5

「アイリーンの家に男が居候している⁉」


 昨日は教皇のせいでアイリーンの家に行く暇のなかったメイナードは、驚くほどの早さで仕事を片付けると、意気揚々とコンラード家に向かおうとして――、馬車に乗り込む替えにバーランドから聞かされた情報に目を剥いた。


「どういうことだ!」


「知らない。僕は、オルフェが昨日拾って帰ったってことくらいしか聞いていないからな」


「拾った? ……オルフェのやつ、余計なことを」


 メイナードは忌々しそうに舌打ちをする。


 コンラード家に向かったところで門前払いを食らって中に入れてもらえないメイナードは、アイリーンと一つ屋根の下に自分以外の男がいるというだけで許せない。


「で? どんな男だ!」


「だから、知らないって」


「オルフェのやつはどこ行った!」


「今日は休むって言っていただろう?」


 メイナードはキッとバーランドを睨みつけた。


「お前も来い!」


「一応訊こう。……理由は?」


「お前がいれば門前払いされないかもしれない!」


「言っていて情けなくならないのか、王子殿下」


 バーランドはこんなのが次期国王なのかと額をおさえてため息をついた。






 メイナードが来たとマーカスに呼ばれてわたしはサロンに向かった。


 お父様の命令でいつも門番に追い返されているのに珍しいこともあるものね――、と首をひねりながらサロンの扉を開けたわたしは、そこにバーランド様と、それから妙なメガネを帽子と口ひげをつけている男を見つけて半眼になった。


「何してるんですか殿下」


「どうしてわかった!」


 わかるわ!


 頭痛を覚えて頭をおさえるわたしのあとから部屋に入ってきたオルフェウスお兄様が、変装したメイナードの格好を見てプッと吹き出した。


「暑さで頭やられたのか殿下!」


 メイナードはむっと口をとがらせて、帽子と眼鏡、それからつけ髭を取り払う。


「バーランドが変装して行けば入れてもらえると言ったんだ」


「言ってない!」


「言ったじゃないか! そんなに家に入れてもらいたければ変装でもして行けと」


「……もう少し冗談とか厭味とかを勉強してくれないかな殿下」


 まあ、それでメイナードが変装をはじめた時点で止めなかったバーランド様も同罪ね。


 というか、変装にもなってなかったけど。眼鏡と帽子と口髭って、どういう発想でそうなったのかしらね?


 さすがの門番もとうとう殿下の頭がおかしくなったと思って邸に入れたのかしら。そうなのであれば、ある意味、その作戦は成功しているのかしらね。


 メイナードは気を取り直したようにピンク色のコスモスの花束を手渡してきた。


「城の庭に咲いていたんだ」


「ありがとうございます。我が家のはまだ咲かないんですよ」


 セルマにコスモスをわたして部屋に生けてもらうように伝えてから、わたしはソファに腰を下ろした。


 メイナードがそわそわと視線を彷徨わせるから「小虎ならダイニングにいますよ」と告げるとあからさまにホッとした顔になる。一度、大きくなった小虎に頭からかじりつかれたメイナードは軽いトラウマになっているみたいよ。


「アイリーン、元気だったか?」


「はい、おかげさまで」


 メイナードが元気なのは毎日毎日凝りもせずに我が家を訊ねてくるから知っていたけどね。実際にこうして顔を合わせるのは一か月ぶり。


 この一か月の間に王妃様からお茶会の誘いとかを受けていたんだけど、王妃様ってば、わたしの顔を見るたびに「ウエディングドレスの採寸」とか言い出すから、何かと理由をつけて断っていた。


「んで、殿下はいったい何の用事で?」


 お兄様が口を挟むと、メイナードはじろりとお兄様を睨む。


「理由がないと来てはいけないのか!」


「そりゃそうだろ。殿下とうちの妹はもう『無関係』だからな」


「だからもう一度――」


「そりゃ都合がよすぎるってもんだろ」


「お前、冷たくないか⁉」


「あー、はいはい。殿下、喧嘩するために来たわけじゃないだろう?」


 オルフェウスお兄様とメイナードが口喧嘩をはじめかけると、バーランド様が疲れたように止めに入る。


「オルフェが男を拾ったって聞いて、殿下は『心配』して来たんだよ。アイリーンは聖女だから、得体のしれないものをそばにおくわけにはいかない。だよな、殿下?」


「あ、ああ。その、オルフェが拾ってきたと言う男だけが、怪しい男ではないんだろうな?」


「本人曰く研究者らしいぞ。小虎が懐いているから大丈夫だろ」


「……小虎が懐いているのか」


 メイナードがムッとした顔になる。どうして自分は噛みつかれるのに新参者の居候が懐かれるんだと言いたそうね。


「ああ、懐いてる。それに、汚れを落としたらなかなかいい男だったぞ」


 お兄様がニヤニヤと笑う。


 お風呂に入って髭を剃ったフィルさんは、確かに貴公子然とした美青年だった。くすんでいたと思われた金髪はただ単に汚れていただけで、洗うと見違えるみたいにキラキラしていたし、一瞬別人かと思っちゃったくらいよ。


 でも、どうしてここでフィルさんの容姿が話題に上るのかしら。怪しい男と容姿って関係するの?


 わたしが不思議に思っていると、はーっとため息をついたバーランド様がメイナードを肘でつついた。


「殿下、もう一つ用事があっただろう?」


 もう一つ用事?


 メイナードは拗ねたような顔でお兄様を睨みつけていたけど、ハッとしたようにわたしに目を向ける。


「そうだった。来週、グーデルベルグ国から第三王子が外交で来られるらしくてね、歓迎のダンスパーティーを開くから、アイリーン、私のパートナーとして出席してくれないか?」

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