『ダルスの黙示録』を持ってダイニングに戻ると、モーリスには席を外してもらった。

 勝手に離宮に押しかけて、好き勝ったなことをするアイリーンたちに、てっきりモーリスが不快な思いをしていると思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。


 長年王家の離宮の管理を任され、王家に仕えてきたモーリスは、王家の紋章入りの短剣を見せたフィリップの正体にも気づいている様子で、フィリップが離宮に滞在している間は彼の指示に従うと決めたようだった。

 フィリップは指名手配中だが、王都カハロバから離れたところにある離宮で、およそ一年の間闇の術の影響下にあったモーリスは、そのことを知らないのかもしれなかった。


 モーリスはアイリーンたちがダイニングで話をする間、この離宮に泊まる彼女たちのために、夕食の準備をするそうだ。

 宿のジュールが教えてくれた通り、食料は定期的にドーラン町の町長マルクの息子が届けているようで、食糧庫には充分な食料があるそうだ。

 執事が料理と聞いて驚いたアイリーンだったが、執事以外の全員が死んでしまったのだから、料理人もキッチンメイドもいなかっただろう。一年前から、ここではそれが当たり前だったのかもしれない。


「それで、何かわかりましたか?」


 ダイニングでモーリスを見張っていたファーマンが訊ねた。

 ダニーは手短にヴィンセントが使っていた部屋にフォーグ教の祭壇があったことを伝え、『ダルスの黙示録』をテーブルの上に置く。


「手掛かりは今のところこれだけです。何かわかればいいのですが」


『ダルスの黙示録』は古代リアース語で書かれていた。古代リアース語が堪能なダニーが代表して読み進めていく。ダニーほどではないが古代リアース語に詳しいフィリップがダニーの横に座って彼の手元を覗き込んだ。


「……日記か?」

「日記ではないのでしょうが、そのような流れで書かれていますね。最初のあたりは、典型的な経典と言いましょうか……、リアース教と似ている部分も多いです。リアースの神がこの世界に光の聖女と闇の神子を誕生させた……このあたりはまったく一緒ですね」


 小虎の話では、ダルスはフォーグの息子でエディロースとフォレスリードの孫。これを書いたのがダルスならば、はじまりがリアース教と酷似していても不思議ではない。

『ダルスの黙示録』は分厚いので、最初の当たりは読み飛ばす勢いでページをめくっていたダニーは、半分ほど読み進めたあたりで手を止めた。


「……ここからかなり内容が過激になっていきますね。リアース神が闇の神子を恐れて殺害し、この世界から闇がもたらす安らぎを奪い去ったとあります。世界の安寧をつかさどる闇の神子を奪ったリアース神が悪のような描かれ方をしていますね」


 それは違う。闇の神子――フォレスリードは、エディローズの死を嘆いて自ら命を絶ったのだ。リアース神が殺したわけではない。

 ダニーは急ぎ最後のページまで目を通すと、ぱたんと本を閉じた。


「特出すべき点はあまりないかもしれません。しいて言えば、フィルがランバース国に持ち込んだ古書にあった『カクリヨ』という単語の謎が解けたくらいでしょうか。カクリヨとは、闇の神子……すなわち、フォーグ教での神の名前のようです。フォーグ教では闇の神子のことをカクリヨ神と呼んでいたようですよ。ほかは、小虎の言う通り、闇を信仰し、闇こそすべてだと言っているだけのもののようです。ただ、最後の一文だけが少し気になります」


 フィリップがダニーから『ダルスの黙示録』を受け取って、最後のページを開いた。


「これか。……カクリヨ神が再びこの地に降り立つとき、世界は終焉を迎えるだろう。だが案ずるな、それはすなわち、すべてのはじまりなのだから……か」

「カクリヨ神が再び……つまり、フォレスリードが蘇るときと言うことでしょうか?」


 そうならば、それは今の状況を指すのかもしれない。メイナードはフォレスリードの生まれ変わりで、そして現在、メイナードの体はフォレスリードの記憶に支配されているから、蘇っていると言っても過言でない。


「でも、それが何だと言うのかしらね?」


 喉が渇いたらしいキャロラインが、飲み物を用意しようと立ち上がりながら言った。

 モーリスは夕食の準備をしてくれているから呼びつけるは可哀そうだから、キャロラインは自分で用意するようだ。アイリーンはキャロラインを手伝うことにした。


 茶葉は先ほどモーリスが紅茶を煎れてくれた時に用意したものがテーブルの上に残されていたので、それを使うことにする。暖炉につるしてあった鍋の中にはすでに湯が沸いていたので、それを使わせてもらって、キャロラインと手分けして人数分の紅茶を煎れていると、ダニーが『ダルスの黙示録』を読み返しながら、眉を寄せた。


「あなたの言う通り、これだけでは離宮の使用人の死の謎も、ニコラス殿下の件も、何もわかりませんね」


 ダニーが肩をすくめると、アイリーンが座っていた椅子の上で丸くなっていた小虎がむくりと起き上がった。

 じっと『ダルスの黙示録』を眺めて、があぅと鳴く。まるでアイリーンを呼びつけるような鳴き方だった。


 アイリーンが小虎のそばに寄ると、小虎が子供の姿に変わった。今日は頻繁に姿を変えるようだ。

 子供の姿になった小虎が、アイリーンに両手を伸ばす。アイリーンが小虎を膝の上に抱き上げて座ると、小虎はアイリーンの腕をぎゅっと抱きしめて言った。


「ダルスが何をしようとしていたのかは僕は知らない。ただ、おそらくダルスは、父親だったフォーグの研究を受け継いだんだと思う」

「小虎?」

「……昔の話が役に立つのかどうかはわからないけど、話しておいた方がいい気がしたから。あまり思い出したくないから、これっきりにしてね」


 小虎は小さな手で『ダルスの黙示録』を受け取ると、その何も書かれていない黒い表紙を睨みながら続けた。


「フォレスリードとエディローズの子は二人。姉のユイファと、弟のフォーグの姉弟だった。二人はエディとフォレスリードほどではないにせよ、光と闇の力を受け継いでいて、光の力が強かったのがユイファで、闇の力が強かったのがフォーグだったんだ。エディのあとを追ってフォレスリードが死んだ後、ユイファはリアース聖国の女王となった。でもフォーグは……あの頃、まだ幼かったフォーグは、母と父を立て続けに失ったことで精神を病んで、ある研究に没頭するようになった」


 キャロラインがそれぞれの人の前にティーカップを置いて回った。小虎の前にも置かれたから、アイリーンは砂糖とミルクをたっぷり注いで、小虎に差し出す。

 小虎はティーカップを両手で抱え持って、ふーふーと息を吹きかけた。


「……死者を蘇らせる研究だよ。フォーグは死ぬまで、何かに憑りつかれたようにその研究に没頭していた。ユイファの努力も虚しくリアース聖国が滅びようと、自分の妻が病に倒れようと……何も顧みることなく、ただ、エディとフォレスリードを……、自分の両親を蘇らせることだけに人生のすべてを捧げたんだ」

「蘇らせる?」

「フォーグにとっては、エディとフォレスリードがすべてだったんだよ。幼い日の温かく優しい記憶から、大人になっても彼は抜け出すことができなかった。だから取り戻そうと必死だったんだよね。僕もこのあたりのことは、レーガルに聞いただけだからあまり詳しくないけど、幸か不幸か、フォーグは闇の力の資質が強かった。闇の術にはもともと、死者の魂を一時的に他者の体に憑依させる術があってね。そこに光明を見出してしまったから、抜け出せなくなったとも言えるのかな。レーガルによると、フォーグはいい線まで行ったらしいよ。レーガルもどのような方法で死者を蘇生させるのかまではわからなかったらしいけど、完成に近いところまで行ったみたい。でもその前に死んじゃった」


 小虎がちびちびと紅茶を飲んで、少しだけ間を取った。ここから先はあまり思い出したくないことなのかもしれない。ぎゅっと眉を寄せて、深く深呼吸をして続ける。


「ダルスは、そんなフォーグを見て育ったからか、フォーグ以上に狂信的だった。フォーグはエディたちを蘇らせることだけに心血を注いだけれど、ダルスは闇そのものに魅せられたんだ。フォーグの死後、ダルスは自分の父親の名前を冠したフォーグ教を興した。闇こそすべてだというダルスは、闇の力の封印をすべて解き、この世界を闇に染めるべきだと主張した。……闇の封印を解くことができるのは、聖女だけ。それも光の力を強く受け継いだ聖女だけだ。例えばアメリがそうだった。ダルスはタリチアヌ教を操ることでリアース教を迫害させ、アメリを捕えさせて、ルビーの封印を解かせようとしたんだ。でもアメリはルビーの封印を解くのではなく、ルビーの封印の箱になることを選んで……死んだ」


 小虎の声が小さく震えているのがわかったから、アイリーンがぎゅっと小虎を抱きしめると、小虎はアイリーンを見上げて泣きそうな顔で笑った。


「その本を持っていたヴィンセントとかいう男が何なのかは知らないけど、フォーグ教を信仰しているのならば、目的はアイリーンで間違いないと思う。ルビーもそいつが持ち去ったと見ていいのかもしれないね」

「……少しいいですか、小虎」


 それまで黙って聞いていたダニーが、軽く手をあげて小虎の話を止めた。


「さっき、フォーグは死者の蘇生の研究をしていたと言いましたよね? そして、それは完成に近かったと」

「うん」

「それが、フォーグの死後、完成したと言うことはありませんか?」


 アイリーンはハッとした。ダニーが言いたいのは、ニコラスの妻のリリーのことだろう。リリーはニコラスの婚約者だったリリアーヌにそっくりだという。もしもフォーグが研究していた死者の蘇生の術が完成していたのなら――そこまで考えたアイリーンはゾッとした。


(死んだ人を蘇らせるなんて……それは、やってはだめなことだわ)


 大切な人がいなくなったら、生き返ってほしいと思ってしまうのは自然な心の流れかもしれない。アイリーンだって思うだろう。けれども、それは触れてはいけない禁忌だ。淋しいから、悲しいから、会いたいから――それだけで人を生き返らせていては、この世界は人が死ねない世界になってしまう。それは間違っているのだ。

 小虎は考え込むように顎の下に手を当てた。


「それは僕にもわからない。でも少なくともレーガルは、ダルスが術を完成させたとは言わなかった。僕たちが知らない間に完成させたのかもしれないけど……あんまり現実的じゃないと思うよ。その術が死者の魂を一時的に他者の体に憑依させる術をもとにしているのなら、闇の力が強くないと使えないはずだもん。フォーグの……ダルスの末裔に闇の力が強いものが現れたとするなら別だけど、でもその術が使えるほど強い闇の力を持っているなら、たぶん長くは生きられないはずだから、やっぱり無理だと思う。メイナードがいい例だよ」


 小虎がメイナードの名前を出したから、アイリーンは思わずぎゅっと奥歯を噛んだ。


「もちろんメイナードは……なんて言うのかな? 世界の闇の力をすべて集めちゃう特殊体質だから特別だけど、それでも闇の力の影響が強い人間は……どうだろう、大人になるまで生きられないんじゃないかな」

「大人になるまで生きられない……なるほど、それではヴィンセントは対象から外れるでしょうね」


 ダニーはどうやらヴィンセントがそれでないかと疑っていたようだ。病弱だったニコラスを治し、リリアーヌに似たリリーと関わりがあり、なおかつフォーグ教を信仰していたとあれば、真っ先に歌疑うべき存在だろう。

 小虎はミルクティーを飲み干すと、考えるように俯いたダニーに言った。


「蘇生の術という点では外れるかもね。でも、闇の術が使えると考えるのは間違ってないかもしれないよ? 実際にそいつを見てみないと何とも言えないけど、誰かがモーリスに術をかけたのは間違いないもん」

「至急、ダリウス殿下に手紙を書いた方がよさそうですね」


 ヴィンセントの目的が何にせよ、危険視しておいて問題はなさそうだ。


「ヴィンセントがルビーを持っている可能性から責めていきましょう。さすがに城へは乗り込めませんから、調査はダリウス殿下にお願いしないといけませんね。……大丈夫でしょうか」

「ダリウスは慎重派だから、大丈夫だろう」

「そうねえ。フィルは興味の対象を見つけたら後先考えず突っ込んでいくけど、ダリウス殿下はその点冷静だものね」


 マディアスが茶化したように言ったから、フィリップが渋面を作った。


「ともかく、まだわからない点は多いが、ルビーの手掛かりはつかめたんだ。ダリウスに探らせて、こちらは引き続き離宮を調べながら待機しておくしかないだろう」


 まずは推測通りヴィンセントがルビーを持っているか否か。それがわからないことには先に進めない。

 ダニーが急ぎダリウス宛の手紙を作成すると言って、荷物の中から紙とペンとインクを取り出した。手紙を仕上げたあとは、一度ドーランの町に戻り、マイアール商会とナタージャ侯爵家を経由してダリウスの側近ロレンソへ手紙を届けてもらうそうだ。


 小虎はもうこれ以上話すことはないと思ったのか、小さな虎の姿に戻った。

 ごろごろとアイリーンの膝の上で丸くなって甘えたように喉を鳴らすから、そっと背中を撫でてやる。

 昔のことは思い出したくないはずなのに、アイリーンたちのために頑張ってくれたのだ。


「ありがとう、小虎」


 アイリーンが小さくささやくと、小虎は赤い目を細めて、があぅと鳴いた。

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