2
ばしゃんと水が跳ねる。
庭の噴水に勢いよく飛び込んだ小虎が、小さな体を左右に揺すりながら浅い噴水の中を泳いでいた。
「あー! また! 小虎、いけませんよ!」
その様子を見つけたセルマが目を吊り上げるが、小虎はどこ吹く風。
庭の
もうすぐ秋とはいえ、まだまだ暑いものねー。噴水に飛び込みたくなる気持ち、とってもよくわかるわ小虎。わたしも許されるなら飛び込みたいもの。
セルマはなんとかして小虎を噴水から出そうとするんだけど、小虎は追いかけるセルマに遊んでもらっていると勘違いしているのか、楽しそうにバシャバシャと跳ねまわるから、セルマのお仕着せの紺色のワンピースがびちゃびちゃになっているわ。
「ああしてみると、無邪気な子犬か子猫にしか見えないけどねぇ」
お母様がしみじみとつぶやく。
そうなのよね。白に黒の縞模様の入ったふわっふわの毛並みの小虎は、なんと聖獣と呼ばれるすごい生き物らしいんだけど、ああして遊んでいる姿を見るととてもじゃないけど、そんなありがたい存在には見えないわ。
でも、小虎が聖獣でわたし――聖女を守る存在なのは間違いないみたいで、これまで、護衛とかいろいろ大変だから自由に外出できなかったわたしは、小虎のおかげで好きに出かけられるようになった。
癒しの力も増したし、本当、小虎さまさまよ。
なぜか小虎に敵認識されて噛みつかれるメイナードは面白くないみたいだけど。
「そう言えば、バニーはいつ来るの?」
「バニーじゃなくてダニーよお母様」
お母様もキャロラインも、ダニーさんのことを「バニー」に改名させようとでもしているのかしら?
いつまでたっても名前を憶えないこの二人に、ダニーさんは最近諦め気味。「ダニーです」っていう突っ込みも二回に一回くらいに減って――、たまにその横顔に哀愁を感じちゃって可哀そうになってくる。
ダニーさんは王立大学で生物学の研究をしていて、実はその中でも伝説の生き物を個人的に研究しているんですって。小虎が聖獣と気がついたのも彼なの。
そのダニーさんだけど、小虎の様子を見に、たまに我がコンラード家に顔を出す。彼をわたしの婚約者候補にするつもりだったエイダー卿は小躍りしているみたいだけど、残念ながらわたしにもダニーさんにもそんなつもりは毛頭ない。彼は純粋に小虎に興味があるだけだし、浮かれているのはエイダー卿だけだと思うんだけど、それを正さないのかと訊いたところ、ダニーさんってば「面倒だから放っておきましょう」って。……相手はダニーさんの義父なんだけど、なかなか扱いがひどいわね。
「ダニーさんなら明日の昼に来るって言っていたわよ」
「あらあら、楽しみね。今度はどうしようかしら」
キラキラと瞳を輝かせて言うお母様は、なんとかしてダニーさんのふっわふわな髪に触りたいらしい。あの手この手で触ろうとするんだけど、今のところ一回も成功していない。この前は、「あらー、ドレスの裾を踏んでしまったわー!」ってわざとらしく叫んだお母様がダニーさんに抱きついて髪に触ろうとしたんだけど――、それよりも早くに、邸にいたお父様に抱き留められてチッて舌打ちしていたわ。
ダニーさんも、まさか侯爵夫人が自分の髪を触りたくて奮闘しているなんて想像もしていないから、お母様の奇行に驚いているのよね。
「があぅ」
セルマから逃れてきた全身びちゃびちゃの小虎がわたしの足元までやってきた。
わたしがセルマからタオルを受け取って小虎を拭くと、気持ちよさそうにごろごろと喉を鳴らすの。かぁわいい!
「お嬢様、小虎を甘やかしすぎですよ」
小虎を追いかけて疲れたセルマが文句を言うけど、セルマが隠れて小虎におやつをあげているの、知っているのよ?
我が家の住人は、このもっふもふでころころしている可愛い生き物に夢中なのです。
「そう言えば、今日、殿下が来ないわねぇ」
濡れた体を拭き終わると、小虎が庭を走り回る。それを眺めながら、お母様がのんびりと言った。
そうね。確かに今日、メイナードの姿を見ていない。
メイナードはお父様の逆鱗に触れちゃったから、我が家を訊ねて来てもいつも門前払いなんだけど――、懲りずに毎日のように来るのよね。だから逆に、来ないと何かあったのかしらって心配になっちゃうわ。
オルフェウスお兄様がお城から戻ってきたらそれとなく様子を訊いてみましょう――って思った矢先、ガラガラと馬車の車輪の音が聞こえてきて邸の前で止まった。「ただいまー」って声をあげながら門扉をくぐったのはオルフェウスお兄様よ。
「お帰りなさいお兄様、早か――」
わたしは言葉を途中で止めると、目を丸くした。
お兄様のうしろから、使用人さんたちに抱えられて来たのは、背の高い男の人。
「あらあら、その方どうなさったの?」
お母様もびっくりしているみたいだけど、お兄様はけろっと。
「拾った」
……お兄様、犬や猫じゃないのよ?
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