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 いろいろ急なことがありすぎて、頭が軽く混乱しているわ。


 まず、ダニーさんだけど、お父様はグーデルベルグの侯爵様で、幼いころから城に出入りしていたため、王子殿下たちとは面識があったらしい。中でもフィリップ王子とは仲が良かったそうよ。


 余談だけど、昔は今みたいに髪の毛がふわふわしていなかったから、フィリップ王子も最初は気がつかなかったそうよ。


 そして、バーランド様が連れてきたフィリップ王子の探し人だった女性は――、女性ではなく男性だったらしいわ。


 女性にしては背が高めだけど、どこからどう見ても女の人の顔立ちをしているのに、実は男性だったと聞かされてわたしたちはまだショックから立ち直れない。


 化粧っ気はほとんどないから、もともと女性的な顔立ちをされているのかと思ったのだけれど、フィリップ王子が「気持ち悪い」と言って身なりを整えさせると、男性にしか見えなくなったから不思議だった。


 もともと男物のズボンとシャツを着ていたけれど、長い髪を一つに束ねて、おそらく立ち方を変えたのだと思うけれど、再び現れたときはがらりと雰囲気を変えていたの。


 マディアスさん曰く、一人で行動するのなら女のふりをしていた方が追手たちの目を騙せると思ったらしいわ。


 ちなみに――


「あーあ、気に入っていたのに、残念ネェ」


 この口調は、昔かららしい。


 何でも、マディアスさんの剣の師匠が女性の方で、子供のころに喋り方を真似していたからだと言うけれど、フィリップ王子は「ただの女装趣味なだけだ」と吐き捨てた。


 バーランド様はマディアスさんにキャロラインのドレスを着せたときのことを思い出して、軽く放心状態になってしまった。女性だと信じて疑わなかったようだけれど、思い出すとなかなかな破壊力だったそうよ。


 突然嵐のように降ってきた情報の数々に、わたしたちは少し冷静になる時間が必要で、いったんお茶を飲みながら落ち着くことにした。


 フィリップ王子はグーデルベルグの王子様。グーデルベルグからランバースまでは馬車で一か月半から二か月というところで、一国の王子が簡単に訪れることのできる距離ではない。


 ましてや、王族が他国に「お忍び」でやってくることはあり得ない。


 メイナードもバーランド様も、フィルの正体がグーデルベルグの第二王子フィリップ王子だと知って、さっきから表情が硬くなってしまった。


 オルフェウスお兄様は二人よりは落ち着いているみたいだけど、顔に薄い笑顔を張り付けているときのお兄様って頭で何を考えているのかは、妹のわたしのもわからない。たぶん、いろいろな可能性とこれからの対処法の選択肢などを考えているんでしょうけど。


 メインダイニングには妙な沈黙が落ちてしまって、紅茶に砂糖を入れてスプーンで混ぜる音さえも大きく響くようで、ちょっと居心地が悪いわ。


 お城で、マディアスさんはわたしに「探していた」と言った。


 そこから推測できることは、この二人は聖女をさがしてランバースに来たということだけど、小虎が二人を威嚇しないから、わたしに害をなそうとは考えていないはず。


 わたしを攫おうとか――そんなことを考えていないのだとしたら、この二人の目的はいったい何なのかしら?


「この国に何をしに来たんですか?」


 おそらくだけど、この場で一番冷静なのはダニーさんかもしれない。


 ダニーさんも驚いていたけれど、二人と面識があるせいか、わたしたちみたいな緊張はしていなくて、もともと大学で研究職にいるせいか性格なのかはわからないけれど、状況を冷静に分析するタイプのようだから、異様なほどに落ち着きを払って見えるわ。


 ダニーさんが問えば、フィリップ王子は部屋に荷物を取りに行って、一冊の本を持って来た。


 表紙は黒一色で題名も何もない不思議な本ね。


 ダイニングテーブルの上に本をおいたフィリップ王子は、ため息をついたのちに口を開いた。


「半年前からだ、国で妙な病が流行りはじめた。体に黒い斑点が広がり、やがて呼吸困難、発熱、嘔吐などの症状が表れて死に至るという原因不明の病だ。俺が知っている限り、発症者はほぼ確実に死に至っている。薬の開発を急いでいるが間に合わず、感染は王都を中心に徐々に広がりを見せている」


「……原因不明の病?」


 ダニーさんが眉を寄せた。


「その病とこの国に何の関係が? ――まさか、聖女にその病を癒せなどと血迷ったことを言うつもりはありませんよね」


 ダニーさんの発言にわたしはぎくりとしてしまった。


 目の前に患者さんがいれば、もちろんわたしも癒しの力を使って治してあげたいけれど――、癒しの力は無限じゃない。感染者全員を診ろと言われると、申し訳ないけれどもぞっとするわ。おそらく、感染者全員が助かるよりも、わたしが力尽きるのが先よ。


 メイナードもわたしと同じ考えを持ったのか、さりげなく隣に座るわたしの手を握りしめた。手を握りしめられた瞬間にドキリとしてしまったのは、メイナードの告白を思い出してしまったから。でも、ドキドキするけれど、安心もする。もしもフィリップ王子がダニーさんの言う通り聖女の力を望んだとしても、メイナードはわたしを渡さない。それがわかるから。


 フィリップ王子は黒い本をダニーさんに渡した。


「聖女に助けてもらいたいと言うのは間違っていない。だが、俺だって聖女の力が無限でないことはわかっている」


「ではなんだと?」


「……その本を開けばわかる」


 フィリップ王子に言われて、ダニーさんは黙って本を開いた。


 わたしも覗き込んだけど、そこに書いてある文字を見て読めないってわかっちゃった。何語かしら? 文字自体はランバースで使用している言語で大陸の公用語である言語と同じようにも見えるけれど、スペルも違うし、何が書かれているのか予想もつかない。


 メイナードもわたしの隣で本を覗き込んだけどお手上げみたいね。バーランド様も同じ。オルフェウスお兄様だけが眉を寄せた。


「古代リアース語じゃないか」


 古代リアース語? なにそれ。


 首をひねるわたしに、お兄様は苦笑した。


「千年以上前、グーデルベルグ国を中心に大陸のほとんどを支配していたリアース聖国は知っているよな?」


 それは知っているわ。


 存在だけだけどね。


「その国で使われていた言語だ。今では誰も使っていないだろう。読める人間もほとんどいないはずだ」


「お兄様は読めるの?」


「まさか。簡単な単語くらいしか知らない。……ダニーは読めるみたいだがな」


 お兄様、少し悔しそう。


 ダニーさんは静かに本に視線を落としてページをめくっている。さすが伝説の生物を研究しているだけあって古代語も堪能みたい。


 そのダニーさんの顔が、みるみるうちに曇って、数ページを読み進めたところで手を止めた。


「……これと一緒だと?」


「俺はそう考える」


 ダニーさんとフィリップ王子の間では会話が成立しているみたい。


 わたしが思わずマディアスさんを見れば、彼は肩をすくめて見せた。彼も詳しくは知らないみたいね。


 ダニーさんは本をおき、嘆息した後でわたしたちに言った。


「グーデルベルグで流行している病は千年前に大陸を襲った疫病『リアースの祟り』のようですね」


 ――リアースの祟り?


 わたしたちは思わず顔を見合わせて、一様に首をひねった。

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