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「今日も来ていたの?」

「その言葉はそっくりそのままあなたにお返ししますよ」


 城の書庫で白いふわふわした頭を見つけたキャロラインがぱあっと顔を輝かせて近づいていくと、白いふわふわ――もとい、ダニーはあきれたような表情を浮かべて顔をあげた。

 ダニーはここのところ毎日のように城の書庫に通っている。メイナードが許可を出したから、彼が城の書庫へ出入りするのは自由ではあるが、昼すぎにやって来ては日が沈むまで、まるで何かに憑りつかれたかのように本を読んでいる。

 そしてキャロラインは、彼が毎日書庫に通い詰めていることを知って、彼が来ているであろう時間を狙っては会いに来るのだが、ダニーはいつも邪魔者が来たとばかりに迷惑そうな表情を浮かべるから少々傷つく。


 書庫の端の窓際の目立たない席がダニーのお気に入りで、その席にはたくさんの本がダニーの姿を隠すほど高く積まれていた。

 ダニーはキャロラインに声をかけられて顔をあげたが、すぐに話は終わったとばかりに本に視線を落とす。

 キャロラインは邪魔にならないように静かに席に近づくと、黙って彼の真向かいの椅子に腰を下ろした。


 持参したポットから紅茶を入れてそっとダニーのそばにおくと、無意識なのか、本に視線を落としたまま彼の手が伸びる。甘党のダニーは、紅茶に角砂糖を三つ。これが一番お気に召す味だということを、キャロラインはここ数日で学んでいた。

 薄いレースのカーテン越しに入り込む日差しと、小さく開いた窓から入り込む柔らかい風が心地いい。ダニーはキャロラインの相手なんてしてくれないから、本のページをめくる音とダニーがティーカップを触る音、時折漏れる彼の小さな独り言や息遣い――、それだけが静謐な書庫の中に小さく響く。

 キャロラインはダニーが書庫にいる間、何をするでもなくただこうして彼が本を読むさまを見つめてすごしていた。この空気が、好きだった。

 ダニーの手元の紅茶がなくなるとつぎ足して、今度は同じく持参してきたクッキーを二枚ほど受け皿の端に乗せてみた。するとこれもダニーが無造作に口に運ぶから嬉しくなる。


(……なんでわたし、こいつのことが好きなのかしらね)


 ぼーっとダニーを見つめながら、連日同じことを考える。

 キャロラインは今まで特定の恋人は作らなかった。作ったところで無意味だと知っていたからだ。だからどんな男性にも深入りはしなかったし、好きにもならなかった。三大公爵家であるジェネール公爵家の娘として、いつ何時、縁談が舞い込むかもしれないからだ。

 キャロラインは幼いころに婚約者を決められなかったけれど、彼女はそれが親の都合であることを知っていた。王家ともかかわりの深い三大公爵家の娘――、それは特に、今のような王女のいない代では王女のかわりで使われることがある。

 貴族の娘など、正直言って親の道具。それでも、まだ親に愛されているキャロラインはましなほうだ。アイリーンの父親ほど娘を溺愛しているようなタイプの父ではないが、それなりに気にかけてもらっていることを知っている。けれども、だからと言って、キャロラインの結婚にはキャロラインの意志は反映されない。

 他国の王侯貴族か、自国の都合のいい相手か。わからないけれども、そろそろだろうとも思っていた。それでいいとも思っていた。それならば、相手が決まるまで好きに遊ぶまでだ。羽目さえ外さなければ、親も兄もそれを黙認してくれている。――そう、思っていたのに。


 よりにもよって、好きになってしまった。しがない大学の研究職の、ぱっとしない男。エイダー卿の養子になったからと言って、子爵家の男がキャロラインの結婚相手に選ばれるはずもない。

 どうして、と思った。よりにもよって、どうしてこいつなのかと。でも、理由なんてわからない。最初はただ面白いだけだったのに――気がついたら、ダニーがそばにいると嬉しくなっていた。

 全然相手にされていないこともわかっている。万に一つの可能性で恋人になれたとしても、そこに未来がないことも知っている。

 はじめから無意味な恋。わかっているのに、キャロラインはダニーを目で追うことをやめられない。

 時折、アイリーンがひどく羨ましくなる。

 アイリーンは生まれてすぐにメイナードとの婚約を決められたが、あの二人は仲がよかった。そして、メイナードとの婚約を解消した今、彼女には選択肢がある。もしも――、もしも、だ。アイリーンの親がキャロラインの親であったならば、ダニーとの未来もあったかもしれない。


(お父様とお母様相手に、ダニーの話なんてできないわ)


 話したら最後、キャロラインは今後一切、ダニーに会うことはできなくなるだろう。

 それならばせめて、自由になる今の間だけ、そばにいたい。

 クッキーをまた二枚、カップの受け皿において、キャロラインがそっと目を伏せたとき、ふとページをめくるダニーの手が止まった。

 どうしたのだろうと顔をあげ、視線が絡んでドキリとした。


「ダリウス殿下の帰国が四日後に決まりました」

「え、ええ。そうらしいわね」


 突然どうしたのかしら――、キャロラインは内心で首を傾げる。ここ数日、書庫でダニーからキャロラインに話しかけてきたのはこれがはじめてだった。キャロラインが話題を降ったことに渋々答えることはあっても、自分から話しかけてはこないダニーが、なぜ今、そんなことを言い出したのだろう。

 疑問とともに、キャロラインの胸に小さな波紋が広がる。なんだか、嫌な予感がする。そう思いながら、話を聞いた。

 ダリウスの体調は回復し、異母兄であるフィリップとの話もついた。フィリップは堂々と国に帰ることはできないため、表向きはランバースからの留学生として姿と身分を偽ってダリウスとともに帰国することになっている。グーデルベルグへ帰国したのちは、とある貴族の邸で匿われることになっていたはずだ。

 ダニーはちらりとカップの受け皿の上のクッキーに視線を向けた。そしてふっと小さく笑って、それを手に取ると口に運ぶ。


「あなたの差し入れが食べられなくなるのは、少し残念ですね。いつも思っていましたが、このクッキーはとても美味しい」


 クッキーはジェネール公爵家の料理人特製だ。美味しいに決まっている。だが、キャロラインはいつもなら胸を張って答えるだろうその言葉を呼吸とともに呑み込んで目を見開いた。

 食べられなくなると言うのはどういうことだろう。キャロラインは、クッキーをもう持ってこないなどと言っていない。言っていないのに、どうして食べられないと決めつけるの? それはまるで――


「四日後、俺もグーデルベルグへ発ちます」


 キャロラインの周りから、すべての音が、消えた気がした。

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