episode : 3 マーガレット

 巨大生物とは言っても、別にドラゴンやゴ〇ラ、巨人とは決して異なる。 


 ましてや、悪役と言っても特撮に出てくる敵でもない。


 なんだろう。


 彼の目つきは穏やかなのに、どうしてか怖さがある。


 嘘ではない、錯覚なのかもしれない。


 否。

 

 本当だ。


 彼女の緊張感がその真実を映し出す。

 怖い、慄く、背筋が凍る、そして息も止まる。


 全部が全部、真実うそで。

 全部が全部、虚偽ほんとうである。


 動悸がさらに早くなる。


 重く、固く、心臓の動きが手に取って分かるように、彼女の胸は膨張と収縮を繰り返す。

 

 見るからに痛そう、痛覚がマヒしているのか。

 なんて、馬鹿を思えてしまうほどに彼女は震えていた。

 

 後ろからの視線は増え、見ぬうちに窓や屋上、校舎のありとあらゆる場所から全校生徒が顔を出していた。


 当たり前だ、彼は高嶺の花。学校中の誰もが羨むような完璧超人、イケメンで頭もいい、なにより思いやりと気遣いの精神が高い。


 私とは絶対に釣り合わない。


 この後、私がすることだって、優しく受け流されるだけだ。


 どうせ、この試験は合格はできない。

 

 ――いや、外見で判断してくれたらワンチャンある。


 そんな幻想すらも抱いてしまう。

 イタいことはこのことだ。


 愛が欲しさに私は狂っていた。


 赤ん坊のように、その愛が欲しくて、どうにか受け入れてもらいたくて、でもどうせ無理にも思えて、矛盾の中でも欲していたのだ。


 力の籠った拳を一度開く。


 きっと、実験で死んでしまった赤ん坊もこんな気持ちだったのだろうか?


 今更だ……聞いても分からないけれど寂しい私はそんな気持ちに陥っていた。


 真っ白な手からは滴る汗。なんて汚らしいだろうか、別に青年の前で汗なんか掻きたくはない。


 背中をなぞる気持ち悪い感覚が彼女を襲い、見なくても分かるくらい背中は透けていた。制服がびったりとくっつき、彼女の白い肌は、大胆に後ろの男子たちを誘惑する。


 これで、私を振れば彼の評価は下がるだろうか?



 嫉妬、これもすごく痛い。


 


 そして、深呼吸をした。


 息を大きく吸い込んで、肺の中で循環させる。肺胞と血管が仲良くダンスをしている、明るい未来の様に感じるその絵が彼女には見えている。息を一気に吐き出して、二酸化炭素が排出され、環境破壊に貢献する。害悪な私……これも阿呆臭い。


 私は決意する。


 これ以上も、これ以下もない。


 ここで、行こう。


 ここで、砕ければ、綺麗なんて言われなくなるかもしれない。


 ここで、振られたら、私は過大評価されず彼もこんなに好かれることはないだろう。


 いつの間にか、彼女は狐のような目をしていた。



「——好きです、付き合ってください!」



 これが、彼に向けての初めての言葉だった。


 散々自分の中を見てほしいと言っていたのに私が見た目で判断している。彼の行動を内面だと思い込み、彼の言葉を聞いたことすらない。


 ああ、実に惨めである。


 沈黙に、静寂に、静謐。


 一面と続く、悲しみと羞恥の花。

 こればっかりは花言葉すらも思いつかない。


 ああ、馬鹿にされる。


 綺麗に見える私が、振られる。まあいいや、これでみんなも……。


 そんな、あきらめかけた刹那だった。


「便座カバー」


「え?」


「いや、そのね。この学校の校舎って、便座カバーみたいだよね?」


「——え、え?」


 困惑。


 しかし——その瞬間、笑いの嵐が巻き起こる。


「——何言ってんだよ!」

「——あはははは! このばぁか!」

「——なにそれっ!」


 彼の友達と思しき人たちが一斉にツッコんでいた。


 そしてじわじわと波が伝わっていき、全校生徒が彼の言葉に、腹を抱えて笑っていた。


 彼女には分からなかった。

 この状況も、その意味すらも理解できなかった。


「それで、その、君の名前は?」


「……」


「おーい、大丈夫?」


「……っあ! その、えっとあ、木春こはる……菊池木春ですっ!」


 へえ、と頷く青年。


 穏やかな表情は見慣れてはいたが、前にするとこんなにも気持ちがいい。なんて格好の良い顔なのだろう。


 彼は私にはもったいない。どうせなら一度でもデートをしたかった。ここで終わって音信不通、悲しき人生だ。


「こはる……いい名前だね、似合ってる」


「あ、ありがとうございます」


「その、恥ずかしいし、恥ずかしいと思うけど……告白、ありがとう」


「……」


「上からで変だけど……頑張ったんだね、すごく伝わったよその気持ち」


 青年の眼差しに目も向けられない。

 彼女は無意識に目を逸らしていた。


「——ごめんなさい、俺は君と付き合えない」


「いえ、なんとなく……わかっていましたから」

 

 予想しなくても分かっていた真実に、


「——俺、君の事よく知らない。君はだれよりも綺麗で美しい。勿体ないくらいだよ」


 笑い声が途切れ、私と彼の二人の世界を作っていた。


 だから、彼は言った。




「その、君のこともっと知りたいから、友達になってよ!」




 え。


 彼女はその時、その瞬間、気持ちよく達していた。


 瞳から噴き出る涙は、心から湧き出る感情は、溢れてはち切れる心は、気持ちの雨を降らせていた。さっきまで抱いていた不安や緊張もいつの間にか忘れ、私は一気に腰が抜ける。


 嬉しい、幸せ、そんなでもない。

 

 言うならば、

 それすなわち、真愛あいだった

 

 彼女は、私は、理解した。


 自分の欲しかった言葉はこれだったのだろう。


 内面を見たいと、彼は言ったのだ。


 私の友達になりたいと、彼は言ったのだ。


 感動が、溢れ出る感情が止まらない。


「——あ、ちょっと! なんで泣いてるの! まじか、俺悪いことした? ねえ、ちょっと」


 周りからは、泣かせるな! 最低だ‼ 便座カバー‼‼ なんていう笑い交じりのコールが行き交っている。青年は史上最高に優しかった。


 掴みは完璧で、彼女ではなく自分に注目が行くようにという「便座カバー」に、泣いた彼女に見せる慌てふためく行動。すべてが恥をかかせないがための動き。所謂、紳士というのはこういた人を指すのだろう。



 それを理解した時。

 私は初めて、愛を——そして人生の起伏を知りました。




  「真実の愛」 

 


 

 マーガレットの様な本物の形を。




 





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