4.辻斬りと青春

 日曜日の早朝から、クロガネ探偵事務所に馴染みのある刑事が訪ねて来た。

「ふぁ……調査依頼?」

 寝癖頭にラフな格好をしたクロガネは、欠伸まじりに訊き返す。

「ああ、休みのところ悪いが……殺人事件の、な」

「へぇ、中々どうして……探偵っぽい依頼が来たんじゃないの」

「いや、探偵だろお前。偽物だったのか?」

 鋼和市中央警察署の刑事課に所属する清水は、呆れた声を上げる。

 ちなみに、クロガネの助手である美優はソファーに膝を抱えて座り、どこか真剣な表情で魔法少女もののテレビアニメを観ていた。探偵事務所は基本的に日曜は定休日であるため、美優も清水と挨拶を交わした後は自分の時間を過ごしている。メリハリは大事だ。

「で、どんな内容なんだ?」

「カーム化成の件だ」

 清水がそう言うと、

「……ああ、それか」

 途端にやる気をなくすクロガネ。

「急にどうした? とりあえず、話を聞け」

 事件の概要は連日の報道とほぼ同じ内容だったので軽く聞き流していると、清水は懐から現場写真の束を取り出した。

 アナログとはいえ、本来ならば持ち出し厳禁の捜査資料だろう。指紋が付かないよう、クロガネは手袋を着けてから写真を受け取る。

「……朝っぱらから食欲が失せる被写体だな」

 ――見るも無残な殺害現場を捉えた写真ばかりだ。

 中高年の男性九人が椅子に寄り掛かり、あるいはテーブルに突っ伏した状態で絶命していた。喉元を深々と刃物で切られ、ぱっくりと開いた傷口から大量の血液が流れ落ち、被害者の服を真っ赤に染めている。

 被害者全員が椅子に座った状態ということは、抵抗も逃げ出すことも叶わず、一方的に瞬殺されたに他ならない。

 現場の中央に設置された会議用の細長いテーブル。その上に跳び乗った犯人は一直線に駆け抜けてテーブルの両脇に着いていた八人を斬殺し、最奥の席にいた社長の眉間を刺し貫いたようだ。最後が刺殺なのは、逃走のことも考えて返り血を浴びたくなかったからだろう。

「……プロの犯行だな。それも相当な手練れだ」

 速く、鋭く、一切の無駄が感じられない。

「鑑識によると、被害者の傷口から、凶器は少なくとも刃渡り六〇センチ以上、幅二センチほどの鋭利な刃物が使われたらしい」

「ナイフ……いや、刀みたいな?」

「その通りだ。しかも、社長の刺し傷を見るに、片刃の直刀に近い形状だ」

 直刀とは、その名の通り刀身に反りがなく、最速最短の『刺突』に特化した刀である。

「ん? この写真は?」

 殺害現場となったカーム化成の会議室とは全く異なる部屋が写された写真を見て、清水に訊ねる。

「ああ、現場から程近いビジネスホテルの一室だ。そこで容疑者と見られる男の死体が発見された」

 写真にはスーツ姿の男が仕込み杖を両手で持ち、自身の頸動脈を切り、ベッドの上で息絶えていた。ベッドの傍には、凶器の運搬に使われたであろう細長い筒状の黒いケース……アジャスターケースが転がっている。

「凶器は本当に直刀……見た感じ、仕込み杖か?」

「鑑識の結果、傷口から被害者たちの殺害に使われたものとほぼ一致した。容疑者は自殺ということで、書類送検が決まったよ」

 事実上、カーム化成殺人事件は解決したことになる。

 クロガネは写真の束を返しつつ訊ねた。

「動機の解明とかはあるだろうが、俺達が調べるようなことはないんじゃないのか?」

「少し、気になることがあってな」

 清水曰く、今回の殺人事件には違和感があるという。

 自殺したと見られる容疑者の男の名は、田中タケル(無職・三一歳)。

 覚醒剤取締法違反の常習犯であり、現在仮出所中。

 カーム化成に勤めていた経歴もなく、どこで社員証を手に入れたのか不明。

 凶器の入手経路も不明。

 そもそもチェックが厳しいカーム化成のセキュリティを、どう突破したのか不明。

 被害者たちが犯罪組織に武器の部品や技術を提供していたことを裏付ける証拠をまとめていた経緯も不明。

 また、被害者たちとの間に関係性もなく、殺害の動機が一切不明。

「捜査本部は、悪事が明るみになった被害者たちが関与していた犯罪組織の調査にシフトしちまってな。ここまで謎が多い容疑者に関しては、完全にスルーなんだよ」

 それで一匹狼の清水が、独自調査を続けているとのことだ。

「身元は割れてるし、薬物の常習犯なんだろ? しかも本人はすでに死亡しているのであれば、詳しく調べる必要もないだろ」

「気になることがあるんだ。容疑者の田中は身代わりで、実行犯は別に居たんじゃないかって」

 それを聞いたクロガネの目が、僅かに鋭くなる。

「それは、刑事の勘ってやつか?」

「そんなところだ。お前は、薬物でラリッた素人が、たった一人で大企業の幹部たちの悪事を暴いて、潜入に必要な社員証とセキュリティチェックを突破する凶器を用意して、一瞬で九人全員を惨殺するのは可能だと思うか?」

 顎に手を添え、クロガネはしばし考え込む。

「……かなり難しいが、可能性はゼロではないと思う」

 実のところ不可能に近いが、あえてそう答えた。

「とにかく調べてみる価値はある。今回の事件の裏で暗躍している存在が仮に居たとしたら、そのまま放置も出来ない」

「本当に調べるのか? 仮に黒幕が居たとして、そいつが薬物中毒者を替え玉にしてカーム化成の悪事を暴きつつ、悪党どもを始末したようなものだろ? 社会のゴミばかりが消えて良いこと尽くめじゃないか」

 一連の流れを整理しつつ、クロガネはそう言った。調査に気乗りしない様子だ。

「だが殺しは殺しだ。その黒幕が犯罪者ならば、見過ごせない」

「……清水さんは、警察官の鑑だな」

 クロガネは机の引き出しから、青と緑一組の旧世代携帯端末を取り出した。

 ガラパゴス携帯電話――通称・ガラケーだ。

「出来る範囲で調べてみる。安全のため、今回はコイツで連絡を取り合おう」

 ガラケーは相互通信機能が必要最低限のものしかなく、ネット回線を多用する現代の通信端末に比べ、ウィルスやハッキングにも強いのだ。

「PIDのセキュリティは、かなり高い筈なんだがな……」

「念には念をだ」

 清水は青いガラケーと専用の充電器一式を手に取る。

「依頼を達成したら、すぐに返してくれ。それが難しい場合は、破棄してくれ」

「良いのか? ガラケーは今じゃ入手困難な代物だろ?」

「予期せぬトラブルを回避できるのであれば、むしろ安上がりだ」

 清水はガラケーの電源を入れてみる。いつでも使える状態にしてあるのか、バッテリーは満充電されてあった。

「単独行動は目立つだろうから、清水さんは捜査本部に合流してくれ。あとは俺たちで調べておく」

「解った。それじゃあ、よろしく頼む」

 きびすを返した清水を、クロガネが呼び止める。

「ちなみに、今回の報酬はこのガラケー一組分の使用料金で。万一、壊した・壊れた場合は別料金で弁償して貰うから、そのつもりで」

「……ちゃっかりしてんな」

 清水は苦笑し、今度こそ探偵事務所を後にした。



「ん……っと」

 観ていたアニメが終わったのか、清水が立ち去ったタイミングで美優は伸びをする。その仕草が妙に人間臭い。

「終わったのか?」

「はい、中々面白かったです」どこか満足そうに微笑む美優。

「へぇ、どんな内容だったんだ?」

 何の気なしに訊ねてみる。

「中学生くらいの魔法少女と二十代くらいの魔女がコンビを組んで、悪の組織と戦うという王道バトルアニメです」

 詳しくはないが、魔法少女のアニメで、世代が異なるキャラクターのバディものとは珍しい気がする。

「ネットの掲示板によると、魔法少女が魔法で敵を動けなくして、魔女が鎖付き鉄球モーニングスターで叩き潰す必殺技が大きなお子様に大人気です」

「純粋な子供の夢まで叩き潰しそうなヒドイ必殺技だな、おい」

 エグイ物理兵器を使ってないで、魔法で戦え。

「必殺技を喰らった敵は赤いモザイクが掛かった塊となって消滅した後、普段はクールな魔女が実に爽やかな笑顔で汗と返り血を拭う場面がギャップ萌えを誘い、ドМな豚共に特に人気です」

「ああ、そう……」

 この国と美優の将来に一抹の不安を抱いたクロガネは、そのアニメの視聴をやめさせるべきか真剣に悩んでいると。


「黒沢、皿洗い終わったぞ」 


 台所から新倉が現れた。


 文化研究部の依頼を受けてから一ヶ月の休暇を貰ったらしく、その間クロガネ探偵事務所に泊まり込んでいるのだ。

「ああ、ご苦労様。あとは昼までに風呂とトイレを掃除しておいて」

「心得た」

 無論、タダで住まわせてやる程お人好しではないため、滞在中は雑用を任せている。

「ところで、隣から一部始終聞いていたが、あの刑事はカーム化成の実行犯を追っているのか?」

「ああ。ていうか、それお前だろ?」

「いかにも」

 新倉の肯定に、やはりと肩を竦めるクロガネ。

「……嗅ぎ回れるのは面倒だな。今から消してこようか」

 物騒なことを口走る新倉。

 彼をはじめ、鋼和市の実質的支配者である獅子堂家を影から守るゼロナンバーは、市が保有する最先端のテクノロジーの漏洩や軍事利用を未然に防ぐため、暗殺や破壊工作を実行する特殊部隊だ。故に彼らの個人情報は完全に抹消されており、『存在しない者ゼロナンバー』を暴く行為自体が禁忌である。

「やめてくれ。清水さんは優秀な刑事で、ビジネスパートナーとしての価値があるんだ。死なすには惜しい」

 弱小探偵であるクロガネにとって、警察関係者という貴重な協力者を失うのは死活問題になりかねない。

「とりあえず、警察全体の方へ戻るように誘導したし、そのうち清水さんも獅子堂案件だと気付くだろう。お前を追うようなこともやめるよう、後で俺から言っておく」

「そうか」

 渋々といった感じだが、新倉は引き下がった。

「念のため、他のゼロナンバーにも清水さんには手を出さないよう伝えてくれ」

「ああ、デルタゼロに伝えておけば問題ないだろう」

 市内のあちこちに存在する複数の機械人形オートマタを〈デルタゼロ/ドールメーカー〉は同時制御している。一括連絡網ばりに、情報が他のゼロナンバーにも共有されるだろうから妥当な判断だ。

「それはそうと……美優殿、お隣よろしいか?」

「どうぞ」

 美優がソファーの半分を空けると、そこに新倉が座る。

「もうすぐ、『マスクド辻斬つじぎり』が始まる時間だ」

 思わず耳を疑うクロガネ。その表情は心底驚いていた。

「……お前が特撮ものを嗜むとは、意外だった」

「幕末京都を舞台に妖怪狩りをするヒーローものでな。背後の時代設定や剣術考証もしっかりされていて興味深い」

「あ、やっぱいつもの剣術バカだった」

 何となく安心する。

「刀の扱い方が間違っている時は、即刻テレビ局に苦情を入れている」

「やめろよ。子供たちの夢を作っている方々に迷惑だ」

「先人たちが築き上げてきた技術を正しく伝えない方が失礼だろう」

「見映えを重視して多少の脚色やアレンジを加えているからだろ」

「見得を切るにしても、状況やタイミングによっては納得できないものがある。残心はしっかりするべきだ」

 割とどうでもいい口論をしていると、『マスクド辻斬』が始まった。オープニングテーマが三味線でロックとは、中々に粋である。

「だからって、そんな細かいことでクレームは――あっぶねッ⁉」

 突然飛来してきたスローイングナイフを、咄嗟に避ける。

「始まったから静かにしててくれ」

 視線はテレビに固定したまま、クロガネの方に伸ばしていた腕を下ろす新倉。

「静かにって、流石に『死人に口なし』はないだろ……」

 避けなければナイフは眉間に突き刺さっていた。冗談ではない。

「クロガネさん」

 冷や汗を掻いていると、小声で美優がPIDを片手に近寄ってきた。

「どうした?」クロガネも小声で返す。

「今、絵里香さんからメールが着て、これから文化研究部のみんなで衣装の材料を買いに行かないかと誘われました」

「へぇ、良いんじゃないか。暗くなる前には帰っておいで」

「はいっ」

 嬉しそうな表情で、支度をしに自室へ向かう美優。

「さて」

 引き締めた表情で、本物の辻斬りに視線を向けるクロガネ。

 僅かな殺気に反応した新倉と、目が合う。

「風呂とトイレ掃除は免除してやる。ついでに、ナイフを投げてきたことも不問にしてやるよ」

「……要求はなんだ?」

 新倉の問いに、クロガネは不敵な笑みを浮かべた。



「それでその新倉って人に、美優ちゃんの護衛を任せたと?」


 美優と新倉が外出して間もなく、クロガネの友人で担当医でもある海堂真奈がやって来た。

「本当は俺が付いて行きたかったけど、流石に疲れがピークでな」

「過保護」

 事情を訊いた真奈は呆れつつ、クロガネの背後に回って肩をマッサージしている。

 よく遊びに来ては食事をたかることが多い真奈だが、担当医らしく定期的にクロガネの健康状態と義手の確認をしているのだ。

「なんかもう、全身バッキバキじゃない?」

「新倉との稽古がキツいんだよ……得物が訓練用とはいえ、向こうは完全に殺す気で来るから」

 触診で全身の筋肉が凝り固まっていることを指摘する真奈に、げんなりと答える。

 それだけ演劇の練習が(特にクロガネだけ)凄まじいのだ。連日、全身筋肉痛と疲労に悩まされ、日曜日が探偵事務所も部活も完全休日であることが救いだった。

「少し手加減して貰ったら?」

「あれでも俺の師匠筋の一人だ。手加減なんてしないぞ」

 ゼロナンバー時代、近接戦の心得と技術を師事していただけに、新倉が妥協しないプロフェッショナルであることは熟知していた。現に、習得した技術は今も役立っているため、新倉にはむしろ感謝と尊敬の念を抱いているくらいである。

「まぁ、無理はしないように。マッサージなら、いつでもサービスしてあげるわ」

「ありがとう、助かるよ」

 ぐっと、クロガネには見えない位置で拳を握る真奈。

 この場に美優が居たら「マッサージなら私がやりますっ」と抗議していただろう。

 一方でクロガネは、真奈の言葉の裏にある意味を理解どころか察してすらいない。

「それで、美優ちゃんは最近どんな感じ? ちゃんと学園生活を送れてる?」

「今のところ、問題なさそうだ。さっきも友達と出掛けることを楽しんでいる様子だった」

「それは何より」

「……少し、美優が羨ましい」

 ぽつりと本音をこぼすクロガネ。

「それはどういう意味?」

 まるで珍しいものを見たかのように真奈は訊ねる。普段から滅多に己の内を見せない男だけに、意外な発言だった。

「どうもこうも、俺は一度も学校教育を受けていないから、学校生活というものがよく解らないんだ」

「嘘でしょ」

 真奈は驚くも、同時に納得もしていた。

 クロガネは幼少時代、とある事件に巻き込まれて家族全員と記憶を失い、獅子堂に引き取られた以降は特殊な環境下で育ったと本人から聞いている。当然、その『特殊な環境』に世間一般的な教育など含まれていなかったのだろう。

「一応、高卒認定試験には合格してるけどな」

「それじゃあ鉄哉は、学生時代の青春すら知らないのね」

「青春ってアレだ、甲子園みたいなものだろ?」

「大体合ってるような、それだけじゃないような……」

 クロガネの偏見に、真奈も曖昧に答える。上手く伝えるのが難しい。

 青春とはある意味、当事者だけが知り得る哲学的なものなのかもしれない。

「最近は、美優が学校での出来事を話してくれるのが楽しみでな」

「……ちょっとオヤジ臭いわよ」真奈のその一言に、

「えっ、嘘、マジで?」と、慌てふためく。

「まだ加齢臭ただよう歳じゃないぞ」

「そっちじゃないわよ」

 目に見えて狼狽するクロガネの姿が可笑しく、真奈は思わず笑ってしまった。

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