12

 どうして――、そう口にしたと思うけれど、声になったかどうかはわからない。

 ダニーはとても穏やかな顔でクッキーを食べていて、キャロラインには、どうしてそんな表情を浮かべているのかが理解できなかった。

 茫然とするキャロラインの前で、ダニーはクッキーを咀嚼しながら、淡々と言った。


「フィリップ殿下とマディアス二人だけだと怪しまれますからね。俺も同行することにしたんです。俺がいた方が動きやすいでしょうし、何より、二人がグーデルベルグについたあとで身を寄せることになっているのは俺の実の父、ナタージャ侯爵家です。両親の離婚とともに縁を切っている俺が居座るわけにもいかないかもしれないので、俺は違うところで生活することになるかもしれませんが、ともかく、あの二人が国で堂々と動き回るわけにはいきません。ダリウス殿下にしても、国が大変な中で好き勝手ができるはずもないですからね。それでなくとも、目的であった疫病の薬――、それを求めてランバースに来たというのに、何の収穫もなく国に戻るのですから風当たりも強くなるでしょうし」

「だ、だからって、ダニーが行くことは……」

「俺以外に適任が?」


 問い返されて、キャロラインは閉口した。

 事情を知っているのは、ダニー以外にはキャロラインとオルフェウス、バーランド、そしてアイリーンとメイナード。この中で動けるのはダニーしかいない。それにダニーはグーデルベルグの生まれで、幼いころに生活していたこともあり、多少なりとも土地勘もあるだろう。だけど――


「で、でももし、もしもあんたがそのリアースの祟りとかいう病に感染したら……」

「そのときはそのときに考えます」

「ば、馬鹿じゃないの⁉」

「ええ。馬鹿でしょうね。でも、グーデルベルグには縁を切ったとはいえ父もいますから。他人ごとでもないもので」

「でも――」


 キャロラインがきゅっと唇をかむと、ダニーが目を細めて笑った。


「あなたがそれほどに狼狽えるのははじめて見ますね。まさか、俺のことを心配しているんですか?」

「あ、当たり前でしょ!」

「当り前ですか。そうですか……、少し、くすぐったいですね」


 ダニーは頬杖をついて、レースのカーテン越しに窓の外を見やった。


「グーデルベルグにはね、あまりいい思い出がないんですよ。父は優しかったけれど、ナタージャ侯爵家は居心地が悪かった。そのせいか、母とともに国も家も捨てたとき、それほど淋しいとは思いませんでした。父のことだけ心配でしたけど、そのうち違う人を妻に娶ってその人の間に子供が生まれるだろうと、幼いながらに漠然とそんなことを考えていた。グーデルベルグの俺の居場所はなくなって、それでいいのだろうと。ランバースに来て、母が死んで、父の顔をたまに思い出すことはあっても、懐かしむようなことはなかった、戻りたいとも思わなかった。けれども不思議なもので、疫病に国が飲まれるのではないかと思ったとき、悲しいと思いました。すでに父は俺のことなど忘れているかもしれないけれど、国にいる父が心配になりました。だから行くことにしたんです」

「だからって……」


 ダニーはゆっくりとキャロラインに視線を戻して、それから手を伸ばして彼女の頭をぽんっと撫でた。


「別に死にに行くつもりはありません。だから、そんな顔はしなくていいんですよ」


 いつも面倒くさそうなダニーの声が、いつになく優しくて――、キャロラインはこれ以上何も言えなくなった。

 ダニーに行くなと言う資格を、キャロラインは、持っていないから。

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