21

「……さすがに聖獣が人になるなんて聞いたことがないです」


 ですよねー。


 呼び出されたダニーさんは、メイナードからわたしの膝の上を勝ち取った男の子をしげしげと見つめて、そう言った。


 オルフェウスお兄様もバーランド様も、わたしの膝の上に座る男の子を得体のしれないものを見るような目で見つめている。


 メイナードはというと、すっかり機嫌を損ねちゃって、意地でもわたしから離れようとしない男の子にじっとりとした視線を注いでいた。


「本人に訊いてみたらどうですか?」


 ダニーさんが真面目な顔でそう言うんだけど、しっぽを除いて、見るからに人の姿をしている男の子に「あなたはさっきまで小さな動物だった?」って訊くのはちょっと抵抗があるというか――


 いい大人が雁首揃えてなにを頓珍漢なこと言ってるんだ――って感じよね?


 でも、しっぽ……


 そう、この子が小虎なんじゃないかと思うのは、「人間」には絶対に生えていないはずのしっぽがこの子に生えているからで。


「……小虎?」


 小さな声で呼びかけてみると、男の子が顔をあげた。そして、ぱあっと花が咲くみたいに笑うのよ。……本当にかわいい。


 この子はどうやら言葉があまり堪能じゃないみたいで、「ばかおうじ」と言ったっきり、ほかには何も言わなかった。


「あなたは小虎ですか?」


 半信半疑なわたしと違って、ダニーさんが真剣な顔をして問いかける。


 男の子はにこにこ笑って、ダニーさんに小さな指を突きつけた。


「だにー」


 そして、次にバーランド様とオルフェウスお兄様を指さして「ばーらんど、おるふぇうす」って呼んだあと、その指をメイナードに向けて。


「ばか」


 ぴきっとメイナードの額に青筋が浮かぶのが見えて慌てたわたしを今度は指さして、


「あいりーん」


 って可愛らしく微笑んでくれるから、思わずぎゅーっと抱きしめちゃった。


 男の子は小さな手でぎゅーっとわたしを抱きしめ返した後、自分を指さして、言った。


「ことら」


 ……どうやらこの子は、本当に小虎らしいわよ。






「小虎ってば人になっちゃったの? かわいい!」


 ダニーさんを除くわたしたちが現実を受け止めきれずに茫然としていると、遅れてやってきたキャロラインが、小虎が人の姿になったと聞いて言った第一声がこれだった。


 キャロライン、あんたの適応能力ってすごいわ。わたしたちはまだ頭がついて行かないのに。


 ダニーさんは「聖獣は人の姿が取れるのか」ってつぶらな瞳をきらきらと輝かせている。


 なんなのかしら、ダニーさんといいキャロラインといい。どうしてそんなに簡単に受け入れられちゃうのよ。


「でも、この子が小虎として、どうしてこの姿になったんでしょう?」


 小虎がこの姿になる直前、小虎の体はまぶしいほどに光り輝いていた。そして気がついた時にはこの姿で――、そういえば、あの黒い人が吹き飛ばされたけど、あれは小虎がやったのかしら?


 わたしがダリウス王子の体から現れた黒い靄やそれが人の形になったことなども踏まえてその時の状況を説明すると、ダニーさんはそれをせっせとメモに取りながら言う。


「その時の状況に、小虎がこの姿になった原因があるかもしれませんね。その黒い靄から生まれた人のようなものは、アイリーン嬢に襲いかかったんですよね? 普段なら小虎は大きくなるはずなのに、そうはならずにこの姿になった――、できればその黒い靄や人らしきものを調べてみたいのですが」


 あれを調べたいの⁉


 ダニーさんって、変わっているとは思っていたけど、まさかあんな得体のしれないものまで調べたいと言い出すとは思わなかった。


「あの妙なものは消えてなくなったぞ」


「そうですか。それは残念ですね」


 ダニーさんってば本当に残念そうに肩を落としているわ。


「また現れてくれるといいのですが」


 ちょっと、とんでもないことを言わないで!


 あんなものにまた遭遇するなんて冗談じゃないわ。


「聞く限り、幽霊とか精霊とか、そんな類のもののように思えるな」


 オルフェウスお兄様がのんびりと言えば、バーランド様が眉を寄せた。


「悪いが僕は目に見えるものしか信じない」


「実際、殿下とアイリーンは見てるじゃねーか」


「だから、幽霊とか精霊の話だ。僕は生まれてこの方そんな得体のしれないものを見たことがない」


「小虎がいるんだから、いてもおかしくないだろう?」


「どうして同列に幽霊とか精霊がいるんだ」


「同じようなもんじゃねーの?」


 お兄様、精霊はまだともかくとして、聖獣と幽霊を同列にしちゃうのはちょっと……。


 でも、わたしも幽霊なんて見たことがないけれど、確かにあれは「悪霊」と言われた方がしっくりくるような気がするわ。


「あらお兄様、まだ幽霊が怖いの?」


 わたしの膝の上の子供版小虎(らしい)の頭を撫でていたキャロラインが、からからと笑いだした。


「怖くない!」


 すぐにバーランド様が真っ赤な顔をして大声をあげる。


「いや、怖いんだろ。お前、毎年開催する騎士団の度胸試しという名の肝試しは必ず欠席するもんな」


「怖くない! 剣で切れないものが苦手なだけだ‼」


 バーランド様、オルフェウスお兄様にまで言われてさらに真っ赤になっちゃった。


 でも知らなかったわ。騎士団の副長を務めているほどの強者であるバーランド様が、幽霊が苦手なんて。人は見かけによらないものねぇ。


「とにかく、その黒い靄が幽霊だとは限らないだろう!」


「俺もその仮説が一番しっくりきますが」


 ふとダニーさんが口を挟むと、バーランド様ってば今度は青くなっちゃった。


「城に幽霊が出たと⁉」


 あら、そこが重要箇所だったの?


 お城だろうとどこだろうと、幽霊という存在が本当にあるのならばどこにだってでるんじゃないかしら? 


 どうやらバーランド様は、自分の行動範囲に「幽霊」らしいものが出たということが気になるみたい。


 キャロラインが「情けないわねー」と言ってバーランド様を揶揄うから、バーランド様は口をへの字に曲げてしまった。


 なんだかバーランド様がかわいそうに思えてくるわ。


 メイナード、助け舟を出してあげないの?


 隣のメイナードに視線を向けると、肩を小刻みに揺らして笑っていた。


「ともかく、そのちっこいのが小虎で、黒い靄をまた発見したらダニーに教えるってことでいいのか?」


 オルフェウスお兄様は軽く言ってくれちゃうけど、あの黒い靄を見つけて悠長にダニーさんに報告しに行く暇なんてないから。


 怖かったのよ。ねー? 小虎。


 わたしの膝の上で、子供の姿をした小虎が眠たそうに目をこすっている。


 小虎がどうしてこの姿なのかはさておき、眠そうだから寝かせてあげようとした、そのときだった。


 小虎の体が淡く光り出して、わたしの膝の上で姿を変えていき――、あっという間にいつもの子犬サイズのふわもふ小虎の姿に変わっていた。


「「「………」」」


 わたしを含めて全員がわたしの膝の上の小虎を見て沈黙する。


 やがてメイナードがぼそりと、


「……本当に小虎だったな」


 ってつぶやいた。


 そうね。本当に小虎だったのね。小虎本人がそう言ったからそうなんだろうとは思ったけれど、実際目にすると衝撃が大きいわ。


 そのあとわたしたちは、もう少し黒い靄が表れたときのことや、小虎が子供の姿になったときのことを詳しく知りたいというダニーさんに説明をして、解散した。


 小虎を抱き上げて、内扉から王太子日の部屋に戻ったわたしは、思わず大きく息を吐く。


 怖かったし、疲れたし、小虎が子供の姿に変わってまだ驚いているし――、とにかくちょっと休みたい。


 小虎と一緒に少しだけ横になろうとベッドに向かったわたしは、小虎をベッドの上に下ろした後でぎくりとした。


 左の手首。教皇からもらった小さな緑色の石のついたブレスレットの石が――、赤くなっている。


 わたしはブレスレットにそっと触れて、その場に茫然と立ち尽くした。




 ―――その日の夕方、ダリウス王子は無事に目を覚ました。

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