいだろ。


 それからじっくり時間を割いてたすき掛けのやり方とコツを教えてあげた。


「う~~ん」


「ちょっと休憩にしようか?」


 一段落着いてしほりんが大きく伸びをした。ちょっと声が色っぽくてどきっとしてしまう。見ると普段はそこまで主張していないはずの二つの膨らみが急にくっきりとした輪郭を持って俺の目の前に現れた。咄嗟に目を逸らしたが、しほりんにばれていないだろうか。いや大丈夫なはずだ。と、ふと振り向くと向こうからじとーっとした視線を感じる。しまった! むしろこっちの方を気にするべきだった……見られたか? いや、見られたな。お願いだからあとで告げ口しないでくれよ? いや、絶対告げ口しそうだな、その眼は。


「はいはーい! しほりん様お茶とお菓子でございますっ! つまらないものですけどっ」


 さっきまで豚だったはずの亜希乃が脱兎のごとく飛んできた。おい妹よ、そのつまらないものをさっき俺に指示して買って来させたのはお前だろ? 

「紅茶にします? レモンティーにします? それともダージリン? 番茶も緑茶もちゃんと冷えたのが冷蔵庫に待機させてありますっ!」

「で、では紅茶で……」

「紅茶ですねっ!」

 どこぞの店員さんよりも颯爽とした身のこなしで「とん」と紅茶をしほりんの前に置く亜希乃。

「まあ一応可哀想だからついでに」

 と言って俺のところにも置かれる。台詞はあれだが、いつもこういう扱いだったらいいのに。

「しほりん様っ! お菓子はいかがなさいます? 名月堂の十六夜羊羹、帆むら屋の金時饅頭、雪華庵の蛍火、どれになさいます?」

「なんで和菓子一択なんだよ?」

「しほりん様の和菓子好きは有名でございますから」

 にっこりと微笑む亜希乃。

「そんなになの!?」

 しほりんが慌てだす。可愛い。だが妹よ、和菓子一択なのだったらお茶は勿論のこと緑茶一択じゃないのか!?

「しほちゃん大丈夫よ。この前私が教えてあげただけだから」

「なあんだ。さくらちゃんの仕業だったのね」

「でもメンバーももうみんな知ってるんじゃないかな?」

「うそっ!?」

「しほりん様、よろしければすべてお召し上がっていただいてもよろしうございますよ」

「もうっ、亜希乃さんったら」


 みんなでわいわいしながらティータイムというのだろうか、まさかこの家の、いつも妹がぐ~~~たらしかしてないこのリビングで、このような光景が見られる日が来ようとは……明日の天気が心配だ。窓の外にはきれいな夕焼けの空が広がっていて、結構な時間になっていたことに気づく。「人に教える」のって思った以上に時間が経つんだなあ、それに思いのほか疲れた。だがそれも心地いい疲れとでも言うのだろうか、少なくとも俺が今までに味わったことのない感覚だった。

 脳が疲労した時には糖分がほしくなると聞くが、すごくよくわかる。まさに今がそうだった。何でもいいから甘いものがほしい。しほりんが食べなかった分の和菓子をもらおう、いつもなら絶対にありつけない贅沢品だからな。そう思ってさっき亜希乃が置いていった皿を見ると、あれ? 何も乗っていない。確かに三つ四つ、二つ三つなど乗せられていたはずなのに、いつの間に持って行ったんだ? そこまでして俺には食べさせたくないってか、まあ全部結構高そうだったし仕方ないか。


「ふう満足満足」

「美味しかったね結構」

「亜希乃さん、ありがとうございます」

「な何をっ!? いいに決まってるじゃないですかっ! あといくらでもおかわり持ってきますっ!」

「ちょっと亜希乃、落ち着きなさいよ」

 妹が完全にネジが外れ気味のご様子。

「だけどさぁ、お前らは勉強しなくていいのかよ?」

 さっきから勉強は全く他人事のようにくつろいでるブタ共に思わず苦言を呈してみる。

「別に兄貴に教えてもらう必要ないしー」

「私も同じく。目を離した隙にしほちゃんにちょっかい出さないか心配でそれどころじゃありませんから」

「そこまで信用ないの!?」

「ええ」

「さくらちゃんはとても頭いいんですよ。学校の成績もとてもいいみたいだし」

「しほちゃん!?」

 しほりんから意外な情報が舞い込んできた。

「へー意外だな」

「ほら~絶対意外とか言われると思ったのよ」

「あらごめんなさい?」

 悪戯っぽく微笑むしほりん超可愛い。

「いいなあ二人とも勉強できてー」

「じゃあお前も一緒に勉強しろよ。いつもリビングでごろごろしてるとこしか見たことねえんだから」

「ちょっとっ! 今言わなくてもいいじゃん! ちゃんと部屋で宿題はやってますう」

「でも俺たちが勉強してる間、何もしてないってのは時間的にもったいない気がするんだけど」

「しほりん様の御勇姿をこの目に焼き付けたいのでっ」

「監視が必要」

 まあいいけどよ……じっと見られてるのも落ちつかないというか、ただでさえ上手く教えられるか不安で緊張してるっていうのに、相手が超美人のアイドル様だろ? その上その様子を二人からじっと監視されているというのはなぁ。本当にストレスがやばい。


「じゃあこういうのはどうかしら? 次からみんなでここで勉強会するっていうのは?」


「ほえ?」


 変な声を発したのは亜希乃。俺じゃないよ?


「せっかくテーブルも四人用だしとても大きいし、私としてもお兄さん独り占めしちゃうのは悪いかなって思うし」


 いいやむしろ独り占めしちゃって下さいっ!

「だめですだめです! こんな糞馬鹿兄貴でも存在価値があるっていうか、しほりん様のお役に立てるんだったらと思うと、もうしほりん様のためだけに使い切って捨てちゃってくださいって感じです」

 それをお前が言うか? 俺は妹の中で使い捨ての一次電池(マンガン電池、アルカリ電池などの一般的な乾電池のこと。充電式のリチウムイオン電池などは二次電池に分類される)のような扱いなの?


「でもやっぱり……それにみんなで一緒に勉強会みたいにできたら楽しいだろうなあ……って」


 何この子! もう偶像(ちなidol=偶像)とかいうレベルじゃなくて、天使なの? しほりんエンジェル!(Angel)


「……なんて思う、んだけど……どう?」


 そう言って二人をおそるおそる見るしほりん。やべえその上目遣い、天然ものなら三次元にまだこんなのがいたのかって言うくらいの超絶絶滅危惧種だし、養殖ものだとしてもその品質のクオリティ充分天然ものに負けない最高級はまちレベルだわ。野網和三郎もびっくり。そしてそんな攻撃に我が妹が耐えられる術もなく、


「し、しほりん様っ、不肖私め、僭越ながらお言葉に甘えさせていただきますっ」


「やれやれ、まあしほちゃんにそこまで言われちゃね」


 こうして二人ともあっさり陥落したのだった。だが、俺がいくら頑張ってもどんな手を使っても決して勉強させることができるはずもないあの怠け者を、あっさり、しかも自分から勉強させようという気にさせるなんて……この子すごいわ。


 しかし本当に圧巻だったのは……


「よかったですね。お兄様?」


 こっちを見て微笑んでくるしほりん。ちょうど奴らからは見えない角度でこっちに小さくピースをしてみせる。その笑顔が仕草が……きゅん♡(きゅん まーっくすー♡)やばい。歳柄?にもなくトキめいてしまう。さすが魅惑のお嬢様アイドルしほりん様! こりゃ人気があるのも頷けるわ。今度握手券買います。


 楽しい時間はあっという間に過ぎて、俺たちは二人を駅まで送って行くことになった。思いの外時間が経ってしまって、もう外は薄暗くなっていた、大丈夫だとは思うがこのご時世、こんな美少女二人組なら突然街角でナンパなどされても何らおかしくはない。本人たちは大丈夫だからと言い張ったが、それはうちの妹が許してくれるはずもなかった。まあ案の定奴は一人でぶつぶつと文句を言っている。

「くれぐれも送り狼にはならないでくださいねお兄さん。私は正直あなたがしほちゃんに危害を加えないかが一番心配で心配で……」

 送ってもらう相手に対して何失礼なこと言っちゃってんのこの子?

「もう、さくらちゃん、せっかく送ってくださってるのに失礼でしょ」

「いいんですいいんですしほりん様。兄貴が失礼なのは当然のことですから」


「ところでさくらちゃん、送り狼ってなに?」


 ちょっと! 純粋純潔なしほりんに変なことに興味持たせちゃダメだろ!


「お兄さんみたいな人のことよ」

「おいっ、それはないだろっ! ちゃんと説明しろや」

「女の子が襲われないように見張りで家まで送っていってあげるはずの人が、その女の子を襲っちゃうことを言うのよ」

 

 終わった。これ説明されたらあかんやつやった……やはり俺のしほりんラブコメは終わっている。完。


「ふうん」

「ね、まんまお兄さんでしょ?」

 そう言ってこっちを軽く睨んでくる。おい、お前の中の俺そんなひどいイメージなの? さすがにさっきからひどすぎないか?

「兄貴、しほりんに手出したらぶっ殺すからね」

「言われなくてもそんなことしませんできませんから心配いりません」


「お兄様は本当にさくらちゃんに信頼されてるんですね。うらやましいな」


 ほえっ 思わず声をあげそうになる。

「ちょっとしほちゃん! なんでそんな発想になるのよっ!?」 

「ほらほらさくらちゃん? あんまりいじめてたらいくら優しいお兄様だって狼になっちゃうかもしれないわよ? ねっ?」

 言いながらこちらをチラ見してくるしほりん。(バリかわ)


「……っ。大丈夫よ。コイツにそんな度胸なんてないから」

「おいっ!」

 

 だったら最初から心配すんなよ! 


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