7.ABS再び

 すでに陽が沈み、夜を迎えた。

 クロガネ探偵事務所にて、機巧探偵たちが夕飯の支度をしていると呼び鈴が鳴る。

「帰って来たのでしょうか?」

 猫のロゴが入ったエプロン姿の美優が、玄関の方を見やる。

「かもな」

 包丁をまな板の上に置いて、クロガネが玄関に向かうと、


 ――バタンッ。


「――新倉永八かと思った? 残念、僕だよっ」

「帰れ」

 海堂真奈と同じ大学病院に勤めている外科医にして〈デルタゼロ/ドールメーカー〉が操るアンドロイド端末の一つ、出嶋仁志でじまひとしが現れたので即刻退場を促す。

「――いきなり帰れはないんじゃないかい?」

 ドアを閉めながら出嶋が憮然とする。

「何しに来たんだ?」

「――あ、美味しそうだね。一つ貰って良い?」

「聞けよ。そしてもう食ってるし……」

 揚げたばかりの唐揚げに舌鼓を打つ出嶋を、クロガネは呆れた目で見据える。

 突然、出嶋がキッチンに現れたことで、美優は若干引いていた。

「ていうかお前、食べれるのか?」

「――誰が美優の義体を造ったと思っているんだい?」

 逆に問われて納得する。

 ガイノイドでありながら人間と同様に飲食できる美優の義体を開発したのは、他ならぬデルタゼロである。彼の端末である出嶋にも、彼女と同じ機能が搭載されていても不思議ではない。しかも、味覚ですら疑似的に再現しているという徹底ぶりは、もはやこだわりを通り越して変態の領域である。

「それで、本当に何しに来たんだ? 今月分の支払いなら、先週済ませただろ」

 美優を一瞥してクロガネはそう言った。

 彼女を助手としてスカウトした際、その新型義体の莫大な開発費を請求され、毎月少しずつ支払っているのだ。

 ちなみに、請求額の桁が半端ないため、未だに全額支払い切れていない。

「――まぁ、微々たる金額だけどね。今回お邪魔したのは、その支払いをお手伝いする話を持ってきたのだよ」

 つまり、獅子堂からの仕事を持って来たらしい。当然、今すぐには片付かない厄介事である。

「断る。明日は大事な用事があるんだ」

「――いいや、今回の仕事は断れないよ」

 思わせ振りな出嶋の発言に、クロガネは目を鋭くする。

「……新倉か」

「――その通り。まぁ、彼の帰りが遅いから気付くのも当然だよね」

 クロガネは思考を高速で回転させ、一つの仮説を組み立てる。

「カーム化成……その裏で暗躍していた【黄昏】の対処に、新倉を招集したと?」

 出嶋が驚いた表情を作る。

「――まさか、すでに下調べを済ませていたとは恐れ入った」

「たまたまだよ」

 内心、清水刑事に感謝しておく。

「――なら話は早い。大至急、新倉とナディアの加勢に向かってくれないか?」

「ナディアも居るのか? あの二人が居るなら俺は必要ないだろ」

 それぞれ剣と狙撃の達人だ。遠近の戦力バランスが理想的に噛み合っているため、あの二人が後れを取るなど、まず考えられない。

「――人手不足で、どうにも旗色が悪いんだ。報酬は弾むよ」

「その報酬も、お前に六割取られるがな」

「――美優の代金に充てる契約なんだから、仕方ないだろ」

 正直なところ、超優秀な助手を後腐れなく迎え入れるための金は欲しいが、それと同じくらい〈アルファゼロ/アサシンかつての自分〉に戻る気もないのだ。

 だがしかし。

「……仕方がない。美優、戸締まりは任せた」

 溜息をつき、エプロンを外す。

「行くのですか?」美優の問いに頷く。

「行きたくないけど、新倉の身に何かあったら俺達が困る。さっさと片付けて連れ帰るさ」

 美優は冷蔵庫から、栄養ゼリーを内包したパウチ容器を一つ取り出してクロガネに手渡す。

「ありがとう」

 空腹のままでの仕事は、少しキツイと思っていたのだ。この気配りは助かる。

「どうかご無事で、お早いお帰りを」

 凛と背筋を伸ばして一礼し、主を送り出す。

「――表にウニモグを停めてある。君用の装備もあるから、準備しておこう。唐揚げ、ご馳走様でした」

 出嶋は足早に事務所を出た。クロガネも続き、その後を美優が付いて来る。

「朝までに戻らなかったら、一人で学園に向かってくれ。現地で合流しよう」

「考えたくもありませんが、合流が遅くなる場合はどうします?」

「何とか場を繋いでくれ」

「無理難題は、私の役かぐや姫が出すものでしょうに」

 困ったように笑う美優に、サムズアップを送る。

「お前なら・きっとやれると・信じてる」

「なぜ五七五?」

 首を傾げる美優を置いて、クロガネは事務所の外で待機していたウニモグに乗り込んだ。



 ***


 港に程近い倉庫街は、戦場と化していた。

 白人、黒人、アジア系と、国際色豊かな黒服たちが拳銃やサブマシンガンを乱射し、貨物コンテナの陰に隠れた新倉を釘付けにする。

 新倉の後方で、ナディアがライフルを構えた。サブマシンガンの敵を優先的に狙い、肩と膝を撃ち抜く。その近くに居た他の黒服たちも、急所を外して狙撃する。

 ナディアの援護によって敵の弾幕が薄れ、更には弾切れでリロードする間隙かんげきを突いた新倉は、コンテナから飛び出して一気に間合いを詰めた。

 驚いた黒服たちが銃口を向けて引き金を引くよりも早く、高周波ブレードを振るう。

 手にしていた銃が綺麗に切断され、返す刀で手足の腱を切り裂かれた黒服たちは悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちた。

 刀が届かない位置から新倉を撃とうとした敵は、ナディアによって無力化される。

 新倉が切り込んで注意を引き付け、その隙にナディアが狙撃位置を変えて援護し、新倉が切り込む。その繰り返しだ。

 見事な連携と技量で、黒服たちを圧倒している――が。

「……まだ居るのか」

 再び大量の弾幕に晒され、新倉は物陰に隠れてやり過ごす。

 彼の技量なら銃弾を斬り払うことも不可能ではない。だが単発ならばともかく、こうも連射されては剣の達人といえど、一瞬で蜂の巣だ。新倉はサイボーグではなく、生身の人間なのだから。

『エイハチ、コッチの弾がもうすぐ切れそうダ!』

 インカム型の無線機に、ナディアから悪い知らせが飛んでくる。

「ああ、そろそろだと思っていた」

 そうやり取りする二人の声には、僅かばかりの焦りと疲れが見え隠れしていた。

 敵の数が想定よりも多い。いくら百戦錬磨のゼロナンバーといえど、たった二人ではどうしても数的不利は否めなかった。戦闘が始まってまだ一時間も経過していないにも拘わらず、消耗が激しい。

『大体、どうして殺しちゃダメなんだヨッ!? 一人につきヘッドショット一発なら弾も節約できるだロッ!?』

「知るか。俺だって首を一太刀で刎ねれば、無駄な体力を使わなくて済むんだ。文句は後ろに居るインテリに言え」

 多勢に無勢の上、【黄昏】の情報を引き出すため「絶対に敵を殺すな」という指示が、二人の消耗に拍車を掛けていた。

『――あー、あー、聞こえているかい?』

 後ろに控えているインテリ――デルタゼロから通信が入る。

「何だ? ここでまた縛り要素を追加するなら切るぞ」

『――通信を?』

「お前だ」

 即答。

 優秀だが目的のためならば仲間ですら徹底的に利用する〈デルタゼロ/ドールメーカー〉は、身内からひどく嫌われている。

『――ひどいな、せっかく助っ人を連れて来たのに』

「助っ人だと?」

 他の現場に居たゼロナンバーを連れて来たのだろうか?

『! エイハチ、正面十二時ッ!』

 ナディアの声と、敵の悲鳴が重なる。

 見れば、黒服たちの背後から何者かが突然現れ、次々と薙ぎ倒しているのだ。

 その男は、ほぼゼロ距離まで接近して敵の射線を左手で逸らしつつ、右手の拳銃で頭を撃ち抜くと、すぐに別の敵の懐に潜り込み、腕関節を極めて盾にした。同士討ちを恐れた敵が動きを止めた瞬間、次々と撃ち倒して周囲を一掃し、盾にしていた敵にもトドメを刺す。

 一連の動きに無駄がない、その合理的な戦い方に、二人は覚えがあった。

「まさか……」

『クロッ!』

 新倉が僅かに驚愕し、ナディアが嬉しそうな声を上げる。


 かつて、〈アルファゼロ/アサシン〉と呼ばれていた元ゼロナンバー、クロガネこと黒沢鉄哉が参戦した。



 ***


「――今回の任務は殲滅戦……だけど、【黄昏】の情報を聞き出すため、敵は出来るだけ殺さずに無力化してほしい」

 移動中の車内で、いつかの防弾スーツに着替えたクロガネは、栄養ゼリーを胃に流し込みつつ、出嶋と作戦会議ブリーフィングを行っていた。

「――というわけで、君の装備はこれだ」

 出嶋が開けたガンケースの中には、世界的ベストセラーのオーストリア製自動拳銃――グロック17をベースにしたカスタムモデルがあった。銃口に取り付けられた肉叩きを連想させるストライクフェイスが、特に目を引く。

「……キンバーじゃないのか」

 不満そうに呟くクロガネ。彼は過酷な環境下でも信頼性が高い45口径ガバメント・クローンを愛用していた。

「――なにぶん、敵の数が多いからね。グロックの九ミリを選んだのだよ」

 口径九ミリの拳銃は、45口径の倍以上の弾丸を装填できるのだ。

「――今では民間も防弾装備が進化・普及しているため、九ミリは威力不足と言われがちだけど、至近距離で頭を狙えば大した問題はない」

近接戦闘CQB仕様なのは、そのためか」

 弾倉を抜き、スライドを引いて弾丸が装填されていないことを確認すると、クロガネはグロックを構えて空撃ちする。動作良好、整備が行き届いた良い銃だ。

「――勿論、弾丸は非殺傷性のゴム弾だ。それと、これも持っていってくれ」

 見覚えのあるイタリア製セミオートショットガンを手渡される。

「ベネリM4……オートマタも居るのか?」

 以前使ったものは、狭い屋内でも取り回しやすい銃身と銃床を切り詰めたソウドオフ仕様だったが、今回はノーマルだ。

「――確認は出来てないけど、万一の時の保険さ。あと十分ほどで到着するから、準備は抜かりなく頼むよ」

「……ああ、さっさと片付けて帰らせて貰う」

 クロガネは頷き、グロックの弾倉にゴム弾を詰め始めた。


 ***


 両肘を大きく畳んで間合いを詰め、手にしたグロック17で正面の敵の頭を撃ち抜く。昏倒した一人目を左側に突き飛ばし、そちら側に居た敵の射線を妨害しつつ瞬時にグロックを左手に持ち替え、右側に居た二人目に発砲。

 再び銃を右手に持ち替えて振り返り、三人目を仕留めたところで弾切れになる。

 リロードの猶予を与えまいと、銃口を向けてきた最寄りの敵の手を取り、射線を強引に外した直後、銃声と共に放たれた実弾はあらぬ方向に飛び去っていった。

 そのまま手首関節を捻り上げて背後に回りつつ拳銃を奪うと、

 ドン! ドン! ごすっ!

 両膝の裏を容赦なく撃ち抜き、後頭部をグリップで殴り付ける。

 そのまま奪った拳銃で周囲の敵に連射。仲間を盾にされて攻撃を躊躇っていた黒服たちの胸や腹に実弾が命中する。

 勿論、防弾チョッキを着込んでいることは織り込み済みだ。拳銃弾程度では貫通こそしないものの、着弾の衝撃と激痛に怯んだ隙を突いてグロックの弾倉を交換しつつ接近し、至近距離で頭を撃ち抜く。発射したゴム弾と同じ数だけ相手を昏倒させる。

『流石だな。知ってはいたが、腕は落ちていない』

 多機能眼鏡のフレームに仕込んだ骨伝導式無線を介して、新倉がそう称賛する。

 彼は高周波ブレードで敵の銃を切断し、手足を浅く斬り裂いて無力化していた。

「そっちこそ。相変わらず剣が冴えている、知っていたがな」

 お互いこの一ヶ月、伊達に舞台の稽古をしていたわけではない。

『クロ、久しぶリ! 元気だっタ? ワタシは元気ダ!』

 通信機越しにナディアの声が聞こえる。

 ライフルを構えた少女が嬉しそうに声を弾ませて敵の肩や手足を容赦なく撃ち抜いていく光景は、シュールを通り越して怖いものを感じる。

「……ナディアも息災で何より。それで状況は?」

『二人とも健在だが、ナディアが弾切れ間近。そして俺は飯抜きで空腹だ』

 差し入れを持参しとけばよかった。

「つまり、まだ余裕なんだな?」

 苦笑しつつ、クロガネはかつての戦友たちを鼓舞する。

「図らずもABS復活だな、一気に片付けよう!」

『『了解!』』


 クロガネの参戦によって、二方向から挟撃された黒服たちはたちまち総崩れとなり、それから五分と掛からず全滅した。

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