リオノーラの熱が下がったのは三日後の朝のことだった。

 王都カハロバから何日もかけて早馬でここを目指し、そのあと高熱を出したリオノーラは見るからにやつれていて、熱が下がっても彼女のあとをフィリップやマディアスが心配そうについて歩いている。


 ニコラスの依り代にされたアドルフのことは、話し合った結果、モーリスには黙っておくことにした。ニコラスとリリーの件は王家の重要案件になるため、どう対処するかが決まっていない状況で迂闊に話すわけにはいかないとフィリップが判断したのだ。


 フィリップは言葉を濁したが、異端に厳しいグーデルベルグ国だ。ニコラスとリリーを捕えた場合、どのような対応になるのかわかりきっていた。――おそらくだが、処刑という線が濃厚になるだろう。その場合、モーリスに真実を伝えるのはあまりに酷だった。

 もちろんこれは、ヴィンセントからルビーを奪い返し、ニコラスとリリーを捕えられたらの仮定の話だ。何が何でもヴィンセントからルビーを奪わなくてはならないが、すべてがうまくいくと言う保証はどこにもない。


「王都カハロバへは、馬車を使えばここから三週間近くかかります。メイナード殿下の件がありますから、動くのは早い方がいいでしょうが、王都へ近づけばアイリーン嬢を捕えるための包囲網が敷かれているとも考えられますから、油断はしない方がいいでしょう」

「バニー、カハロバへ向かうのはいいけど、どうやってお城に入るつもりなの?」

「ダニーです。それには考えがあります」


 ダニーの考えた手段はこうだった。

 まず、アイリーンたちは王都カハロバにあるダニーの父ハスクリー・ナタージャ侯爵の邸へ向かう。そこから、ハスクリーに、城で働くための紹介状を書いてもらうと言う。

 王都までの道のりは、マイアール商会の紋章の入った馬車を使うそうだ。マイアール商会とナタージャ侯爵家は懇意にしているので、荷物を載せた風の馬車が向かうには不審がられないだろうとのことである。


「少々危険ですが、城へもぐりこむにはこの方法しかありません。幸い、アイリーン嬢とキャロラインは顔は割れていないはずですから、他人に成りすませば何とかなるはずです。城には侍女もメイドも足りていませんから、城の機能低下を心配して使用人を紹介すると言う手を取ればもぐりこめるはずです。使用人の採用に王族はいちいち口を出しませんから、ニコラスたちに知られる心配も少ないでしょう。同様に、ファーマンさんとバーランド様は衛兵として。フィリップ殿下とマディアスとリオノーラは顔が割れているので待機です」

「あんたはどうするの?」

「俺はダリウス殿下が招いたランバース国からの留学生という立場ですよ? ダリウス殿下に協力してもらえば城への出入りはある程度は自由が利くはずです。それを利用して連絡係をつとめます」

「なるほどね」

「そうなると、アイリーン様を近くで守れるものがいませんね」

「がう」

「小虎は駄目です」


 小虎がアイリーンの腕の中で名乗りを上げたが、ダニーにあえなく却下されて、怒ったように喉を鳴らす。


「小虎のような動物はグーデルベルグには存在しませんからね。アイリーン嬢のそばにいれば、目立ちすぎて逆に危険です」

「があ!」

「そう怒らないでください。俺が何とかして城の敷地内には入れてあげますから。敷地内に入れば、小虎は優秀ですから、人に見つからずに自由に歩き回ることもできるでしょう?」

「……がぅ!」


 小虎が当然だと言わんばかりに大きく頷いた。そのどや顔に、アイリーンは思わず吹き出した。


「頼りにしてるわ、小虎」

「があぅ!」


 よしよしと小虎の頭を撫でていると、ファーマンとバーランドが難しい顔で唸った。


「じゃあ、二人の護衛なしか」

「さすがにそれは……」

「そうは言いますが、二人はメイドとして潜入してもらうことになります。護衛なんて貼り付けるはずがないじゃないですか」

「だが……」

「大丈夫です。二人は最初、ダリウス殿下付きのメイドとして紹介してもらいます。ヴィンセントたちのそばに割り振られることはありません。そして、今回の作戦の鍵は何と言っても小虎です」


 ダニーがアイリーンの腕の中の小虎を覗き込んだ。

 小虎がきょとんとした顔をして赤い瞳でダニーを見つめ返す。


「小虎が人に見つからず自由に城を動き回れることが前提条件ではありますが……、小虎には、ルビーがどこにあるのかを探ってもらいたいんです。ヴィンセントの部屋、もしくはニコラスの部屋にある可能性が一番高いですが、可能性だけで部屋に忍び込むにはリスクが高すぎますからね。ルビーの場所を特定し、なおかつヴィンセントとニコラスのスケジュールを把握した後で行動開始です」

「つまり、主人がいない隙に部屋に忍び込んで盗めと?」

「なるほど、だから僕たちも衛兵として忍び込むのか」


 バーランドが合点がいったと頷いた。

 城の警備担当である衛兵としてもぐりこめば、要人の部屋の前の警護を任されることもある。部屋の前の警護を任されなくても、城の警備で場内を歩き回ることは可能だ。メイドとして忍び込むアイリーンとキャロライン、そして衛兵として忍び込むバーランドとファーマン、いずれかがルビーを盗み出せばいい。


「危険はありますが、ルビーを奪うことだけが目的なら、難易度自体はそう高くないと見ています」


 まさかアイリーンたちが、正面からルビーを奪いに来るとはヴィンセントもニコラスも思うまいとダニーは言う。

 あくまで、ニコラスやヴィンセントの捕縛は無視し、ルビーだけを狙う作戦だ。

 ニコラスやヴィンセントが使うと予想される闇の力については、ルビーの封印さえしてしまえば脅威でないとの判断である。闇の力そのものが消えれば、使えるものもないからだ。


(ルビーを手に入れて仮封印……。大丈夫、手順は覚えているもの)


 アイリーンは肌身離さずサーニャの指輪を持っている。いつでも使えるよう、メイナードにもらったスピネルのネックレスとともにチェーンで首から下げているのだ。

 ダニーにも言われた。目的は見失わない。アイリーンのすべきことは。ルビーを手に入れて仮封印を施し、それをランバース国に持ち帰ることだ。それ以外のことは、グーデルベルグ王家が考えることなのだ。

 何としてもルビーを手に入れる。メイナードの命の刻限は刻々と迫ってきているのだから。


「出発は明日の朝。王都までの道のりは長いですから、準備は念入りにお願いしますね」


   

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る