「ダニー」


 玄関を出ようとしたところで、背後から呼び止められて、ダニーは振り返った。

 父、ハスクリー・ナタージャが心配そうな顔でこちらを見ていた。


 ダニーがここへ戻って来てから、ハスクリーの再婚相手である義母は気を遣ったのか、実家である伯爵家へ帰っていると言う。父と喧嘩したわけでもダニーを避けたわけでもなく、親子水入らずでの時間をとってほしいという義母の心遣いだったが、その心遣いも虚しく、ルビーの件で忙しくしていたダニーはハスクリーとの時間はさほど取れていない。

 ハスクリーもダニーが忙しそうだから遠慮しているのか、食事の時に顔を合わせるくらいで、ほかはそっとしておいてくれていた。

 ダニーが城へ出かけるときも、何も言わずに見送ってくれる。だが、今日は少し違うようだ。


(……気づいていてもおかしくない、か。そうだよな)


 ダニーが何をしているのか詳細までは把握していないだろうが、危険な橋渡をしていることには気づいているだろう。父は穏やかで権力に固執しないたちだが、しかし有能で勘が鋭い人だ。

 ましてや、先日、ダニー経由でダリウスから議会の招集依頼が入ったばかりだ。

 議題は、王位継承について。

 議会は本日の午後からはじまる。

 それはすなわち――


(小虎は本当に優秀だな)


 城へ小虎を連れていって二日で、彼はルビーのありかを突き止めた。それは、ヴィンセントの部屋でもなく、ニコラスの部屋でもなく、玉座の間にあった。国王が『リアースの祟り』に罹患した時から使用していなかった玉座の間。誰も予想していなかった場所にあったルビーを、小虎はよく探り当てたと思う。


 ルビーは玉座の上に無造作に置かれていたと言う。奪おうと思えば簡単に奪える場所だ。だが、逆に目立つ場所に置かれているからこそ、なくなっていればすぐに気がつくところだった。

 そして、常に衛兵が置かれている場所でもある。だからこそ、予定を変更し、少々強引な手法に出る必要があった。


「行くのか?」


 ハスクリーは短くそう訊ねた。

 ダニーはおそらく、もうここへは帰ってこない。

 ルビーを奪ったあとは、追手が来ないようアイリーンたちとともにランバース国へ戻るつもりだ。そのためにバーランドが先回りして、ナタージャ侯爵領で待機させていた騎士団の面々をトルマール国の、グーデルベルグ国の国境付近へ移動するように指示を出していた。

 父は、そのことに気がついているのだろうか。


(黙って行くつもりだったのにな)


 ダニーのポケットには、フィリップから預かっているものが入っている。

 玉座の間と会議室はともに三階。場所は離れているが、騒ぎを起こせばすぐに気づかれるだろう。だからこそ、フィリップに頼んで、睡眠薬や神経毒などをあらかた揃えてもらっていた。バーランドとファーマンの二人がいれば、騒ぎを起こす前に見張りの衛兵の意識を奪うことは可能だろう。


 ダニーは黙って父の顔を見返した。

 会えてよかったと思う。もう会うことはないと思っていた父。そして、もう二度と会うことはないだろう父。

 何か言わなければと思うけれど、何も言葉も出てこない。

だから、黙って去りたかったのに。

 戸惑ったように瞳を揺らす息子に、父親は苦笑したようだった。仕方ないなと、言いたそうに。


「元気で。……落ち着いたら、また遊びにおいで」


 気軽に遊びに来られる距離でも場所でもないだろうに、また会えると疑っていないような口調で言うから、ダニーもつい頷いてしまう。

 ダニーは一度唇を舐めて、それから小さく微笑んだ。


「……行ってきます」


 さようならは、言わなくていいだろう。

 そんな気がした。



     ☆



 首から下げているスピネルのネックレスと、前聖女サーニャの指輪の感触を確かめて、アイリーンは顔をあげた。

 会議のはじまりは午後から。

 会議室は三階の西の端にあり、小虎がルビーを発見した玉座の間は三階の中央部だ。


「緊張して来たわね」


 何事にも動じないキャロラインが、珍しく弱気なことを言った。

 失敗すれば、次の機会はないだろう。アイリーンもぎゅっと拳を握りしめる。


「大丈夫。ダリウス殿下がうまく注意をひきつけてくれるわ」

「そうね」


 小虎を抱きかかえて移動すれば目立つので、彼は先に三階へ移動している。使用人は不用意に中央階段を使用することを禁じられているから、東の階段を上ったところで小虎と落ち合う予定だ。本日、うまく三階の見張り役に選ばれたバーランドとファーマンとは、玉座の前で落ち合うことになっている。

 ダニーも三階で合流する予定だ。会議の休憩中にダリウスがダニーとの面談時間を設けることで、ダニーを城へ上がれるように手配していた。


「行きましょう」


 そろそろ時間だった。

 部屋を出ると、東の階段を使って三階へ上がる。

 久しぶりの大規模な会議のため、忙しく動き回っているメイドたちの姿を見かけたが、ダリウスつきのメイドであるアイリーンとキャロラインは、ダリウスに会議の休憩時間にお茶を用意するように頼まれていると言えば咎められなかった。


 三階に上がったところで、廊下に飾られていた花瓶の影に隠れていた小虎が姿を現す。

 彼はアイリーンとキャロラインの影に隠れるようにして後ろをついてきた。小虎な人の気配を敏感に察することができるので、誰かの気配がするたびに相手の死角へ身を潜めてやり過ごしている。

 玉座の間の近くまでたどり着いた時、小虎が小さな声で「がぅ」と鳴いた。反対側の廊下から、バーランドとファーマンが歩いてくるのが見える。


 玉座の間の扉の前に立っている衛兵は二人。見える範囲には、ほかに衛兵の姿はない。

 だが、小虎が小声で知らせたのは、ファーマンとバーランドのことではなかったようだ。コツコツと足音がするので左を向けば、中央階段をダニーが昇ってくるところだった。

 ダニーは階段を上りきったところで、アイリーンたちを一瞥すると、そのまま玉座の間の衛兵二人に近づいた。


「すみません、ダリウス殿下に呼ばれてきたのですが、東にあるサロンはどちらでしょうか?」


 城に不慣れな留学生を装って訊ねれば、衛兵たちは何の疑問も持たなかったようで、ダニーから視線を逸らして、東の奥を指さす。――その、刹那。

 ダニーがポケットから何かの薬品を取り出した。自身の口元を袖で覆い、素早く、二人の衛兵の顔に中身を振りかける。

 衛兵たちは何かを叫びかけたが、声を発する前にその場に昏倒する。

 ダニーは衛兵たちから距離をとって、口の覆いを外すと、大きく息を吐いた。


「……まったく、あの人の発明品は優秀で怖いですよ」


 フィリップから預かっていた彼の発明品らしい。瞬時に相手の意識を飛ばす薬品だそうだ。ちなみに神経毒の作用もあるので、目を覚ましても半日は動けなくなるそうだ。

 ファーマンとバーランドが気を失った衛兵を手早く縛り上げた。


「玉座の間の中に放り込んでおけばしばらく人目にはつかないでしょう」


 ダニーがそう言って、玉座の間を押し開け――、そして大きく目を見開いた。



     ☆



 異様な緊張に包まれた会議室にロレンソとともに入室したダリウスは、大きく息を吐きだした。

 議会には見学程度に参加したことはあるが、今回の議題は王位継承について。ダリウスはただの見学者ではいられない。


 すでに会議室には大半の議員が集まっていて、その中にはナタージャ侯爵の姿もあった。目があえば、彼は穏やかに微笑んで大きく頷く。彼は争いごとは望まないたちだが、それゆえに人をまとめあげることが得意だった。ダリウスへの票も、彼のおかげでかなり集まったようである。

 議員の注目を浴びながら、ダリウスはゆっくりと上座に用意された席へ向かう。隣はニコラスが座る椅子だが、そこにはまだ兄の姿はなかった。


 席に着いたダリウスの背後にロレンソが立つ。

 これは、議会と言う名の戦いだ。

 ダリウスが敗北すれば、王になったニコラスは間違いなくダリウスの命を取りに来るだろう。

 そして、ダリウスが勝利してもそれは同じだった。ニコラスは超えてはいけない一線を越えたのだ。このまま生かしておくことはできない。


 緊張で手のひらが汗ばんでくる。

 喉がカラカラに乾いてきたが、目の前に用意された水に手はつけなかった。用心するに越したことはない。この中に、何か毒物が仕込まれていないとも限らないのだから。

 そろそろ時間だと言う頃になって、一番最後にニコラスが入室して来た。

 ゆっくりとこちらへ歩いてくる彼を見たダリウスが瞠目する。


 ニコラスは、一人だった。

 そう、一人なのだ。


(どういうことだ⁉)


 会議には必ず同席していたヴィンセントの姿がどこにもない。

王族が会議に出席するときは、側近を伴うものである。それなのに単身で現れるなんて――


(まずいかもしれない)


 ダリウスは思わず席を立った。

 そんなダリウスに、ニコラスが着席しながらにこやかに告げる。


「どうした? 会議がはじまるよ」


 座りなさい、と言われてダリウスは臍をかんだ。

 今からでは、ロレンソを退出させることもできない。

 無情にも、会議室の鍵がかけられて、議長が会議の開始を告げた。


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