8

 想定していなかった来客が訪れたのは、翌日のことだった。


 教皇ユーグラシル様が会いに来るって連絡を受けて、わたしは目を丸くしたわ。


 それはメイナードにも知らされて、意地でも同席するって騒いでいたけれど、ユーグラシル様はわたしと個人的に会いたいと言ってメイナードを退けた。


 うーん。教皇様がわたしと個人的に会いたいってどういうことかしら?


 ユーグラシル様のことはもちろん知っている。


 ダークグレーの髪と同じ色の瞳の歴代最年少の教皇は美しく優しそうな顔立ちをしていて、教皇に就任されたときは令嬢たち話題を独占した。


 大きな行事には顔を出されるから、お会いしたことも何度もあるけど――、個人的に会いに来られるほど、親しくしていた覚えはないのよね。


 少し話があるだけだと言うからサロンは使わずに王太子妃の部屋でお会いすることにして部屋で待っていると、ユーグラシル様は約束の時間ぴったりにお一人でやってきた。


 いつもきっちりした服を着られているけど、今日のいでたちは、白シャツにグレーのトラウザースというラフなものだった。


「久しぶりだね」


 ユーグラシル様はにこやかに微笑んでソファに腰を下ろした。


 ユーグラシル様にお会いするのは、聖女に選ばれたあとの儀式以来よ。


「お久しぶりでございます猊下」


 侍女たちがお茶を入れて下がると、ユーグラシル様が優雅な所作でティーカップを口に運ぶ。さすがサイフォス家の出身だけあって洗練されているわ。


 教皇は前の教皇が他界されたあとで選挙によって決まるのだけれど、すべての教会関係者から選ばれるわけではないの。サイフォス家とクローサイト家の二家から選ばれる、いわば世襲制のようなものなのよね。詳しくは知らないんだけど、この二家は数百年前に王家から分家した家で、それまで教皇は王族がついていたらしいわ。


 サイフォス家もクローサイト家も爵位を持っていないのだけれど、家格的には公爵家に匹敵する。領地は持っていないけれどもとても大きなお邸を王都に構えていらっしゃるのよね。


「最近変わったことはないか?」


「とくには……」


 変わったことと言えば小虎が来たことくらいだけど、メイナードがもしも「変わったことはないか」と訊かれても「ない」と答えておけと言っていたから、わたしは首を横に振った。


 ユーグラシル様はまるで何かを見透かしたかのような目でじっとわたしを見つめてくるから、背中に嫌な汗をかいちゃうわ。この方の目って昔からちょっと苦手よ。


「グーデルベルグから王子が来るらしいな」


「そうみたいですね」


 グーデルベルグ国はリアース教を異教としているため、歓迎のパーティーに教皇以下、教会関係者が出席することはない。教会関係者も、リアース教を異端とするグーデルベルグにいい印象を持っていないから、彼らに近寄ろうとはしないだろう。


「あまりその王子には近づかない方がいい」


「え?」


「できれば距離を取るように」


「それはどういう……?」


 きょとんとするわたしに、ユーグラシル様は困ったように笑う。


「……私が言えることはこのくらいだ。できれば君にはこちら側に来てほしかったが、そうも行くまい。星は動いた」


 意味がわからないわ。


 ユーグラシル様はよくわからないことを言うことがあるのよね。聖女に選ばれた日にお会いしたときも、一言「君の星のめぐりは奇異なものだな」って言われたの。よくわからなかったから「はあ」とだけ答えておいたけど。


「何か困ったことがあれば訊ねてくるといい」


 ユーグラシル様はそう言って紅茶を飲み干すと席を立つ。


 去り際に、思い出したようにシャツの胸ポケットから緑の石のついた華奢なブレスレットを取り出した。


「これを君に。もしその石が赤く変わることがあれば、気をつけることだ」


 はい?


 差し出されたから受け取っちゃったけど、ますます意味不明よ。


 緑の石が赤く変わるなんて、日差しのもとで色を変えるアレキサンドライトのようにも思えるけれど、口ぶりからしてどうも違うみたいだし。


 ユーグラシル様は詳しく説明するつもりがないみたいで、さっさと部屋を出て行っちゃった。


「……やっぱりあの方、苦手だわ」


 このブレスレット、どうしようかしら。


 わたしは手の中のブレスレットを見つめて、息をついた。

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