二十四

「ハッピィバースデートゥーユー! ハッピィバースデートゥーユー!」

 青い空の中を駆けるように広がる雲、草原の丘の中から聴こえてくるケンシの歌声。

「ハッピィバースデートゥーユー、ハッピィバースデートゥーユッ!」

 ケンシは大きく拍手をし、みんなは何も言わずパラパラと拍手をしました。

「なんや?」

 ケンシはそう言うと、シートに座っている夢達一人一人に目をやりました。

「恥ずかしいから座ってくれ」

 テンポ良くケンジがそう言うと、みんなは視線を下げてクスクスと笑いました。

「誰もおらへんやん、こんなだだっ広いのに。なっ! リッキーミーナ!」

 ケンシは大げさに両手を広げてそう言うと、横に座っていた二人に笑顔を向けました。二人もそれに応えるように真剣な表情で何か言っているのですが分からず、それでもケンシはまるで自分の味方かのように二人の話に頷き満足そうな笑顔をおばあさんに向けました。すると、ストレッチャーの上で横になっていたおばあさんは口をモゴモゴと動かし始めました。

「笑ってる笑ってる」

 ケンシがそう言うと、みんなはケンシの視線をたどりおばあさんに目をやりました。同じようにおばあさんに目をやったオッカは、またケンシのいつものごまかしだと思ったのか見透かしたような笑みを浮かべながら「そうかい?」とイタズラっぽく言いました。しかし、ストレッチャーの横に座りおばあさんの仕草を眺めていた夢は少し違う表情をしていて、「でも最近何だか笑って見える時があるの」と話したのでした。

「分かる分かる!」

 夢の言葉にフミが頷きながらそう声を上げると、フクは願うように「見れたら良いな、笑い顔」と囁き、両膝をついておばあさんの顔をそっと覗き込みました。おばあさんはとても穏やかな表情をしていました。

「ろうそく」

 オッカが、短くなって行くろうそくを指差しながらフクにそう声を掛けました。炎で溶けた蝋がクリームの上に広がり出していたのです。

「待て待て」

 ろうそくにそう声を掛けたフクは、慌てて融けた蝋を指で受け止めました。

「アッツい!」

「何してんだい。別に落ちても大丈夫だよ」

 オッカは笑いながらそう声を掛け、箱から引き抜いたティッシュをフクに差し出し「これで拭きな」と言い掛けたのですが、フクはその言葉を待たずにオッカの手からティッシュを取ると、急いで指に絡んだ蝋を拭き取りました。そんなフクの様子にオッカは呆れたのですが、眺めていると何だか可笑しくて笑ってしまいました。

「笑ってる?」

 思わずみんながその声の方へ振り向くと、夢がおばあさんの顔をジッと見つめていました。

「ほんまや、口角上がっとうように見える」

 ストレッチャーに駆け寄ったケンシがおばあさんの顔を見つめながらそう言いました。

「わしもそう見える」

 ケンジが笑顔でそう言うと、隣にいたハツエも「うん」と呟きました。

「今の面白かったんじゃねぇか? いや、やらねぇよ!」

 もう一度同じ事をして、そう言わんばかりに夢がキラキラした瞳で自分を見つめている事に気付いたフクは強くそれを拒否しました。

「カメラ、カメラ」

 オッカはそう呟きながら持って来たバッグをガサゴソかき回し始めました。夢達は突然訪れた幸せに、嬉しそうに慌て出したのです。以前よりも自分の力で気持ちを表す事が難しくなったおばあさん。そんなおばあさんの笑顔は、夢達にしか気付けない微かな笑顔だったのかもしれません。それでもおばあさんの心は変わることなく大きく、そしていつも同じ場所にあったのです。大きな気持ちの小さな笑顔に気付けたのは、おばあさんを真っ直ぐに見つめてきた夢達だからこそ出逢えた奇跡なのです。

「おめでとう!」

 夢達は炎の上がるろうそくに息を吹きかけ、一斉におばあさんが生まれた日を祝いました。そして夢達は、今日のもう一人の主役に視線を寄せました。

「うるさいから起きたみたい」

 フミは笑いながらそう呟きました。みんなが見つめるベビーカーの中の新しい命は、澄んだ瞳でフミの顔を見つめていました。

「泣いてないね」

 そう言いながら立ち上がったハツエはベビーカーの側に寄り、パッチリとした瞳の赤ちゃんを抱き寄せました。それでも赤ちゃんは視線を離さず、フミの顔をジッと見つめ続けていました。

「どうした?」

 フミは満面の笑みで赤ちゃんにそう話し掛けました。すると赤ちゃんはハツエの胸元にゴシゴシゴシと顔を擦り付けました。

「お腹空いたんちゃうか?」ケンジがそう言うと、ハツエは赤ちゃんの顔に笑顔を向けて「そうね。ご飯にしようか?」と囁き掛けました。赤ちゃんは柔らかな顔をクシャクシャっとさせたので、ハツエは「よしよし」と背中を撫でながらあやしました。

「車開いとうで」

 ケンジがハツエにそう言うと、ハツエは側に止めていた車へと歩いて行きました。

「じゃあまたね、アヤト!」

 フミはニコニコと笑いながら、ハツエの肩越しに自分を見ているアヤトに手を振りました。するとアヤトはまたゴシゴシゴシとハツエの肩に顔を擦り付けました。

 アヤトはおばあさんの誕生日の二日後に生まれました。その日を楽しみにしていた夢達は、将来どんな子になるのか、沢山の未来を想い描いてゆきました。そして今回もハツエは当日まで名前は秘密にしていたので、夢達は名前を当てようと盛り上がったのでした。

 そんなアヤトには、この世界に飛び込み輝く以前から、決まっている運命があります。アヤトが叫び、ケンジとハツエが抱き締めた運命があります。それは、この星よりも永く、この星よりも深く、アヤトを愛し味方でいてくれる人達と巡り会うという運命です。

「寝ちゃったね」

 ハツエの肩で穏やかに眠り始めたアヤトは、キラキラと輝く人生を歩んで行くのです。


「明日は? 朝は行けねぇけど昼はどうだ?」

「うん。道具もばあちゃん家にあるし」

 ケンシとフクが、おばあさんの家の庭掃除をいつするのか話し合っています。夢もその掃除の手伝いに行くつもりなので、側で二人の話を聞いていました。

「明日なら朝から手伝いに行けるわ」夢がケンシにそう言うと、「分かった。ありがとう」とケンシは笑顔で答えました。

 そうして掃除の日程が決まると、当日他に何かできないかと考え始めた夢は習慣付いたようにおばあさんの方へ振り帰ると、スッと立ち上がっておばあさんの所へ小走りに向かいました。

「姉さん健康だ。一緒に替えるかい? 丁度体の向きも変えたかったしね」

 おむつの確認をしていたオッカが側にやって来た夢に笑みを向けてそう言いました。

「うん。じゃあ私準備してくるわ!」

 夢は楽しそうにそう声を掛けると、側に停めてある車へと小走りに向かいました。

「あ、ケンちゃん」夢が車の近くに行くとケンジが居たので「今からおむつ交換をするわ」と伝え、そのまま車の側面に取り付けてあるタープの中に入って行きました。タープはテントの様に全面を覆う形になっているので周りから中の様子は見えず、外でのおむつ交換には最適な空間になります。さらにタープの中には簡易ベッドも用意しているので、いつも通りおむつ交換が出来るのです。

 おむつ交換の準備を終えた夢がタープの出入り口から顔を出すと、ケンジはおばあさんが乗っているストレッチャーを、オッカは人工呼吸器を乗せたワゴンを押して来ていました。

「出来たかい?」

 オッカがそう聞くと、夢は「うん」と頷きました。そして三人はおばあさんと人工呼吸器が離れないよう慎重にタープの中に入り、おばあさんを簡易ベッドに移しました。

「じゃあ頼むな」ケンジは二人にそう声を掛けると、外側からタープの出入り口を閉め、ふと目に入ったケンシ達の所へ行きました。

「何の話?」

 ケンジがそう声を掛けながら靴を脱いでシートに座ると、少し笑ったフクはケンシの方に顔をクイッと向けて「ロクの事聞きてぇって」と答えました。少しうつむいたケンシは照れくさそうに頬を上げました。ケンジはそんな下を向くケンシの仕草が、昔のロクの姿と重なって見えました。

 ロクはケンジ達よりも年上でミゲロよりは少し下で、それぞれ年齢は離れてはいるのですが、幼い頃からなにかといつも一緒に遊んでいた仲間です。ただロクは、高校を卒業した後に大学に通うため一度だけ町を離れたことがありました。そこで四年を過ごし卒業すると、再びクイナの町に戻り就職をしました。そして高校生の頃から交際をしていた同級生のハナと結婚をし、それから一年ほどでケンシが生まれ、また数年後には仕事の都合で町を離れました。しかし、家庭のためにと仕事を頑張り過ぎたロクはハナとすれ違う事が多くなり、話し合いの末、離婚する事になりました。二人はケンシの交友関係を重視し、街に残るロクがケンシと一緒に暮らす事になりました。丁度その頃から、ロクはケンシを連れて頻繁にクイナの町に来るようになっていました。

 幼い頃を懐かしんでいたケンジは笑みを浮かべ、ロクの事を話し始めました。

「ずっと変わらんかったよあいつは。優しすぎるし、真面目すぎるし、賢すぎる」

 ケンジとフクは懐かしそうに笑いました。視線を落とし頷きながら聞いていたケンシは、父さんの事を知っている仲間が居る、自分の知らない事を知っている仲間が居る、そう想えるだけで心は温かくなり、とても嬉しくなりました。そしてフクも、ロクの事で喜ぶケンシの横顔を見ていると、くすぐったいような嬉しさを感じ、同時に寂しさも溢れてきました。想い出はいつの時も、誰かが居た、何かがあった、そんな過去ばかりなのです。ケンシはきっと色んな事を聞きたいんだろう、そう感じたフクも言葉を続けました。

「ミゲロとこいつは突き進むだけのバカ。あいつは後ろからみんなのこと見守ってたさ」

 フクは話しながらケンジに視線を向けてニヤッと笑い、その笑顔のままケンシの方へ振り向くと、想い出すのを楽しむように話を続けました。

「あれがしてぇとかこれが欲しいとか、自分の事全然言わねぇんだ」

 ケンシは頬を上げ、「分かる分かる」と呟きました。

 するとケンジは眉間にしわを寄せて宙を見つめ、何かを思い出そうとし始めました。

「いっつも聴いとった曲何やったっけ? 思い出せん。後、酒はジントニックばっかや」

 ケンジはロクがいつも聴いていた曲が何か思い出せず、代わりに愛飲していたカクテルの事をふと思い出しました。するとフクは突然笑い出し、声を上げて話を続けました。

「ずっとだぜ? 気に入るとそれしか飲まねぇってぐらい。変なとこがお前と似てんだ」

 フクにそう言われたケンシは、心当たりがあるせいか苦苦しそうに笑いました。

「そうや、お前の場合はキャラメルだろ?」

 ケンジがニヤニヤと笑みを浮かべそう言うと、フクはゲラゲラと笑い出しました。

「そうそう何でもかんでもキャラメルが入ってねぇと食べねぇんだ! バカなんだよ!」

 可笑しそうに笑う二人にケンシは少しイラッとしましたが、キャラメルにこだわっていたあの時の自分は一体何だったのか、ケンシは自分でもそんなふうに感じたのか思わず笑みを零しました。

「そういや二人とも同じ事で怒られてたよな? ロクは金もねぇのに友達ならすぐ貸しちまう。お前も母ちゃんに怒られただろ? 制服の話憶えてねぇか?」

 フクがそう話すと、ケンシは眉間にしわを寄せながら宙を見つめました。それでも思い出せないケンシにフクは「そうか」と頷くと、自分の記憶を頼りに話し始めました。

「お前が小学生の時、転校してきた外国の子がいたろ? その子制服が無いからって自分の新品の制服黙ってあげただろ? ほら?」

 するとケンシはその事を思い出したのか、「ああ」と声を漏らしました。その時ケンシは母に怒られたのですが、それと同時に「無料であげる、答えを教える、注意をしない、そういう事は優しさじゃない」とも教えられました。いつしかケンシも大人になり、人から叱られる事もほとんどなくなりました。自分に過ちがあれば気付かないうちに自分に返ってくるのです。だからこそ人にとってあの頃は、とても大事な時期になるのです。

 しまっておいた過去を取り出すケンジとフクは楽しそうで、ロクと初めて出会った日の事や一緒に見てきた色んな時をケンシに話して行きました。そしてミゲロの事も、ケンシのまだ知らないおばあさんの事も。その記憶が遠ければ遠いほど沈む夕日のように色付いてゆき、その景色はどこか寂し気で、胸の真ん中あたりがポッカリと空いて切なくなるのです。

「ケンカなんかせえへんかったやろ? あいつあんな感じやし」

「そんな事ないよ」

 ケンシは笑いながらキッパリとケンジにそう言うと、少し笑みを残しながら「父さん病気やった時もケンカしてもうた事あるよ。あの時はまだ元気やったから何とも思わへんかったけど、今は違う。何かもったいないような、解決出来ひんような罪悪感ばっかりやわ」と話しました。そしてケンシはその笑顔のまま宙を見つめ、当時の気持ちを思い出してゆきました。

「でもその時のこと思い出すとな、なんか不思議と同じ感覚が蘇ってくんねん。父さんの介護してた時な、遠くに引っ越した仲良い友達が五、六年ぶりに地元に帰って来た事があって、一日だけ時間あったから会おかってなってん。でもな、そん時俺ちょっと早めに帰ってん。何年振りかに会った友達よりも、二十四時間毎日ずっと一緒におる父さんに会いたくなってん。走って帰って父さんの顔見たら、ごめん、ただいまって」

 恥ずかしそうに頬を上げたケンシの笑顔は幼く、キラキラと輝いていました。

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