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(リアース……リアースって、リアースの神のこと……?)
アイリーンはまだ茫然としていた。
それはそうだ。だって目の前で十歳の子供が二十歳すぎの青年に変わって、しかもそれが『リアースの神』だと言われればそれは驚くだろう。
(そもそもリアースの神って実在したの⁉)
混乱したアイリーンは、少しでも心を落ち着けようと、隣の小虎に手を伸ばした。けれども、アイリーンがもふもふを腕に抱く直前に、小虎がたまに見せる子供の姿へと変わってしまって、もうアイリーンはどうしていいのかわからなくなった。
小虎はソファから立ち上がると、まるでリアースから守るかのようにアイリーンの前に立って両手を広げた。
「アイリーンは奪わせないよ。エディローズのように、僕から奪うなんて許さない」
いつもたどたどしく喋る子供小虎が、はっきりとした言葉を口にしたのにアイリーンは重ねて驚く。
(それに、エディローズって……)
フォレスリードが言った、彼の妻の名前だった。
リアースは睨みつけてくる小虎を見て、悲しそうに目を伏せた。
「ルシファヒード」
「僕は小虎だよ。アイリーンが小虎と呼んだんだ」
「……そう」
リアースは小さく頷いて、そして言う。
「それを決めるのは私ではなく、アイリーンだよ」
リアースの回答に、小虎はきゅっと唇を引き結んで、アイリーンに抱きついた。
「……だから『あいつ』は、嫌いなんだ」
アイリーンはしがみついてくる小虎を抱きしめ返しながら、リアースを見上げる。何がどうなっているのかはわからないけれど、小虎とリアースの神は互いに面識があるらしい。そして、フォレスリードとエディローズのことも知っている。
「小虎は、フォレスリードが誰か、知っていたの?」
アイリーンが小虎に問いかければ、小虎は拗ねたように口を尖らせた。
「誰も何も、あれはメイナードだよ。フォレスリードもメイナードも、同じ人間だ」
「……どういう、こと?」
小虎は言いたくないと言うようにふいっと顔をそむけた。
そのあとを引き継ぐように、リアースが口を開く。
「その話をする前に、昔の話からしよう。もう、千二百年も前になる話だ」
千二百年というとても想像できないような数字を前に、アイリーンは思わずユーグラシルを見やったが、教皇はどこか諦めたように息を吐きだしただけだった。
☆
千二百年前――
現グーデルベルグ国のあるあたりに、神から遣わされた二人の男女が降り立った。
一人はのちに光の聖女と呼ばれるようになる――エディローズ。
もう一人がのちに月の神子と呼ばれるようになる、フォレスリードだ。
エディローズはその名の通り、光の力をその身に宿し、人々に癒しと繁栄いう加護を与えた。
フォレスリードはその身に闇の力を宿し、人々に安らぎと再生という加護を与えた。
二人を中心に、現グーデルベルグの地に国が興り、やがてそれは「リアース聖国」と呼ばれる巨大な帝国へと進化を遂げる。
リアースの神から遣わされた二人の神子のもとで、リアース聖国は繁栄を続けるかに思えた、そのときだった。
突如として、月の神子の体に異変が起こった。
彼の体から、フォレスリードの体におさまりきらない闇の力が溢れて、それは空を覆った。
朝も昼もない、闇に覆われた世界で、フォレスリードの体はさらに蝕まれ、やがて精神に異常をきたすほどとなった。
闇の力はあまりに大きく強大で、それを押さえこむ器であるフォレスリードの体は限界だったのだ。
このままではフォレスリードも、世界も滅びる――
誰もがそう思ったそのとき、エディローズがリアースに祈った。彼女は、自らの命と引き換えに、闇の力を封じ込めて、世界と夫を救ったのだ。
闇の力を封じられても、フォレスリードがすべての力を失ったわけではない。エディローズ亡きあと、フォレスリードと、二人の子供を中心に、リアース聖国は再び栄華を取り戻すかに思えた。
けれどもフォレスリードは、エディローズの死を嘆き、自ら命を絶ってしまう。
二人の神の使いを失ったリアース聖国はそののち、退廃の一途をたどり――、今日では、リアースの神を信仰するのは、二人の神子の末裔が国を治める、ランバースのみとなった。
「つまり、フォレスリードとエディローズは、千二百年前の人たちということですよね。そのフォレスリードとメイナードが同一人物とはどういうことですか?」
リアースの話はどこかおとぎ話めいていて、アイリーンにとって現実味のないものだった。その千二百年前に生きていたフォレスリードとメイナードが同一人物と言うのはどういうことだろうか。
「フォレスリードとエディローズは闇と光そのもの。この世界から闇と光が失われることがあってはならない。つまり、二人は死んだが、二人の魂はそのまま生き続けてきたということだ」
ユーグラシルが静かに告げる。
「魂そのものが生き続けてきた、とは?」
「簡単に言えば、今日まで転生をくり返してきたということになる」
「転生……」
つまり、メイナードがそのフォレスリードの転生者ということなのだろうか。驚くアイリーンに、ユーグラシルはさらに信じられないことを告げた。
「アイリーンの予想通り、メイナード殿下がフォレスリードの生まれ変わりだ。そして、アイリーン、そなたがエディローズの生まれ変わりでもある」
アイリーンは息を呑んだ。
「もっとも、生まれ変わりと言っても、同一人物というわけではない。メイナード殿下とフォレスリードは『同じ』であって『同じ』ではないのだ。ただ、いろいろあって、メイナード殿下の魂の記憶であるフォレスリードが前面に出てきてしまっている。厄介なことにな」
「……それは、どういうことでしょうか?」
アイリーンが戸惑っていると、リアースが困ったように笑った。
「エディローズがフォレスリードの闇の力を封じてから今日まで、生まれ変わったフォレスリードの体には闇の力は宿っていなかった。闇の力を宿さないこと、それがフォレスリード――、いや、彼の転生者が生きるために必要だったからだ。けれどもメイナードは、その身に闇の力を宿してしまった。理由は二つ。一つはグーデルベルグの地に封印されていた闇の力の一部が溢れたこと。もう一つは、アイリーン――君だよ」
「……わたし、ですか」
「光と闇の力は引き合う。互いがそばにいれば、必ず影響がでるものだ。エディローズの魂とフォレスリードの魂がこれまで同じ時代に同じ土地で転生したことはなかった。それがたまたま、この時代に起こってしまった。それでも、君の中の聖女の力が目覚めなければ何事も起こらなかったかもしれない。けれども君は聖女の力を手にして、そしてメイナードのそばにいた。メイナードに影響が出てもおかしくない。そこに向けて、闇の力の封印が緩めば、自然と闇の力の器である彼の体にその力は集まっていく。結果が、今の状況だ。ただ意識が混同しているうちはまだいい。放っておけば千二百年前と同じように彼の精神は異常をきたし、世界は闇に飲まれるだろう。そして、間違いなくメイナードは死ぬ」
アイリーンは息を呑んだ。
助けを求めるようにユーグラシルを見ても、彼は眉間に深い皺を刻んで視線を逸らすだけだ。
アイリーンが絶望して顔を覆うと、小虎がキッとリアースを睨んだ。
「アイリーンをいじめるな!」
「いじめてなどいないよ。ただ、事実を……」
「そんなの、元をただせば、リアースがエディローズとフォレスリードを地上に下ろしたのが悪いんじゃないか!」
「それは……」
「神の都合で勝手なことをして、神の都合で振り回して、エディを何度悲しませたら気がすむんだ!」
小虎がアイリーンをぎゅうぎゅう抱きしめながら叫ぶ。
リアースは戸惑ったように瞳を揺らして、そして小さく「ごめん」と言った。
アイリーンは小虎を抱きしめ返して、ゆっくりと顔をあげる。
「その、闇の力を再び封印すれば、メイナードは助かるんですか?」
闇の力はすべては解けていないと、前回教えられた。溢れているのは闇の力の片鱗だ。ダニーたちがそれを調べるためにグーデルベルグへ向かっているが、その溢れている闇の力の片鱗を抑え込むことができれば、グーデルベルグに蔓延している疫病のみならず、メイナードを救うことだってできるのだろうか?
「メイナードはまだそれほど強く闇の力の影響を受けているわけではない。彼の体に流れ込む力を止めれば、自然と元に戻るだろうし、死ぬこともないだろう」
リアースが言うと、ユーグラシルが息を吐いた。
「……ただし、殿下は確かにフォレスリードの転生者だが、その器はただの人だ。どこまで耐えられるかはわからない。急いだほうがいいだろうな」
アイリーンはきゅっと唇をかんだ。
ダニーたちが調べ終わるまで、ここで悠長に待っていたら、手遅れになるかもしれない。ユーグラシルはそう言っているのだ。
「……行きます」
「アイリーン?」
ユーグラシルが怪訝そうな顔をする。
アイリーンはキッと顔をあげて、そして言った。
「わたし、グーデルベルグに行きます」
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