-8削り節- すべての始まり

 魚屋の昔語りを無視しようとした吾輩であったが、こっそり隠れて魚屋の話に耳を傾けていた。

 話に尾ひれを付けさせたら猫田町ねこだちょうで右に出るものは居ない! とまで言われた男が見ず知らずの若者に話すのだ、吾輩がスーパーキャットにでもなったら大変である。


「──そんな時だよ、アイツが姿を現したのは」


「ごくり」


 すっかり魚屋の話に夢中の若者は思わず生唾なまつばを飲むほど聞き入っている。

 魚屋は目を輝かせ、商店街中に響き渡らんほどの声で言い放つ。


「一人娘のぬいぐるみを咥え現れた一匹の猫。アフロボンバーキャットだ!!」


「フシャァァァァッ! (誰がアフロボンバーキャットだハゲ!)」


「ひぃ⁈ らいおんまだ居たのかよ!」


 魚屋は吾輩にビビって腰を抜かし、尻もちをついた。

 若者もつられて転んだが知らん。


「うにゃにゃなんにゃむにゃむ! (確かに火に飛び込んだせいで吾輩の毛は縮れに縮れたが、英雄と評する相手をアフロボンバーキャットなどと言う奴がるか? ん? 居ったなぁここにぃ!)」


「め、めっちゃ怒ってるじゃないっすか……」


 困惑する若者を横目に、魚屋の膝の上に乗った吾輩は禿げた頭に猫パンチを入れながら説教する。

 商店街の連中は魚屋と吾輩の喧嘩けんかなどいつもの事で、またやってるよと笑っている。

 外界から来た余所者である若者にはこの光景が不自然に見えるだろう。……猫と人の仲が良すぎるのだから。

 猫田町の人類はこの不自然さに気付いておらず、当たり前の日常として受け入れている。

 吾輩が地域猫としてこの地で生きることになった2年前とは大違い。

 全ては昨年の、あの放火事件が変えてしまった。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲



──昨年、梅雨の時期。


 当時の吾輩は猫田町の地域猫の一匹として暮らしていた。

 その点は今も変わらぬのだが、まだらいおんという名も王の座も授けられていなかった。

 家猫として暮らしていた吾輩が外で暮らすのは大変で、地域猫として1年経っても家も玉も失った吾輩がこの暮らしに慣れる気配は無かった。


『おい、新入り。いい加減人間に上手くび売れるようになれ。それが出来ないならネズミでも狩れ』


『ああ……そうだな。いつもすまない』


 吾輩は地域猫のボス、ダイゴロウに日々の食事を恵んで貰う日々を続けていた。

 通常、地域猫は餌を貰える立場である。しかし当時の吾輩は玉を奪った人間への不信感から、その立場に甘える事が出来なかったのだ。

 保健所で処分されること無く、地域猫として不自由少なく生きている事は幸運である筈なのに。


『なぁ、新人。お前はライオンみたいな立派な鬣がある。堂々と生きろ』


 ダイゴロウは吾輩にそう言い残して立ち去る。

 だが吾輩の心はそう簡単には変わらない。

 家に帰りたい。飼い主にもう一度会いたい。玉も返してほしい。

 しかしどれだけ過去を懐かしもうと戻れない。

 吾輩はV字にカットされた右耳に触れ、その事実を噛みしめる。


「ほぉ、お主は猫の割に頭が良いようだな」


『誰だ!』


 先ほどまで吾輩の他に誰も居なかった空き地に、吾輩の目の前にその女は立っていた。

 白……いや、あれは銀色の髪。黒いワンピースにあかいコートという特徴的なで立ち。


「私は神だ。そう名乗ったらお主は信じるか?」


『信じる訳がないだろう。神など存在したとしても目に見える訳がない』


「見える訳がない、か。では質問を変えよう。猫と完璧な会話が成立する人類がこの世界に居ると思うか?」


 質問に質問で返す銀髪の女に、吾輩は遅すぎる違和感を感じた。

 そう、会話が成立しているのだ。

 猫と人類の完璧な会話などありえない。ゆえに吾輩は唾を飲み銀髪の女に問う。


『……神が吾輩に何の用だ?』


「やはり頭が良い。お主は他の猫とは格が違う」


 口元には笑みを浮かべ、吾輩を見る目は獰猛どうもうで鋭い。


「猫に過去は変えられないが未来は変えられる。人類を支配してみないか、賢き猫よ」


 神が告げた言葉に吾輩の思考は停止する。

 人類を支配? 一体何のために?


『支配など興味ない。そもそも支配する必要などないだろう』


 神のはっする威圧に全身の毛が逆立つ吾輩だったが、人類の支配など本当にどうでもいい。

 それよりも一刻も早く神から逃げたい衝動でいっぱいだった。


「この猫田町は遠くない未来、厄災やくさいに見舞われる。その災厄を払うには人類を支配出来るほどの存在が必要だ」


『神なら自分でその厄災を払えばいいだろう。それが出来ずとも猫でなく人間にさせればいい』


 厄災など吾輩には払える訳がない。人から餌を貰う事にさえ躊躇する吾輩が人類の支配など論外だ。

 吾輩の言葉に神は獰猛な眼差しも浮かべた笑みさえも消し、拳を握り締めて呟く。


「何度もやったさ。人を変え、他の世界からの協力も受け、なおこの猫田町は厄災から救えなかった。どれだけ過去へ戻っても人では未来を変えられぬのだ……」


『人が、神が幾度も過去を繰り返しておきながら変わらぬ未来を、吾輩の様な猫に変えられる訳がないだろう!』


 いきなり現れた神に何をお願いされた所で猫には何も出来ないのだ。


「出来るさ、お主は彼の飼い猫だったのだから」


 神は優しく微笑んだ。


『彼……貴様、飼い主を知って──』


 吾輩の口を人差し指で塞いだ神は紅いコートをひるがえし告げる。


「今から一時間後、商店街近くの住宅で放火事件が発生する。お主は放火犯を捕らえろ」


『猫が人間を捕まえられる訳がないだろう』


 神も無茶を言うものだ。

 未来を変えられると言われても猫に出来る事など何もない。


「そうだな、お主だけでは捕らえられぬ。だから人類を支配しろ。お主の手足として使うのだ」


 それだけを言い残し、神は忽然こつぜんと姿を消す。

 言いたいことだけ言い、用件だけ押し付けた神は何も教えてはくれなかった。


『その人類の支配とはどうやればいいのだ、神よ……』

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