最初で最後の再開
夢の大切な日日は閉じられました。今はもう、全ての想いが終われたような、そんな穏やかな寝顔をしています。
「みんなに電話したよ。先生もちょっと遅れて来るわ」
部屋に戻ってきたケンシはオッカにそう伝え、夢が眠るベッドの隣に腰を下ろしました。そして夢の寝顔に目をやると、いつものように微笑み掛けました。ケンシの頬で光る涙の跡は乾くことなく綺麗に輝き続けています。そして夢の寝顔を見つめるオッカも流れる涙を拭いません。本当に頑張って生きた夢を側で見つめてきたみんなの心には、涙よりも、悲しみよりも、感謝の気持ちや褒めてあげたい気持ちで一杯でした。
「会えたよな」
ケンシは夢の寝顔を見つめながら、ぽつりとそう言いました。するとオッカは頬笑み、「そうさ」と頷きました。
「うん。そやんな。頑張って生きたんやから、幸せになれるやんな」
ケンシは寂しさと喜びの混じる笑みを浮かべながら、想いを込めてそう言いました。そんなケンシの繊細な優しさに触れたオッカは大きな笑顔を見せると「ああ」と頷き、今度は確信を込めて言いました。
「当然さ」
するとケンシはスッと立ち上がり、部屋の隅にあるデスクの所へ行きました。そしてデスクトップパソコンをスリープ状態から解除すると、音楽制作ソフトを起動させました。
「夢をな、イメージして曲作ってん。みんな来ると恥ずかしいし今ちょっと流していい?」
「へぇ、どんな曲だい?」
オッカがそう言ってケンシの方へ振り向いた、その時でした。まるで遠足に行く日の朝の子供ように、横になっていた夢がバサッと上半身を起こしたのです。そしてそのまま勢いよく立ち上がった夢は、とっても素敵な笑顔を浮かべました。笑顔の夢は天使の羽のような眩い光子を纏っていて、キラキラ輝く光を零しながらふわりと大きな一歩でオッカの前へ行きました。
「完成したけど、流すんはもうこれで最後」
ケンシは再生ボタンをクリックしました。
「そうかい。夢だけに贈る歌なのかい? あたしが聞いてもいいのかい?」
ちょこんと膝を付いた夢はオッカをふわりと抱き締め、それと同時に音楽が流れ始めました。
「うん。恥ずかしいけど、オッカ? オッカ?」
ケンシが振り向くと、少し前まで普通に話していたオッカは動かないまま、開いた瞳からぽろぽろと涙を流していました。
オッカの胸の奥に、温かな気持ちが広がりました。
夢は抱き締めていた腕をそっと離し、ふわりと立ち上がりました。そして目の前で立ち尽くすケンシの右手をそっと握り締めました。
「え?」
突然込み上げた想いがケンシの瞳から溢れ、ぽろぽろと頬を伝いました。
ケンシの胸の奥に、温かな気持ちが広がりました。
夢はそのままケンシの横を通り過ぎると、そっと握っていた手を離しました。そして夢はケンシとオッカに向かって、大きく大きく手を振りました。
またね!
夢は玄関をスッと通ると、道の上を羽のように軽やかに走り出しました
そこから続く淡いレンガの道の上を、コツコツコツと夢が走ります
お気に入りのこの道は、丘の頂上へは少し遠回り
きっと誰も知らない細く曲がった道を、コツコツコツと音を鳴らして駆け抜けます
パッと視界が広がると、そこはオレンジ通りの真ん中です
夢は突然立ち止まり、通りの先に目をやりました。でも、通りにはまだ誰もいません。夢は腰の後ろで両手を組んで背伸びして、まるで親の帰りを待つ子のようにニコニコと微笑み、通りの先を見つめました。そしてそのまま少しすると、通りの先に小さな影が現れました。夢は笑みをパッと咲かせ、ふわりふわりと跳ね出しました。喜ぶ夢の瞳に映るのは、ゴトゴトッゴトゴトッ、音を立ててやって来る一台の軽トラックでした。夢は両手を空高く上げ、大きく大きく振りました。そしてトラックが夢の前を通り過ぎる瞬間、羽のように広がった光子がケンジとハツエに触れました。瞳を閉じて堪えていたハツエの頬に、ぽろぽろと涙が流れました。
ハツエの胸の奥に、温かな気持ちが広がりました。
「なんだろね、今、夢が会いに来てくれたような気がするよ」
ハツエは照れながら微笑むと、袖で涙を拭いました。
「あいつならやりかねんな」
意地悪っぽく笑うケンシの頬にもぽろぽろと、そして光の跡が生まれました。
ケンジの胸の奥に、温かな気持ちが広がりました。
夢は通り過ぎたトラックの後ろ姿に向かって、大きく大きく手を振りました。
またね!
夢は今来た細い道にもう一度入ると、また走り出しました
淡いレンガの道をコツコツコツ、途中からは違う道をタッタッタッ
角を曲がると現れた少し広めの石畳をタッタッタッ、タッタッタッ
夢は突然走る速度を緩め、前からやって来た自転車の荷台へふわりと飛び乗りました。すると、キキキキキィッ、ビックリしたフクは思わずブレーキを掛けました。荷台に座った夢もその反動で顔ごとフクの背中にぶつかりました。夢は慌てて頭を起こすと、ぶつかった目蓋をギュッと閉じました。
「あれ、なんだ?」
フクは手で、目元や頬を拭いました。
「どうした? どうした? だめだ、うぅ」
何度手や腕で拭っても、拭っても、ぽろぽろと溢れる涙は止まりませんでした。
フクの胸の奥に、温かな気持ちが広がりました。
「だめだ、行かねぇと」
フクは腕で目元を強く拭うと、自転車のペダルに足を掛けて走り出しました。笑顔の夢はふわりと荷台から降りると、遠のくフクの背中に向かって、大きく大きく手を振りました。
またね!
夢は走り出しました
そしてまたまた違う道へ、でも今度こそ丘の頂上へ続く道です
コツコツコツ、レンガを鳴らし暫く行くと、次第に道は大きく曲がり始めました
そのまま弧を描きながら走って行くと、道の先から走って来るフミの姿が見えました
歩き出していた夢は次第に速度を上げてゆき、向かって来たフミに合わせて走り出しました。そして夢が振り向くと、フミは息を弾ませ走りながら、涙をぽろぽろと流していました。前が見えないフミは何度も目元に力を入れ、溜まった涙を頬へ落としました。頬笑んだ夢はフミの方へ手を伸ばし、そっと背中に触れました。フミの頬の上でキラキラ輝く光の線を辿るように、ぽろぽろと涙が流れました。
フミの胸の奥に、温かな気持ちが広がりました。
「夢」
フミは目元を腕でグッと拭うと、力強い眼差しを道の先へ向けました。そして夢を置いて行くように、フミは走って行きました。フミの背中を見つめる夢はゆっくりと走る速度を緩めてゆき、トトンと靴を鳴らして立ち止まると、溢れる笑顔を浮かべ、空高く手を広げました。夢は走るフミの後ろ姿に向かって、大きく大きく手を振りました。
またね!
フミの姿が見えなくなると、夢はゆっくりと振り返りました
そこから見える丘の頂上は、空の光に包まれています
夢は瞳を閉じました
この道は丘の頂上へ続く、私のお気に入りの道
若かったあの日から、ずっと、毎日歩いた赤いレンガの道
初めて聴いたあの曲、素敵だったな
夢が一度話したこの道の事を、ケンシは覚えていてくれました
夢は瞳を開き、そして走り出しました
淡いレンガの小道を、コツコツコツ、丘の上へ向かって、コツコツコツ
瞳の中を流れてゆくのは大好きなクイナの町、大好きなクイナの住人
右手には、いつの間にか茶色のバスケットが
バスケットの中には大好きなお菓子と、まだ読んでいない大好きな作家の小説
いつも私が先に読んで、いつも私はいじわるをするの
そんなほんの少しの会話も、ほんの一言の挨拶も、ほんの一瞬目が合う事さえも
願っていた大切な一つ一つが溢れてきて、頬を伝い
小道を抜けたら丘の上、あなたの眠る丘の上
ずっと想い続けてきた、あなたに会いたかった
だから、他の誰かじゃだめ
私の心を幸せで満たし
愛を注ぎ
喜びをくれたあなたじゃないと
丘の上にやってくると、ふと懐かしいメロディーが流れてきました
ねぇ、踊りましょう
心の中で手を繋ぎ、夢は一人で踊ります。
すると突然、丘の上の空気が変わりました。
夢は、会いたかった人の優しい眼差しを感じました。
温かくて懐かしくて嬉しくて幸せな気持ちが、一気に夢の心に流れ込んできました。
夢の鼓動はドキドキドキと高鳴り、頭の中が真っ白になりました。
夢が慌てて振り返ると、その先には、ずっと昔に旅立ったホープの姿がありました。
あの頃の、年上だったホープよりも少し長く、夢は生きてきました。
ぽろぽろぽろ、ぽろぽろぽろ
子供のように顔をしわくちゃにして、夢は喜びの涙を流しました。
そして夢は心のまま、大好きなホープへと走り出しました。
夢は両手を広げ、ホープの腕の中へ飛び込みました。
ホープはしっかりと、夢の体を受け止めました。
もう二度と離さないようにと、強く、強く、抱き締め合いました。
その瞬間、夢の姿は、頑張って生きようと決めたあの頃の、年下だったあの頃の姿に。
夢は頑張って生きてきました。
頑張って生きないと、二度と会えなくなる、そう想いながら生きてきました。
涙の顔をホープの胸元に寄せていた夢は、そっとおでこを離し、見上げました。
見つめていたホープは心を合わせるように頬笑んで、夢の頭を優しく撫でました。
すると、空の上から金色に輝く光が注ぎ込み、丘の二人を包みました。
涙と喜びで頬笑む夢をからかうように、ホープは夢のおでこにツンと触れました。
幸せ一杯に笑った夢は、ふとホープの肩越しから見える、みんなの姿に気付きました。
お父さん、お母さん、ロクさん、ミゲロさん
夢の瞳から、ぽろぽろ、ぽろぽろ、涙が溢れ、頬の上を伝いました。
そして
おば様!
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