第2章

~2020 March~

201 初めて春が染まりゆく

 

 春特有の温かい突風が颯爽と過ぎ去っていく。

 まだ少し肌寒い穏やかな河川敷に、ひらひらと花びらが舞う。


 何かが始まりそうな。何かが起こりそうな。

 そんな根拠のない予感に胸を躍らせ、物語の始まりを期待してしまいそうなこの季節。


「はぁ……学校行きたくねえ……」


 俺はそんな予感や期待を、微塵も抱くことが出来ずに寝転んでいた。



 視界の下で流れていく川の水は、見ていて飽きない。

 千葉の郊外は、良く言えばとても心安らぐ風景で、俺は両腕を枕にしながら、ひたすら時間が過ぎるのを待っていた。

 何故か。

 それは、俺が『登校してからホームルームまでのあの微妙な時間』が大嫌いだから、だ。


 あの時間は友達がいない人間には手厳しい。

 ましてや今日から新学期だ。一年の頃、部活もやっていなかった俺にとって、クラス外の知り合いは皆無だ。つまり、喋る相手などいないのである。


「まぁ仕方ないか……」

「何が仕方ないの?」

「うわっ!!」

 

 刹那、視界が少女の顔によって埋められる。いきなり知らない子に顔を覗き込まれて、驚かない訳がない。

 加えて距離がものすごく近いうえに、ものすごく可愛い顔立ちをしている。喩えるならば太陽のような──否、登場の仕方や雰囲気も含めて、彼女はまさに春の突風のような子だった。


「君、同じ学校だよね? 何年生?」

 

 いや近い近い。初対面の異性の裾をそんなに引っ張るな。彼女の制服を見たら、同じ生徒だということはすぐ分かる。まあここ学校の目と鼻の先だしな。


「一年……いや今日から二年か」

「おお! やっぱり同い年! 初日からサボりは駄目だよ君!」

「え、いやちゃんと行くつもりだったんだが……」

「じゃあこんなとこで何してたの?」

「別に……なんでもない」

 

 友達がいないから教室に早く着きたくなくて、とは口が裂けても言えない。特に、こんな明るくて友達が多そうで、陽気な奴には。



 ────中学は色んな奴がいるからな。今は少しばかり窮屈かもしれんが、高校に入ったらお前も、気が合う奴らにきっと出逢えるさ。


 

 これは中三の担任に言われた言葉だ。

 俺が大人ぶっていたのか、本当に周りが幼かったのかは知らないが、とにかく当時はクラスの雰囲気についていけなかった。傍から見れば、浮いていたように見えたんだろう。


 だから先生にそう言われたとき、俺は少し救われた気でいたんだ。

 頭のいい高校に行けば、その“気が合う奴ら”とやらに出逢えると期待したから。


 実際、確かに高校生活最初の数か月は上手くいった。いじめも悪口も圧倒的に少ない教室は居心地が良くて、クラスメイトも皆優しかったように思う。


 ────それなのに、俺は壁を作ってしまった。

 

「どしたの? 一緒に行こう?」


 桃色のセーターが似合う彼女は、未だ寝転がる俺に手を差し伸べる。

 例えばこれだ。こうして善意を向けられる時、俺はその人の腹の内を否が応でも考えてしまう。

 俺は知っている。こういうタイプの人間は誰にでも優しいが、結局優しい自分を作り上げたいだけなのだ。手を差し伸べたいのではなく、手を差し伸べる自分が好きなのだ。

 ……でなければ、こんな見ず知らずの他人に優しくするメリットはない。

 

「いや、いい。俺一人で行きたいし」


 そんな優しい自分が好きなタイプの人間には、こうして一言俺の意思をぶつければあっさり引いてくれるものだ。だって、これ以上は優しさの強要でしかないからな。


「え、なんで一緒に行こうよ!」

「はっ?」

「どうせ同じ学校でしょ? 私が今人と歩きたい気分なんだから付き合って!」

「はああああ?」


 な、なんなんだこいつ。ただのわがまま娘じゃないか。

 ウチの高校の人間は、少なからず見かけくらいは善意の顔してるぞ? ……まあだからこそ、その裏が見え透いてしまってキツイんだが。


「ほら、早く行こ!」


 彼女の腕力はやはりというか男勝りで、思い切り身体が持ち上げられる。

 だが、ここはキッパリ断らねば。腕を振り払うと、彼女が不思議そうに振り返る。


「俺、あまり人と話すの好きじゃないんだ」

「なんで? どして?」

「去年のクラスでそういうの嫌になったんだ」

「いいじゃん。別に」

「え?」


「今日から新学期だよ? 新しく始めるチャンスじゃん!」


 そう言って彼女は屈託のない笑みを浮かべた。風に浚われた桜の花びらが、彼女の周りを浮遊して彩っている。

 彼女は綺麗だった。その景色に一瞬見惚れてしまうほど。


「な、なんで俺なんだよ。友達とかいるだろ他に」

「もうごちゃごちゃうるさい! 今日は一人で歩きたい気分だったの!」

「さっきと言ってること違うんだが」

「君を見かけたら気分が変わったの! 悪い!?」

「えぇ……」


 俺は基本的に論理的に考える人間だ。人間の感情も結局、ロジカルに考えればある程度は分かるものだ。だが、俺は疲れていたんだろうな。

 人が人に優しくする理屈とか、人が人と一緒にいる理由とか、そういうことに。


 はっきり言って、彼女が何を考えてるかさっぱり分からない。

 だが。だからこそ。


 彼女の言うすべてが、彼女のすべてだなんて気がしたんだ。



「ああーーー!!」

「え、なになに」


 彼女が急に大声を上げて我に返る。

 危ない危ない。見た目に騙されてうっかり惚れそうになっていた。


「やばいよ君! 時間!」

「え!?」


 彼女が見せてきたスマホの時刻は、8:25を指していた。ホームルームまであと五分だ。

 俺は自転車を飛ばせば間に合うが……彼女は徒歩通学のようなのでかなり厳しい。


「私に提案がある! 後ろに乗って!」

「は!?」


 そう言い終えるころには彼女は俺の自転車に跨っていた。

 しまった、鍵はかけてなかった。


「ていうか二人乗りは違反じゃ」

 と言いつつ、俺も勢いに流され荷台に座り込む。

「大丈夫! 校門ギリギリで降ろすから!」

「降ろすって誰を!?」

「いっくよ~~~!」


 二人乗りというのは、青春物語ではよくお見掛けするが、実はかなりの筋力がいる。

 高校生二人を乗せるともなれば太ももへの負荷は半端ではない。


「うぉら~~!!」


 だが、彼女のパワーはやはり並の女子高生のものではなかった。

 ぐんぐん加速して爽やかな風を切っていくものだから、自分の心もなんだか吹っ切れてしまったみたいだ。

 拒絶するのもこいつが何を考えてるか考えるのも面倒になった。


一瀬いちのせ こう……」

「え?」

「名前。まだ名乗ってなかっただろ」

「それもそうだった! こーきね! よろしく!」


 彼女はスカートを靡かせながら、前を向いたまま大声で応える。

 本当に青春物語の一ページのようだな、と他人事のように思った。



「私の名前は、はるさき ももか!! 冬生まれだけどね!」


 

 何かが始まりそうな。何かが起こりそうな。

 そんな根拠のない予感に胸を躍らせ、物語の始まりを期待してしまいそうなこの季節。



 ────俺は、彼女に出逢ったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る