階段を上がって西に曲がると、ちょうど廊下の真ん中の当たりで豹が木の枝の上で空を見上げている彫刻が彫られた扉を発見した。

 フィリップが鍵を開けて部屋の中に入ると、そこは黒一色で整えられた部屋だった。よほど黒が好きなのか、ソファや本棚、机、カーテンに至るまで黒である。マディアスがあきれたような声をあげて続き扉の向こうの寝室を確認したが、ベッドもベッドシーツも黒だったというのだからよほどだろう。


「なんかこう……空気が重たいわネェ」


 マディアスがそう言ってカーテンを開けた。傾きかけた日差しを見て、アイリーンはアッと声をあげる。


「帰りの時間を考えないと、夜になってしまいますね」

「いや、長引きそうだから今日はここに泊まらせてもらおう。マディアス、悪いが御者たちに町に変えるように告げてくれ」


 アイリーンたちを乗せてきた馬車の御者は、離宮の一室で休憩をとっているはずだ。マディアスが頷いて部屋から出て行く。

 フィリップが本棚を調べはじめたので、アイリーンは彼の邪魔をしないように書斎机のあたりを調べることにした。ヴィンセントは几帳面な性格をしているのか、机の上は整然と片づけられていて、特に変わったものはない。

 ほかに調べようにも、あとはソファやテーブルだけで、これと言ってめぼしいものはなさそうだった。


 アイリーンは何げなく天井を見上げて、それから小さく首をひねった。何の変哲もない板張りの天井だったが、どうしてだろう、何か引っかかる。

 いったい何に違和感を覚えるのだろうかとアイリーンが天井を見上げたまま考えていると、御者に連絡を終えたマディアスが戻って来て不思議そうに訊ねた。


「どうかした?」


 アイリーンは天井を見上げたまま答える。


「なんだか少しおかしいような気がして……どうしてなのかはわからないんですけど」

「天井が?」


 マディアスもそう言って天井を見上げる。

 本棚を見分していたフィリップもいつの間にか加わって、三人そろって天井を見上げていると、ややしてあきれたような声がした。


「……三人そろって上なんて見上げて、何か面白いものでもあるんですか?」


 声がした方に視線を向けると、そこにはダニーが立っていた。その後ろにキャロラインとバーランドもいる。どうやらニコラスが使っていた部屋の確認は終わったらしい。特に何も変わったものは見つからなかったとキャロラインが教えてくれた。


「それで、アイリーンは何をしていたの?」

「うん。何が変なのかはわからないんだけど、なんだか変な感じがするのよね」

「ふぅん?」


 キャロラインがそう言って天井を見上げて、パチパチと目をしばたたく。


「そうね。この部屋、造りがおかしいわ」

「キャロライン、わかったの?」

「ええ。ほら見て、天井から吊り下げられているシャンデリアの位置。妙に奥寄りだと思わない? この部屋みたいな正方形の部屋なら、普通中央につるすと思うんだけど」


 キャロラインがそう言うと、ダニーとフィリップが同時にハッと顔をあげた。


「正方形!?」

「ダニー」

「わかっています」


 ダニーとフィリップが慌てたように、部屋の奥の本棚へ向かっていく。それから横の窓の位置、天井を確かめて、二人そろって頷いた。


「動かせそうなのはこれですか」

「そうだな」


 ダニーとフィリップが中央の本棚の前でそう言った。ほかの本棚と違って、本がほとんど入っていないからっぽの本棚だ。

 ダニーとフィリップが本棚を奥へ押し込むように体重をかけて押すと、その奥は壁しかないはずなのに、本棚がうしろに下がった。


「なるほどな」


 バーランドが頷いた。

 アイリーンももう一度天井を見上げて、ようやく理解が追い付いた。シャンデリアの位置がおかしかったのではない。この部屋は正方形ではなく長方形の作りだったのだ。それをあたかも正方形の部屋であるかのように本棚で区切って、その奥を隠していたのである。


 アイリーンはダニーとフィリップが本棚の壁を崩した奥へ向かった。

 そこはバスルームくらいの大きさだった。奥に祭壇のようなものがある。


(リアースの紋章……、ううん、違う)


 祭壇には、月と太陽を現した紋章があった。その形はよく見慣れたリアース教のものであったが、形は同じでも色が違う。リアース教の紋章は太陽を金、月を銀で表している。しかし目の前にある紋章は月は銀色で同じであるが、太陽が黒く塗りつぶされていた。


「がぅ」


 さっきまで大人しくしていた小虎が、アイリーンの腕の中で低く鳴いた。降ろせと言うように小さく身じろぎをしたので床に下ろしてやると、小虎が子供の姿に変わる。

 小虎はじっとリアース教の紋章に似た紋章を睨んで言った。


「フォーグ教だ」


 ダニーが弾かれたように紋章を確かめ、それから白い布がかかっている祭壇を荒らしはじめた。布の下は小さな本棚のようになっていて、そこには一冊の本が納められていた。分厚いが、表表紙にも背表紙にも題名の書かれていない本だ。


 ダニーは何げなく本を開いて、眉を顰めると、それを小虎の前に持って行った。

 アイリーンも覗き込んだが、何が書かれているのかはわからなかった。以前見た旧リアース語であろうと推測できる。


「わかりますか?」


 ダニーが小虎に訊ねると、小虎は赤い目をすがめて、短く息を吐いた。


「それ、ダルスのだ。……僕、あいつ大嫌い」

「ダルス……『ダルスの黙示録』?」

「そんな大層な名前で呼ばれているけど、狂信家のただのイカレた戯言だよ」

「小虎、これ知ってるの?」


 アイリーンが訊ねると、小虎は痛そうに顔をしかめて、仕方が無さそうに答える。


「知ってる。フォーグ教が経典として崇めているもの。闇の力が世界に終焉と再生をもたらすって本気で信じて実行しようとした大馬鹿野郎の落書きだ。……こいつがフォーグ教なんて馬鹿なものを興さなかったら、アメリが死ぬこともなかった」


 それだけ言った小虎の体が淡く光りはじめる。姿を変える前兆だ。それを見たダニーが急いで小虎に訊ねた。


「小虎、ダルスとは誰です?」

「フォーグの息子で、エディローズとフォレスリードの孫」


 小虎は最後にそれだけ答えると、小さな虎の姿に戻って、アイリーンに向かって甘えるように前足を伸ばした。アイリーンが抱き上げると、それ以上は語りたくないと言わんばかりに双眸を閉ざす。

 まただんまりを決め込んでしまった小虎にバーランドが嘆息したが、昔を思い出したくない小虎は頑張った方だ。

 ダニーも小虎の答えにひとまず満足したようで、手元にある『ダルスの黙示録』に視線を落とす。


「とにかくこれを調べてみましょう。何かわかるかもしれません」

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