観音開きの玉座の間の扉を、ダニーが押し開ける。

 ダニーのあとを追って室内へ入ろうとしたアイリーンは、ぎくりと足を止めた。


 誰もいないはずの玉座の間に、誰かがいた。

 まるで国王のように、玉座に深く腰を掛けている。

 銀色の長い髪の男だった。裾の長い黒衣をまとっている。

 端正な顔に薄い笑みを浮かべて、翡翠色の瞳をじっとこちらへ向けていた。


 ぞくり、とアイリーンの背に怖気が走った。

 こんなに不気味な人ははじめて見たと思った。

 笑っているのに笑っていない。美しいはずの翡翠色の瞳は、まるでここではない別のどこかを見ているようだった。


(この人、誰……?)


 この国の王しか座すことを許されない玉座に、平然とした顔で座るこの男は誰。

 自問したその問いに、アイリーンが自分で答えを見つけ出すには、そう時間はかからなかった。

 玉座に座った彼の手には、大きな血のように赤いルビーのペンダント。

 ニコラスは、金髪に青灰色の瞳をしていると言う。

 彼でないならば、ここで、ルビーを手に、アイリーンたちを待ち受ける人物など一人しかいなかった。


「ヴィンセント……いえ、確か本名は、エセルバート・ヴァーミリオン、でしたか」


 ここにヴィンセントがいることは想定外だったはずなのに、いち早くその衝撃から立ち直ったダニーが言った。


「ヴィンセントとは古代リアース語で『闇』を表すヴィーゼントをもじってそう呼ばせているのでしょうか。それとも、ヴィンジェラント……『夜明け』ですか?」


 ダニーに本名を言い当てられても眉一つ動かさなかったヴィンセントが、ダニーの二言目ではじめて視線を動かした。


「どこかで見た顔ですね」

「会ったことがあるのかもしれませんね。俺は覚えていませんが、父同士が友人でしたから」

「友人……ああ、そうですか。ナタージャ侯爵のところの」


 ヴィンセントは合点がいったと頷いて、ほんの少しだけ淋しそうに目を伏せる。


「そうですか……、父の友人の息子であるあなたを殺すのは少々躊躇われますが……、来てしまったからには仕方ありませんよね」


 その一言に、ファーマンとバーランドがいち早く反応した。

 バーランドがキャロラインを、ファーマンがアイリーンを背にかばうように前に出る。

 小虎がアイリーンの横で子供の姿に変わると、赤い瞳でヴィンセントを睨みつけた。


「それを返して! それはエディローズのものだ。お前が持っていいものじゃない!」


 しかしヴィンセントは、のんびりした様子でルビーを手のひらでもてあそびながら、小虎を見て興味もなさそうに「聖獣か」とつぶやく。


「闇の力に弱い光の聖獣がここまで来たのには驚きましたね。思っていたより聖女の力は満ちているようだ。これは嬉しい誤算ですね」

(闇の力に弱い……?)


 アイリーンはハッとして小虎を見た。小虎はぎゅっと眉根を寄せてヴィンセントを睨んでいるが、額にうっすらと汗をかいていた。

 アイリーンが愕然としていると、ヴィンセントが徐に玉座から立ち上がった。


「おや、ご存じなかったのでしょうか。その聖獣は光の聖女のペット。聖女が持つ光の力を媒介として姿を変える生き物です。光が弱まれば動くこともままならない。光を打ち消す闇の力は、彼のもっとも苦手とするものですよ」

「うるさい!」


 小虎が叫んだが、そこに否定がないことにアイリーンはますます驚愕する。すると、封印された闇の力が溢れているグーデルベルグ国にいるのは、小虎は相当苦しかったのではないだろうか。そして今、目の前には闇の力が漏れ出ているルビーがある。


「小虎……」


 アイリーンが小虎の小さな手をぎゅっと握りしめると、幾分か小虎の表情が和らいだ。


「それがあったところで、お前にはその力は使えないだろう! 見たところダルスの末裔ってところだろうけど、お前からは闇の力はほとんど感じない」

「そうでしょうね。残念ながら、これを使える力は私には備わっていませんから、あなたたちを相手にする力はないかもしれません」


 ヴィンセントが肩をすくめた。

 小虎の言う通り、ヴィンセントが闇の力を使えないのならば、それほど脅威ではないだろう。ここにいるのは彼一人だ。彼の手からルビー奪い取ってしまえば事足りる。

 ダニーがポケットに手を入れた。

 ファーマンがアイリーンをバーランドの方へ押しやって、腰の剣に手を添える。


「キャロライン、以前渡した小型爆弾を持っていますか?」


 ダニーがポケットに手を入れたまま、背後のキャロラインに訊ねた。

 キャロラインが小さく「ええ」と頷くと、肩越しに振り返る。


「よかったです。俺が持っている爆弾は威力が大きすぎる。あなたに渡したものは、以前オルツァの町で使ったものの十分の一の威力です。思い切りあちらへ投げれば、こちらには被害は届かないでしょう。合図をしたら投げてください」

「わ、わかったわ」


 キャロラインがメイド服のエプロンのポケットに手を入れた。小型爆弾なんて物騒なものを、キャロラインはエプロンのポケットに入れて持ち歩いていたようだ。

 キャロラインがごくりと息をのんで、ポケットから爆弾を取り出す。

 投げる前に引けと言われた線の先を握りしめて、ダニーの指示が出るのを待つキャロラインの豹所は、緊張に強張っていた。


「小虎、苦しそうなところ悪いが、アイリーンと一緒にキャロラインも頼めるか?」


 バーランドが言った。

 キャロラインが小型爆弾を投げたあと、おそらくファーマンと一緒にヴィンセントへ突っ込んでいく気だろう。


「……大丈夫だよ。このくらいの闇の力なら、アイリーンの光の力の方が何倍も強いから」


 小虎は誰かを攻撃する際、大きな虎の姿に変わることが多いが、そのセリフを聞く限り、子供の姿でも二人を守るくらいは造作もなさそうだった。

 ヴィンセントを左右から挟み撃ちするつもりなのだろうか、示し合わせたわけでもないのに、ファーマンとバーランドが、それぞれ右と左に少しずつ離れていく。

 ファーマンとバーランドを一瞥して、それでも笑みを崩さないヴィンセントが不気味だった。


(どうして……。さっき、自分にはわたしたちを相手にする力はないって言ったのに……)


 口元に弧を描いているヴィンセントは、余裕すら見える。

 ダニーもヴィンセントの余裕な表情に、何か隠し手があるのではないかと警戒しているようで、なかなかキャロラインに爆弾を投げるように指示が出せないでいるようだ。

 ヴィンセントは玉座の前に無造作に立っているだけのようにしか見えないのに。その手には、彼が使えないと言うルビーが握られているだけで――


(待って……『私には』って言った?)


 アイリーンが弾かれたように顔をあげたのと、それはほぼ同時だった。


「――――――っ」


 急に呼吸ができなくなって、アイリーンは胸を押さえてその場に膝をついた。

 同様に、キャロラインもダニーも、バーランドやファーマンさえも同様にその場にうずくまる。

 小虎が、小さい手でアイリーンを抱きしめて、荒い息をくり返した。

 ヴィンセントが、数段高いところにある玉座から、一歩、また一歩と降りてくる。

 その目は、アイリーンたちを通り過ぎて、玉座の間の扉へ向いていた。


「残念でしたね」


 苦しい胸を押さえて背後を振り向けば、そこには金色の髪に青灰色をした青年――ニコラスが立っていた。



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