第98話 ゴブリンテイマー、驚愕する
「こんな所に入っちゃっていいんですか?」
「かまいません。シャリス様自らが指定なされましたので」
そう答えたのはシャリス姫様の専属侍女であるルットと名乗った女性だ。
彼女から庭で僕を呼び出したのはシャリスだと聞かされ、エルダネスと共に人目を避けてたどり着いた場所。
そこはシャリス本人の部屋であった。
町で会った時の彼女からは想像出来ない煌びやかな装飾に塗れたその部屋は、なんだか彼女には似合ってないように思えて。
僕は「本当にここがシャリスの部屋なのか? 全然似合わない気が――」と、つい呟いてしまう。
それを聞いたのだろう、それまで仏頂面だったルットが吹き出し笑い出した。
「ぷっ……くくくっ……」
「あっ、聞こえちゃいました?」
「い、いえ……。失礼しました。そういえばレスト様は素の姫様をご存じなのですね」
あ、やっぱりあっちが素だったのか。
王城前で客人を出迎えていた姫様らしいシャリスは、仮面を被ったシャリスだったのだろう。
「私は知ってたけどね。この部屋の装飾も、本人はあまり好きじゃ無いって言ってたね」
エルダネスはさっそく高そうな椅子に座ると、テーブルに肘をつきながらそう言った。
物怖じしないというかなんというか。
あの旧図書館の館長というのは王族に符丁する必要がない立場だというのもあるのだろうけど。
「それで、僕たちはどうしてシャリス姫様に呼ばれたのですか?」
「さぁ、私からはなんとも。それは姫様ご本人からお聞き下さいませ」
ルットはあくまでシャリスの使いでしかないと言いたいらしい。
「私はオマケだけど、居て良いのかい?」
エルダネスがいつの間に持って来たのか水差しから美しいガラスのコップに水を注ぎながら言う。
「はい。最初はエルダネス様に相談するおつもりだったらしいのですが、もうお帰りになったと聞きまして」
「じゃあ僕の方こそオマケというかエルダネスさんの代わりってこと?」
「それは――どうでしょうね」
ルットは小さく笑う。
だがすぐに仏頂面に戻り「それでは私はシャリス様に報告して参りますので、しばしお待ちください」と言い残し部屋を出て行った。
「はぁ……」
「どうしたんだい?」
「まさかお姫様の部屋に入ることになるなんて思わなくて」
僕の言葉が面白かったのか、エルダネスは小さく笑う。
「あはは。それは確かにそうだろうね。私も話には聞いていたけど実際に来たのは始めてだよ」
「そうなんですか」
「当たり前じゃ無いか」
いつも王城に出入りし、王とすら普通に話しが出来る立場のエルダネスなら、シャリスに引っ張られて部屋を見たことくらいあるだろうと思っていた。
僕が意味を理解出来なくて居ると、彼は僅かに声を潜め真面目な顔で言った。
「いいかい。嫁入り前の姫様の部屋に男が入ったなんて知れたら――……即打ち首だよ?」
「えええっ……むぐっ」
僕は叫び掛けた自分の口を両手で押さえ込んでしゃがみ込むと、声が漏れないように必死に我慢する。
そして驚きが少し落ち着くのを待ってエルダネスを涙目で見上げた。
「そういうことはここに来る前に教えてくださいよ」
「だってそんなこと普通は言わなくてもわかるよね?」
確かにそうだ。
どうやら僕は町でシャリスと行動を共にして、普通に過ごしたせいですっかり感覚が麻痺していたに違いない。
「あははっ、大丈夫だよ。この部屋には既に軽い防音の魔法が掛かってるから、声は外には漏れないさ」
「防音の魔法……ですか?」
「ちょっと前にね、机の上に魔方陣を画いておいたんだ」
僕はゆっくりと立ち上がると、エルダネスの前の机の上を見た。
そこにはたしかに小さな魔方陣が水を使って描かれていて。
「だから安心して驚いても良いよ」
エルダネスはそう言って手にしたコップから水を喉に流し込んだ。
「魔方陣って始めて見ました。こんな水で画いたものでも効果があるんですね」
「まぁね。普通だとすぐに形が崩れちゃうけど、これは一応魔法で固定してあるし」
「魔法で固定ですか」
「そう。私は四大属性を操ることができるから」
さらりとそう言い除けるエルダネス。
だけど僕はその言葉の意味に気がつくと、先ほどと同じくらい驚きの声を上げかけた。
「ぞ、属性魔法って一人一種類じゃないんですか?」
ルーリさんとギルマスの授業では、世界を構成する要素を扱う四大属性である『火・風・土・水』の魔法は、一人一種類しか扱うことが出来ないはずだ。
理由はまだ完全に解明されて葉居ないが、それぞれの属性同士が互いを打ち消す性質があるからだとか、色々な説があるらしい。
「そういえば君には教えてなかったね。といっても私の【ユニークスキル】を知ってるのはごく僅かだけど」
エルダネスはそう言って笑うと、椅子から立ち上がって両手を広げた。
「でもまぁ、君のユニークスキルは教えて貰ったわけだし。私も教えないと不公平だよね」
その言葉を口にすると同時に、部屋の中を照らしていた燭台から炎だけが浮き上がるとエルダネスの手のひらの上に浮かぶ。
「これが火魔法」
そして今度は反対側の手のひらの上に、机の上の水差しからこぶし大の水が飛び出し玉になって浮かんだ。
「これが水。あと風は目ではわかりにくいよね」
僕の顔を、窓も開いていないのに風が撫でていく。
「今、風が」
「それが風魔法。あと土だけど、勝手に姫様の部屋に土を持ち込んじゃ怒られるからまた今度にしよう」
エルダネスはそう言うと、両手の上の炎と水の玉を元の燭台と水差しに戻してから椅子に座り直す。
「どうだい? 信じてくれたかな?」
「はい……本当に四大属性全部使えるんですね」
「ああ、使える。ただし――」
エルダネスは顔の前で両手を組み、思わせぶりな表情を浮かべて――
「火も水も土も風も造り出すことは出来ないんだけどね」
そう自嘲気味に笑ったのだった。
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