18
「まったくしつこいわね!」
彼女は一つに束ねた長い黒髪をなびかせて走っていた。
人通りの多い大路地を抜けて、貴族たちの邸宅がある閑静な住宅街へ。
追いかけてくる男たちの足音はなく、今まで追い払ってきた追ってと違い、専門の訓練を積んだ手練れだとすぐにわかる。
ぼろぼろになった外套が、彼女が走るたびにマントのように広がる。
いつも昼間は身を隠し、夜に行動していたが――、運悪く見つかってしまったのは、追ってを見くびっていた自分の失態だ。
じっとりと暑い残暑のせいで、額や背中の汗が滝のようになるのはあっという間だった。
張り付く服や髪にイライラしながら、追ってを撒こうと入り組んだ路地を選んで進んでいく。
しかし、身を隠すには彼女の背は高すぎて、作戦がうまくいきそうにないことは明白だった。
外套の下。背中に背負っている長い剣が走るたびにガチャガチャと音を立てる。
彼女は舌打ちして、走って逃げることを諦めた。
このまま走り続けていても体力ばかりが奪われるだけだ。
彼女は大きく飛び上がり、目の前の高い塀に登ると、ちらりと背後を振り返った。
(五、六……八人ってところね)
雑魚相手ならいざ知らず、手練れを八人相手にするのは骨が折れるかもしれない。
かつてないほどの焦りを覚えつつ、彼女が塀を下りると、そこは広大な庭を有する、どこかの貴族の大きな邸だった。
短く刈られた芝が広がり、計算された配置に木や石像、四阿に噴水などが並んでいる。
あちこちに整えられた灌木はあるが、身を隠すには向かなそうだ。
日の高い昼間に庭で暴れたら、すぐに邸の住人がやってくるだろう。だが、別の場所に移動している時間はどうやらなさそうだった。
彼女は諦めて、汚れた外套を脱ぎ捨てると、背中に背負っていた剣を下ろして刀身を抜いた。
あとのことは、あとで考えよう。
今はこれからやって来るであろう八人の追手の相手をすることが先決だ。
祈るのは、騒ぎを聞きつけた邸の住人が、彼らを蹴散らす前にやってこないこと。相手が相当な手練れたちのため、他人を気遣っている余裕はないからだ。
彼女は大きく深呼吸をして、ピンと張った一本の糸のような緊張を持って剣を構えた。
小虎のあとを追ってバーランドは庭に降りた。
庭に出るなり小虎はその姿を大きく変えて、裏庭の方へと一目散に駆けていく。
大きくなった小虎のスピードは恐ろしく早く、バーランドはすぐにその姿を見失ってしまったが、突如響きはじめた剣戟の音に息を呑んだ。
自宅へ帰っていたとはいえ、アイリーンの護衛も兼ねていたため、バーランドは帯剣していた。彼はいつでも剣が抜けるように片手を剣の鞘に添えて、裏庭に急ぐ。
そこには長い黒髪を高いところで束ねた背の高い女と、複数の男たちがいた。
男の内の二人は血を流して芝生の上に倒れ、残り六人の男が女に剣を向けている。
バーランドが迷ったのは一瞬だった。
どちらに加勢すればいいのか、それは小虎が教えてくれたからだ。
小虎は女に加勢するように男たちに飛びかかり、大きな前足で一人を地面にたたきつけた。
小虎はきっと大丈夫だろう。
バーランドはすぐさま剣を抜くと、女の方へ走り寄った。
女が一瞬、驚いたようにバーランドを見上げたが、バーランドが襲ってきた男の剣を受け止めたのを見て味方だと判断したらしい。
女は剣を構え直すと、近くの男に切りかかった。
相当な手練れだというのはその剣さばきですぐにわかる。
女を守ろうとすると逆に彼女の邪魔になると判断して、バーランドは剣を合わせた目の前の男に集中することにした。
剣戟が続く。
一瞬の隙をついてバーランドは男の懐へと入り込み男を切り伏せた。
そして――、残りの男の相手をしようと首を巡らせて、あっけにとられてしまった。
「小虎……、もしかしなくても、僕の加勢入らなかったかな?」
残っていた四人の男は、小虎によってすべて倒されていた。少しばかり男たちを憐れに思ってしまったのは、小虎の容赦のなさだろう。鋭い爪で引き裂かれ、噛みつかれた男たちは血だらけでピクリとも動かなかった。
女が倒した男を含めて、八人の男が我が家の自慢の芝生の上に倒れているのを、バーランドは苦い思いで見下ろす。血に汚れた芝を掃除するのは大変だろう。
(母上から厭味を言われそうだ……)
バーランドは一瞬遠い目をしそうになったが、首を横に振ると、返り血で服や頬を赤く染めた女に向きなおった。
丈の長いシャツに黒いズボンという男のような格好をした背の高い女だ。髪と同じ色の、長いまつ毛に縁どられたアーモンド形の瞳の、エキゾチックな印象を与える美人である。年は二十代半ばほどだろうか?
「ええと、思わず加勢しちゃったけど、一体どういうことなのか説明してくれるかな?」
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