14

(あの大きな音は何だったの⁉)


 バーランドとファーマンが敵を片付けたのち、アイリーンたちは爆音がしたあたりに向けて急いでいた。

 音が聞こえた方向はキャロラインが走って行ったあたりだ。小虎が追いかけたから大丈夫だと思いたいが、もしキャロラインに何かあったら――そう考えるだけで、心臓が壊れそうになる。


 バーランドもひどく焦っているようだ。当然だ。キャロラインは彼のたった一人の大切な妹である。

 キャロラインの端って言った方へ向かっていると、途中から、点々と事切れた男たちが転がっているのが見えて、アイリーンはぎゅっと眉を寄せる。小虎が倒した敵だろう。相手が敵だとわかっていても、死体を見ると震えそうになる。


「見るのがつらければ、抱えて行きましょうか?」


 ファーマンが小声で訊ねてきた。見たくなければ目をつむっていればいい。目的地まで連れて行ってやると言われて、アイリーンは首を横に振る。目を背けてはいけない。怖いことが起こるたびに目を背けていれば、これから先は進めなくなるだろう。聖女は常に狙われる。わかっていたことだ。ぬくぬくと守られるだけの城から飛び出して、グーデルベルグ国に向かうことに決めたのはアイリーン自身なのだから、何があっても目を背けてはならない。


「大丈夫。急ぎましょう。キャロラインが心配だわ」


 そう言って気丈に顔をあげたアイリーンだったが、しばらく進んだ先に広がっていた光景には思わず悲鳴を上げてしまった。


 真っ青になって口元を覆って震えるアイリーンの耳に「がう」と小虎の声が聞こえてくるが、それに安堵するだけの余裕はアイリーンにはない。

 なぜなら、アイリーンの目の前には、胴体や首、足や、手が吹き飛んだ無残な死体が転がっていたからだ。


 あまりの惨状にふらりと傾いだ体をファーマンが慌てて支えてくれる。彼がそっと大きな手のひらでアイリーンの目の上を覆ってくれたので、アイリーンはゆっくりと深呼吸をくり返した。呼吸がうまくできなくなっていたのだろう。ひどく苦しかった。


「小虎、キャロラインは?」


 バーランドが小虎に訊ねる声が聞こえる。


「ここよ、お兄様」


 バーランドに答えるキャロラインの声が聞こえたとき、アイリーンの全身から力が抜けた。

 呼吸が少し整ったアイリーンは、ファーマンにもう大丈夫だと告げて彼から離れると、キャロラインに向きなおる。


「キャロライン、怪我してない?」

「大丈夫よ。小虎がいたし。それに……」


 キャロラインがそっと背後を振り返った。アイリーンもその視線を追えば、離れた場所で死体を見分している男を見つけてぎょっとする。よくあれが直視できるものだと思っていれば、その男が見覚えのある人物でさらに驚いた。


「ダニーさん⁉」


 ダニーが顔をあげた。


「どうもご無沙汰しています。まさか聖女自らやって来るとは思いませんでしたよ」


 言外に「馬鹿ですか?」と言っているようなそんな響きの声でダニーが言う。


「キャロライン、どういうこと⁉」


 わけがわからなくてキャロラインに詰めよれば、彼女は肩をすくめた。


「わたしにもさっぱりよ。ただ、ダニーが何かして、敵たちを吹き飛ばしたらしいのよね。あれだけ大きな音をさせたから、ここで待っていればそのうちアイリーンたちの方がこちらに来るはずだって言うから待ってたんだけど……、あの通り、ダニーはずっと死体と睨めっこしてて全然教えてくれないし。何なのかしら、あいつ」


 ぶつぶつと文句を言うが、キャロラインの表情は明るい。ダニーに会えて嬉しいのだろう。だが、この惨状を前にけろりと立っているキャロラインもすごい。


「この匂い……爆薬か?」


 妹の無事を確認して冷静になったらしいバーランドが、周囲の匂いを嗅ぎながら言った。確かに、このあたり一帯には妙な匂いが漂っている。血の匂いもするが、それよりも硝煙のような匂いが強い。


「フィリップ殿下が作った小型爆弾を使いました」

「は?」

「あの人、そういうことが得意なんで。でも少しうるさすぎるので、もっと音が抑えられるなら抑えてほしいところですね。さすがに死体のサンプルは持ち帰れないので、状況だけ確かめて報告するんで、もう少し待っていてください。ああ、ほかの追手ならこの周囲にはいなかったので、大丈夫だと思いますよ。一応、マディアスが周囲の確認に行っています」


 淡々と答えて死体の見聞を続けるダニーに、アイリーンは唖然とした。

 ダニーはなかなか図太いとは思っていたが、もしかしなくとも彼は鋼の精神力でも持っているのだろうか。顔色一つ変えずに冷静に死体相手に爆弾の威力の確認を行えるなんて――怖すぎる。


「あんた頭おかしいんじゃないの?」


 容赦のないキャロラインがあきれ顔で言うが、平然としているキャロラインもキャロラインだ。


「助けてもらっておいて随分ですね」

「それとこれとは話が別でしょ。いつまでこの気味の悪い場所で待機しなくちゃいけないのよ」

「もう少しです。どのみちマディアスと合流しないと移動できません。周囲を確かめたらここに来ることになっているので、待ってください。そのあと、ナタージャ侯爵領へ向かいます」

「すまないダニー、僕たちはサバドアという町に行きたいんだが」


 バーランドが言えば、ダニーが面倒くさそうな表情を浮かべた。


「サバドアですか? そんなところに何の用があるんですか。サバドアに行くならすごく遠回りになるんですが」

「だが、ほかの騎士たちと合流しなくてはならない。王都へも向かわなくてはならないし」

「騎士との合流はわかりましたが、王都へは行かない方がいいですよ。おそらくですが、王都へ入った途端に捕えられます」

「……どういうことだ?」

「詳しい話はあとで。……はあ。サバドアですね。マディアスが戻ってきたら相談してみます」


 ダニーは忙しいからこれ以上話しかけるなと言わんばかりにひらひらと手を振って、死体の見聞に戻る。


 アイリーンはバーランドと顔を見合わせた。

 王都カハロバへ入った途端に捕えられるとダニーは言ったが、入国許可はもらっている。いったい何がどうなっているのだろうか。

 話はあとでと言われたのでこれ以上ダニーを問いただすことはできないが、嫌な予感がする。王都へ到着した途端に捕えられることになると言うことは、間違いなくアイリーンたちはグーデルベルグ国に歓迎されていないということだ。入国許可を出しておきながら捕縛しようとするなど――普通に考えておかしい。入国許可が間違いだったか、もしくははじめから捕らえることを目的としていたかのどちらかだ。


 バーランドも同じことを考えているのか、難しい顔で黙り込んでいる。

 だが、例えこの先に何が待ち構えていようとも、アイリーンたちはあとには引けない。逃げ帰るという選択肢ははじめから持っていないのだ。

 ダニーの死体の見聞を邪魔しないように静かに待っていると、やがて一つの足音がこちらへ近づいてきた。バーランドとファーマンが警戒を見せたが、小虎が音のする方へ首を巡らせて「がぅ」と小さく鳴く。その声に警戒の色はなかったため、二人はすぐに警戒を解いた。


「マディアスが戻って来たようですね」


 ダニーがようやく死体との睨めっこをやめて立ち上がった。

 ダニーの言う通り、現れたのはマディアスだった。闇に紛れるためか、全身黒ずくめだ。

 マディアスはアイリーンたちに向かってにこりと微笑んだあとで、ダニーに言った。


「敵さんはほかにはいなかったわよー」

「そうですか。騎士団の方たちがうまく分散してくださったようですね。周囲に敵がいないのであれば、今のうちに移動しましょう。サバドアに行きます」

「え、なんで?」

「騎士団の方たちと合流するそうです」

「……あっちに行ったら目立つんじゃない?」

「そうですが、仕方ありません。ナタージャ侯爵家の馬車を使いますし、まさか聖女がその馬車に乗っているとは思わないでしょう?」

「ばれたら侯爵の首が飛ぶわよ。物理的に」


 ダニーはぐっと眉を寄せて黙り込んだが、絞り出すような声で言った。


「大丈夫です。そんなへまはしません。……何のために改良中の小型爆弾を持って来たと?」

「行く先を死体の山にするのだけはやめて頂戴ねー?」


 マディアスはやれやれと肩をすくめたが、それ以上反対はしなかった。

 ダニーに促されて、アイリーンたちは彼らが使っている馬車が止められている場所へ向かう。十分ほど歩いた先に、黒塗りの馬車が二台つながれていた。


「こちらにはコンラード嬢とジェネール公爵令嬢が乗ってください。それから、バーランドさんと……ええっと?」

「ファーマンです。ファーマン・アードラー」

「失礼いたしました。バーランドさんとアードラーさんのどちらか一名がこちらへ。馬車二台でサバドアへ向かうと怪しまれるため、俺とお二人のうちのどちらかが前の馬車に乗ってサバドアへ向かいます。コンラード嬢たちはナタージャ侯爵領へ向かってください。サバドアで騎士たちを拾った後、俺たちもナタージャ侯爵領へ向かいます。詳しい話はそこでしましょう」


 ダニーが持っているらしい小型爆弾の制作者であるフィリップは、ナタージャ侯爵領で待っているそうだ。

 ナタージャ侯爵領は王都から馬車で南に十日ほどの場所にあるそうで、現在アイリーンたちがいるオルツァの町から馬車で四日ほどの距離とのことである。ダニーは王都カハロバで父と再会したのち、父の勧めで領地をルビー捜索の拠点としたらしい。


「ダリウス殿下が秘密裏に教えてくれたんだけど、王都は今きな臭いみたいなのよネェ」


 マディアスがそう言いながら、アイリーンたちを馬車へ押し込める。アイリーンたちの馬車にはファーマンが同乗することになった。第二騎士団の副隊長であるバーランドの方が、騎士たちと合流したさいに事情を説明しやすいだろうとの判断だ。


「では、マディアス、頼みます」

「わかったわ。でも、頼むからあちこちでその爆弾を爆発させないでよ?」

「もちろんです。そんなことをしたら目立つじゃないですか。これは最終手段です」

「そういう意味で言ったんじゃないんだけど……、はあ、あんた、敵に容赦がなさすぎるわ」


 マディアスは苦笑して、馬車の扉を閉めながら言う。


「大丈夫だとは思うけど、気をつけて」

「そちらも。……ジェネール公爵令嬢」


 マディアスが扉を閉め切る前に、ダニーがふと思い出したように顔をあげた。

 呼ばれたキャロラインが顔を覗かせると、ダニーはその手に小型爆弾を一つ持たせる。もらったキャロラインが顔をひきつらせた。


「ちょ、ちょっと」

「この紐を引いて投げれば爆発します。紐を引けば摩擦で火花が起きて火薬に引火する仕組みです。さっきもそうですが、あなたは平然と自己犠牲を選ぶ性格のようなので、持っていた方がいいでしょう。出かけにお守りをもらったのでお返しです」

「……こんなお守り、嬉しくないわよ」


 キャロラインがあきれ顔を浮かべたが、つき返すようなことはせず、両手でそっと小型爆弾を握りしめる。


「誤爆しないんだろうな」


 ダニーの隣でバーランドが不安そうだ。


「たぶん大丈夫です」

「たぶんじゃ困る!」

「今のところ誤爆したものは一つもなかったです」


 ダニーは平然と答えて、キャロラインに向かって「知っていると思いますが音がうるさいので注意してくださいね」と告げると、さっさと自分の乗る馬車へ乗り込んでしまった。

 バーランドは最後まで心配そうにしていたが、ダニーに急かされて馬車に乗り込む。

 二人を乗せた馬車が動きはじめると、マディアスが馬車の扉を閉めた。

 キャロラインはダニーからもらった爆弾を見つめて、やれやれと息をついた。


「信じられない。普通、女にこんなものを渡すかしら?」


 アイリーンには、ぶつぶつと文句を言うキャロラインが、どことなく嬉しそうに見えた。

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